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蛮勇
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ーー素敵な笑顔だと思った。
最初はそれだけだった。
あの時のままの、我ながら純で爽やかな、清廉な気持ちだけを持ち続けていられたらどんなに良かっただろう。
今の自分の腹の中の、この熱さとどろつきと見苦しさと言ったら。
当時の自分に顔向けできないほどだ。
「あ!下行く?俺の分もカツサンド買ってきてー」
「……仕方ねえなー」
「さんきゅー、お前の分もコーヒー買っていいから」
こっちは承知しているのだから駄賃などいらないのに。
育ちがいいんだかずれてるんだか知らないけど、こんなことお前以外には頼まれてやらないってのに。
そんなことは俺の知り合いなら全員知ってるってのに、なんでお前だけが気付かないんだ。
その笑顔が見たくて、ありがとなって言って欲しくて、芸する犬みたいに甲斐甲斐しくこんな馬鹿げたことをしている。
(ほんとに馬鹿だ)
そんなもので満足なんかできてないくせに。
本当は触りたい。
顔を合わせる度、今にも唇にかぶりつきそうになる。
抱きついて、首元に顔を擦りつけたくてたまらなくなる。
「……ほらよ」
「おー!ありがとなー!」
「んー……」
本当に抱きついてしまいそうで顔を伏せると、覗き込まれている気配がする。
「どしたー?」
「なんでもねえ」
手を置かれた肩から震えが走るようだ。
そのままこの手を背中に回して欲しい。
抱き寄せて、抱き締めて欲しい。
「なー……」
「うん?」
妄想に耽ってしまって甘えたように呼びかけてしまっても、返ってくるのはいつもと何ら変わりない爽やかそのものの返事だった。
それがおかしくなっていた俺の喉をくっきりとした理性で締め付けて、ほっといたらきっと言っていたであろう言葉は粉々に砕かれた。
「………?どしたー?」
「………いや。その後どう?彼女と」
「えー?あはは、聞くー?」
「聞くだろーがよ」
「うん〜」
きっと俺は傷つきたいんだろう。
それなのに、滔々と流れ出る惚気の数々は耳鳴りがひどくてまともに聞こえない。
これでは諦めようにも上手にできない。
「ーーだからさ、すげえ考えてて今。センスねえから俺外しそうでーーいやなんでも喜んでくれるとは思うよ?思うけどさー」
「なあ……」
「んっ?」
きょとんとしたような瞳。
こんな不躾に話を切っても「どうした?」という視線を寄越すだけで、少しも不愉快そうな顔をしない。
やっぱり育ちも良いんだよな。
きっと人を傷つけるのも下手だろう。
俺が道筋付けてやらないと、こいつは俺を嫌えない。
「……俺、が」
「ん?うん」
「お前を……いや、お前に……?」
「……………?」
「……………………」
ーーそう思っていたのに自分も上手く出来なくてーー涙を堪えると、言葉も出なくなった。
それでも涙が主張して、呼吸も止める。
酸素が欠乏するとゆっくり膝が砕けていって、いよいよ本気で心配をかけてしまった。
ここからどうごまかせば良いんだろう、俺はどうしたいんだろう。
(どうしたいんだろうって………)
唯一の望みは叶わないことがもう最初っから決まっている。
覆せない。
あのお似合いの、付き合いたての、顔も中身もかわいい彼女に敵うわけがない。
もっと言えば俺は、受け入れられたいだけじゃなくて、本当はこいつに求めてほしくて、欲情してほしくて、滅茶苦茶に抱いてほしくて。
それをどこまで妥協してもやはり、叶わない。
僅かばかりも満たされない。
乾いていくばかりの心がそのまんま声になったみたいな、ざらつく感触が喉をこじ開けた。
「…………っごめん」
「は?なに謝ってんだ、水飲めるか?保健室行く?」
「………………」
本当に、なんでこんな良い奴を好きになっちゃったんだろう。
俺と同じにくだらない相手なら、体だけできっと満足できたはずだ。
あんな風に見つめられたいなんて、抱き締められたいなんて、思わなかったはず。
「……………………」
呼吸を止めても心臓を呪ってももう涙は堪えられなかった。
目の縁が熱くなっていく。
「……なあ、おい………ーーあ!」
「えっ……どうしたの、大丈夫?」
「具合悪いみたいでーー」
「……、なの?ーー君、過呼吸気味?」
息を詰め切っていたからか、目の前がちらつくし耳鳴りがひどい。
けれど、背中を撫でられる小さくて柔らかい感触と花みたいな匂い。
ああ俺、こいつの彼女に慰められてしまうんだな。
ほんのちょっと気が緩んだだけで、気持ちが溢れてしまっただけで、こうも惨めなことになっちまうのか。
それすら許されないほどの、下賤な気持ちだったんだとつきつけられたようで、もう自分が底なしにくだらない虫みたいな、いや塵芥に思えた。
ーーもうどうだっていいや。
ずっしりと重くなった胸の底で均衡を取るみたいに俺は、涙でぐずぐずの顔を上げた。
蛮勇 終わり
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