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ダークグリーンの絨毯、カウンターは赤みを帯びたマホガニー。同じトーンで揃えられたインテリアは落ち着いた雰囲気だった。静かにジャズが流れている。ヤクザが行きつけにする店には見えない。それにあの男と釣り合いがとれないように思う。もっと上質な客層を迎えるにふさわしいバーだ。
20:00過ぎはまだ早い時間なのだろう。客は俺以外いなかった。あの男と知り合ったというこの店しか、今の俺には手がかりがない。
「何にしますか?」
「じゃあ、ソルティードックを」
「かしこまりました」
それほど歳はとっていないそのバーテンダーは綺麗な細い指でグレープフルーツを絞り出した。30代前半だろうか、ソフトな顔だちと黒のベストが妙に合っている。人を落ち着かせるような雰囲気のおかげで緊張が解けた。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
コースターに置かれたグラスから一口飲みこむ。それはとても美味しく、自分の部屋でお遊び程度に作るものとは別次元の仕上がりだった。
「……おいしいですね」
「ありがとうございます」
少しずつグラスの飲み口を変えながら、塩味と苦味のある果汁を味わう。少しずつと思ったのにあっという間に飲んでしまい、同じものを頼んだ。グラスと、小さいボールに入ったピスタチオが置かれる。ピスタチオは大好物だ。
「お客様は、初めてですね?どなたかの紹介ですか?」
「ええ、波多家君の」
「ハタケ……さんですか」
「ええ。フルーツがフレッシュでカクテルが美味しいと言ってましたよ。本当に美味しいですね」
さっきまでの柔らかさは脇に置くことにしたらしい、ぶしつけにジロジロと俺の顔を見ている。隠そうともしない訝しげな視線を受け止め、逸らすまいと同じく見返す。
「波多家さんが紹介するはずがありませんからね、あなたは誰ですか?」
「木崎征広と申します。見た通り普通のサラリーマンです」
このバーテンダーはシュンのことを知っているようだ。こんなにスムーズに展開するとは予想していなかった。
「普通のサラリーマンさんが何の御用で?」
慇懃無礼とはまさにこのとことだ。客商売には不必要の威圧感を全身から滲ませている。でもここで引き下がるわけにはいかない。
「シュン……波多家を監禁している男が何者なのか知りたくてここにきました」
「監禁とは随分物騒ですね。波多家さんに助けを求められたのですか?」
「いいえ」
「それを世間ではお節介といいます」
「お節介ついでに、そろそろ迎えに行くつもりです」
「思ったとおり、頭が悪そうですね。あなたみたいな普通のサラリーマンがアレに喧嘩を売ると?」
「手遅れです。もう売ってしまいました」
俺が引くつもりがないことだけは理解したらしい。口の端でため息をつきながらカウンターにスクリュードライバーを置いた。
「頼んでないけど?」
「おごりです。ウォッカをタップリいれましたから、腰を抜かすのは勘弁してください。面倒みきれませんから」
「ごちそうになります」
どっちの味方かわからないこのバーテンダーをどうしたものかと考える。
モリに聞けばシュンの居所はわかるから、連れて帰ればいいだけだ。でもヤクザらしき男から逃げ続けるのは嫌だった。きっちり話をつけたうえでシュンに向かい合いたい。
「失礼ですが、波多家さんとはどちらで?」
「高校の友人です」
「もう一度お名前をお伺いしても?」
「木崎です」
「下の名前を」
「……征広です」
バーテンダーはカウンターを回り俺の隣に座った。バーボンのロックグラスを持参して。
「アメリカに行った「ゆき」っていうのはあなたですか?」
何で知っている?初対面の人間に自分のことを知られているというのは何とも奇妙な感覚だ。
「なら、しょうがないですね」
「何がしょうがないんですか」
「あの男は権田組の吉川。ついでにいうと私の友達です」
「はああ?」
俺が驚いたのは前者ではない、男は一般人とはまったく違う雰囲気だったからヤクザ者にしか見えなかった。その後だ、友達?この男は俺をからかっているのだろうか。
「吉川は若頭補佐の運転手兼護衛」
「護衛の身分だから自分には護衛がついてなかったわけか」
呆れたような視線が返ってくるが、正直そっちの世界には明るくない。
「単なるチンピラではない。それに喧嘩を売ったとは、何を言ったんですか?吉川に」
「何も言っていませんよ、波多家をあいつの前で抱きしめただけです。ホテルのロビーで騒ぎを起こすつもりはなかったので。後ろからヤツが波多家の肩に手をかけた。その瞬間波多家の目が空っぽになりました。
あんな顔初めて見ました。だから「そんな顔するな」って頬に手を添えたんです。それで元に戻った。ヤツが波多家の後ろで物凄く睨むので、しょうがなく一歩ひきました」
本気で俺のことをバカだと思ったのだろう、呆れたような、それでいて可笑しそうな顔をしている。
「急に波多家を反転させたから、たぶん、あの男用の空っぽの顔になる暇がなかった。ものすごく驚いた顔をしていましたよ、吉川さん。波多家の本当の顔見たことなかったんでしょうね、今まで」
「それを吉川に言ったんですか?」
「言いませんよ。追い打ちかける必要はありませんから。すいませんが、スミノフをロックでいただけますか?」
片方の眉が上がる。
「猫をかぶって、ロングのカクテルを飲んでいたのですか?」
「いえ、楽しくなってきたのでもう少し強いものが欲しくなりました」
笑い声を滲ませながら酒を注いでくれた。ついでに自分のグラスにも。楽しくなってきたのは本当だ。行き当たりばったりで来てみたのに、思いのほか収穫があったから。
「その権田組さんは、堅気に手をだしたらご法度とかありますか?」
「漫画の読みすぎです」
やはりそんなにうまくはいかないか。
「波多家さんは出ていこうと思えば出ていけますよ。閉じ込められているわけじゃないですから」
「そうですが、探しだされて戻されるだけだ」
「まあ……そうなるでしょうね」
「じゃあ、若頭さんって方に直接直談判することにします。ハタケに何かあったら」
バーテンダーはグラスをカウンターに叩きつけた。
「いい加減になさい!それがどういう意味かわかっているのですか?」
「わかっていません。でももうこの先ずっと「ああすればよかった」「ああ言えばよかった」と後悔を積み重ねて生きていくのはごめんです。この7年間毎日毎日過去と向き合ってばかりです。もううんざりしたので、意味がわかっていないことでもやってしまいそうです、俺」
アルコールが回ってきたのを自覚する。こうして知らない誰かに俺は言いたかったのかもしれない。このグズグズした自分を吐き出したかったのだ。
「言っておきますが、吉川は本気ですよ」
「それはどうでもいいです、俺には関係ない。でも波多家は全然幸せに見えない。笑わないし、あんなに痩せています。あいつはああみえて相当頑固ですから自分を曲げませんよ。それに自己評価が怖ろしく低いから、自分の体がどうなろうと気にしないところがあります。この間も投げやりで捨て鉢でした……ま、それも綺麗でしたが」
「ふっ、あなたなら幸せにできると?」
グラスの中の丸い氷を指でつつき、くるんと回す。
「いえ、それをこれから波多家に証明する。後悔を塗りつぶしてスタートラインにつきます」
自分のグラスを空にしてバーテンダーはまたカウンターの向こうに戻った。腕を組みながら何かを考えている。
そろそろ帰ったほうがいい。男が何者かわかっただけでも昨日よりずっと前進できた。
「報われない一方通行の想いほど不毛なものはありません。何回言っても吉川はそれを聞こうとしない。まあ、あなたがどこまでできるかお手並み拝見ですね」
「まるで作戦を思いつかないですが、何とかしてやります。ごちそう様でした、おいくらですか?」
「2000円です」
ボトルに少しだけ残っていたズブロッカをグラスに注ぎながら、ぶっきらぼうに返してきた。
「いえいえ、そこらの居酒屋じゃないですから」
「まあ、あとは私の驕りです、いいですよ、あなたはなかなか面白い人だから」
人の好意はありがたく受け取っておこう。カウンターに千円札を二枚置き、ドアに向かった背中に声がかかる。
「奢りついでに。暴対法がある以上、堅気さんに手をだすのは色々面倒なことになりかねない……そういうことです」
俺は振りむき軽く頭を下げて店をあとにした。
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