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モリは4限目が終われば当たり前のように机をくっつけた。そして美野と波多家が現れ、少し遅れて久田がやってくる。高校生らしいなと呑気に眺めていた風景の一部に、いつのまにか俺も加わっていた。
「忘れないうちに渡しておくな」
出がけにカバンにつっこんだ本を美野に差し出す。
「最近はこっちなのか?」
「うんまあ、ちょっと変わっているくせに目が離せないというか、いつのまにかハマってた」
俺と美野の会話が手渡した本であることははわかったらしいが、興味もないくせに聞かずにいられない、それがモリという男だ。
「なんて本?」
「モリ、それ本当に聞きたいの?」
ニヤニヤしながら言うと、子供みたいに口を尖がらせる。美野がこんな顔をしたら何も言う気にならないが、モリがやると面白いから不思議なものだ。
「聞くだけタダだろ?」
「J・アーゥイングっていう作家の『ウォーターメソッドマン』って小説。超グズグズで史上最強のダメ男が主人公」
思った通り、モリは眉をひそめて俺をみる。
「いっつも思うけど、そんなのを買うのか全然わかんない。今の木崎の説明聞いても、ゼッンゼン面白くなさそう」
「俺にしてみれば、園芸部の畑に苗をハイテンションで植えているモリのほうがわかんないけどなあ」
モリはなるほどという顔をする。なんでもすぐ表情にでるからモリは嘘が致命的にヘタだ。ある意味一番信用のおける男ともいえなくはないが。
「人の興味はバラバラか。あ、そういえば俺気になっていたことがあってさ」
今度はなんだ?モリはいつも突発的に予想外のことを言い出す。
「木崎って木崎っぽくないと思うわけだよ。激しく思うわけ俺的に」
意味がわからない……。
「モリ、意味が不明すぎだよ」
美野がため息とともに俺と同じ感想を呟いた。
こうして弁当を食べながらわいわい話すのはたいていモリと俺だ。別に俺はおしゃべりでもなんでもなく、話す必要のない時は口を開きたくない。ただモリが子供のように俺に何かと聞いてくる。それに答えていると、いつもこの状況になる。
美野がぼそっと何か言い、久田はたいていニコニコしながら傍観している。そして波多家は口を挟まないのに一緒に会話をしているような……なんだか不思議なポジションにいるのだ。
波多家はどうにもとらえどころがない。肌の白さのなかで際立つ黒い瞳がいつも笑みをうかべて俺達をみている。全体像は華奢な印象なのに、割に頑なな部分も持ち合わせている(自己評価の低さは驚異的で、小学生からそれを指摘しているのに考えを変えない「究極の頑固者」とはモリの言い分だ)
誰とでも当たり障りなく接することができるという特技がある。特技と言われて嫌がるところを見ると好きでやっているわけではなく、できることならそれもしたくないのが本音らしい。
波多家とは時々目が合う。見慣れた熱をもった視線ではない、聞きたいことがあるのか、俺に何かをしてほしいのか……と考えてしまう質の目線。
たいていは気が付かないふりをしているが、自分に向けられるどこか気になる視線を捉えたくなり、我慢できなくなると見つめ返す――びっくりしたように逸らされてしまうのだが。
そして俺はこの視線を向けてくる波多家のことを気にしている。その前兆めいた想いは心当たりがあって、避けようと心に決めたくせにとイライラする。
波多家の持つ柔和さは今まで自分の周りにはなかったもので、それに包まれたいと思ってしまうのだ。そして投げかけられる視線とともに、いつの間にか俺は波多家のことを考えている。
「断然『征広』だ!」
唐突に自分の名前がモリの口からでて物思いから引き戻された。会話の流れがどうして俺の名前になるのか皆目見当がつかない。弁当をつつく4人全員の怪訝そうな視線を浴びたモリは説明不足に思い当たったようだ。
「だから、木崎っていう呼び方はなんか木の木端みたいなさ、味気ない感じがするわけ。でも征広だと断然格好いいし、そっちのほうが見た目にもあっていると思う!」
「だから皆で征広って呼んだ方がいいってことを言いたいみたいだよ、モリは」
波多家が征広と言ったことで俺の心臓がドクンと鳴ったことにうろたえる。そんなことを知らない波多家は笑いながら話を続けた。
「そもそも初めてモリに話かけられたのも名前なんだ。カカシ先生みたいで格好いいから絶対ハタケって呼ぶことにしたから!って。でもね、皆ハタケかハタケ君だったから、そんな宣言されてびっくりしたよ。カカシ先生を持ち出されても……」
波多家の語尾が小さくなったのは、たぶん俺の視線のせいだ。さっきなぜ自分が揺れたのか――波多家を見れば答えがでるといわんばかりに見据えていたようだ。波多家の少し驚いたような表情で自分がじっと見つめていたことに気付いた。
「披露した波多家の声が小さくなるくらい恥ずかしいエピソードだな……モリ」
美野が本気で呆れた声をだし、久田がクスクス笑う。波多家を見ていたことは誰も気づいていないだろうと波多家の隣の美野の顔を伺うと、少しだけ面白そうに笑いやがった……ばれている。
「波多家、下の名前は?」
俺の唐突な問いに、波多家は固まった。気詰まりな自分をどうにかしたくて言っただけなのに、俺達は今互いの言葉や視線に驚いたり狼狽えたりを繰り返している。
「……としや……だよ」
そしてまた俺は驚いた。誰も彼もがハタケと読んでいるからといって下の名前を知らないわけではない、俊哉だ。ただ俺はシュンヤだと思い込んでいた。トシヤは全然考えもしなかった。
「完全にシュンヤだとばっかり思ってたから。トシヤか……なんかしっくりこないな」
それを聞いたモリが急に勢いよく俺の腕を掴んで揺する。なんなのだ、この男は。苦笑しながらなんだ?と聞いてやる。
「俺が言いたいのはそういうことなんだよ、絶対征広。俺これ譲れないから!」
「モリが木の木端みたいだなんて言ったのを聞いて、あえて木崎で通すのも人でなしな感じがするから、俺も征広でいくよ」
「俺はミノッチなんて呼べないぞ、絶対に無理だからな!」
モリがなにか言い出す前に言っておかないと。このでかい漱石命の男をミノッチと呼べるはずがない。そんなことができるのはモリだけだ。
どこかボンヤリしたような波多家に向かって俺はダメを押した。
「波多家、征広って言ってみて」
モリが言えばなんていうことのない質問なはずなのに、俺が口にしたとたん、厭らしい問い掛けに聞こえると自分で認める。やたらと下の名前を呼ばせようとする女子みたいじゃないか。
予想どおり、波多家の顔は真っ赤になる。ここで征広と言えないほうがおかしいと気が付くだろう。なんてことのない弁当タイムの高校生同士の会話だ。付き合い始めのカップルじゃあるまいし、下の名前が呼べないというのは色々とまずい展開になる。たぶん、それを理解しただろう波多家はボソボソと言い始めた。
「ゆき……ゆ、ゆき……」
「波多家?」
思いのほか優しい声がでてしまって、とっさに美野を見ると案の定面白そうに笑みを浮かべて見返してきた。とりあえずこの会話を断ち切ってしまいたい俺は強引に話を締めくくる。
「モリと美野は征広。久田はたぶん臨機応変に呼びたいように呼ぶだろう、それで」
恥ずかしいのか下を向いている波多家の手をつつく。はっとして顔をあげた波多家がもうこれ以上驚かないように俺なりに微笑んでみせた。
「で、シュン。俺はハタケじゃなくてシュンって呼ぶから。それでシュンは俺のことユキね」
見開かれた目をみれば驚かせてしまったことに変わりはなく、俺の笑顔は零し損かよと口を曲げたらシュンが微笑んだ。その笑みはいつもベンチで聞いていた音を思い出させる。
軽快で清楚……きらびやかではないが芯のある綺麗さ。
結局人間は変われないということだ。一番近い人間をまた好きになってしまうのだろう……。
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