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18歳以上ですか?
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土曜日の午前中、買い出しのため近くのスーパーに向かった。シュンは担当編集と籠りっぱなしで、仕事とはいえ他の男と一緒にいることに少しイラつく。こういうとき、17歳の時と変わらない自分に呆れつつも、しょうがないと自分を許す。
シュンが何を書いているのか、さっぱりわからない。本名で検索したが、ひっかかる作家がいなかったので、ペンネームで出版しているのだろう。
何を書いているのかを聞いたとき、少し困った顔をしたあと「今のが出版されたら、たぶんわかると思うよ」とだけ返ってきた。シュンに関して「待つ」のは今更だ、いくらでも時間はある。
本はそれなりに売れているのだろう。出版会社からの入金が通帳に記帳されていたからだ。吉川と対峙するときに確認したから間違いない。
あれきり吉川本人もサイや桜沢は現れていない。当然俺の居場所など割れているだろうし、「何もなかったこと」に完全になるという甘い考えは持ち合わせていなかった。
桜沢やサイがくることはないだろうが、タガが外れた吉川の暴走は可能性がある。ここのところは編集者が入り浸っているおかげで、仕事に出ている間、一人にする時間が少ないのは安心できた。(二人っきりで籠っているのは面白くないが)
とりとめなく流れていく思考をぼんやり意識しながらスーパーの中を巡る。とりたてて料理が上手いわけではないが、やはり手作りのものはいい。
食材を抱えて部屋に戻ると、シュンはおらず編集者の秋元さんだけが所在なくソファに座っていた。
「おかえりなさい、木崎さん」
「靴がないけど。シュンは?」
秋元さんはソファから立ち上がり、俺が両手に抱えていたビニール袋のひとつをやんわり奪ってキッチンに運ぶ。
「いや、秋元さん、そんないいですよ」
「先生は、編集長…あ、松木と『エルム』に、契約内容の確認と息抜きをかねて」
エルムというのは近所にある小さな喫茶店。カフェではなく、昔ながらの喫茶店だ。50代の優しい笑顔を浮かべるマスターは北大卒だと聞いて納得した。
札幌には「エルム」と名のつく飲食店や病院や歯科などがたくさんある。俺もその名前で店に入ろうと思ったわけだし、マスターは「なんでエルムなんですか?」と聞く客のほとんどが札幌出身か住んでいたことのある人だと教えてくれた。
シュンはあまり出かけたがらないが、ここの店のことは好きらしく、一人でも行かれる数少ない場所のひとつになっている。
「松木が急にきて先生を連れて出てしまったので、留守番で僕が残りました」
「金目のものなんてないから、泥棒も入り損ですよ、ここなら」
買ってきた食材を冷蔵庫にしまいながら秋元さんに言う。
「どうぞ、行ってください」
「どこにですか?」
キョトンとされてこっちがまごつく。
「いや、エルムに。仕事の話でしょ?」
それなのに秋元さんはソファから立ち上がりもせず、ウーンと伸びをする
「いえ、僕がいってもしょうがない話ですから、ここで待ちます。一度木崎さんと話もしたかったんで」
「俺と?」
「ええ」
シュンがどんな作家なのかも聞きたかったし、これといってすることもないので話をするのは大歓迎だ。
コーヒーをセットし、マグを用意する。コポコポと音と湯気があがり、コーヒーのいい香りが立ち上る。残りの食材を冷蔵庫にしまってから、秋元さんの向かい側の床に腰をおろした。
「いつもこんなふうに、長時間打ち合わせを重ねるんですか?」
「いえ、今回初めてです。先生は割と書いたものを細かくメールで送ってくれるので、組み立てながら進行していくやり方だったんですが、今回は最後まで書き上げたものを渡されたので、読み込むところから始めていて……それに今回の小説は長いしヘビーなんですよ、正直驚いています」
「ヘビー?ということは、いつものは軽いってことですか?」
「木崎さんは先生の本読んだことないのですか?」
「ええ、教えてくれない。それで今回のが本になったらわかるそうです」
「まあ……そうなるでしょうね」
秋元さんは微妙な表情を浮かべて俺を見ている。まさか……
「高校生の話とか?」
ブっと盛大に噴きだした秋元さんは大笑いしている。俺がネタになるとすると高校時代しかないはずなので、違うということだ(ホッとした)
「僕は飯田の友達なんです」
「飯田?さん?」
「飯田クリニックの」
「ああ、先生のお知り合いでしたか。先生がいたからシュンはなんとかなっていたと思います。本当に感謝ですよ」
「飯田が先生に書くことをすすめたんです。自分に埋まって消えそうだったので、吐き出させる意味で。でもそれはとても綺麗な文章だったので、編集をやっている僕に見せてくれた。ええ、本当に綺麗でした」
「あいつは昔から綺麗ですから」
ピーとコーヒーメーカーの音がなったので立ち上がる。マグを手にして戻ると秋元さんは不思議そうに俺の顔を見た。
「随分簡単に照れもなく言えるんですね、綺麗だなんて」
「ええ、まあ。他の友人達に綺麗なんて間違っても言えませんが、シュンにだけは素直に言えます。アイツがあんまり自分を大事にしない原因の一つが俺なんですよ。
だから、納得するまで何回でも言います、これからは」
ただの男友達に言う内容ではない、わかっている。でもシュンの近しい人間に嘘を言ってもしょうがないし、誤魔かす必要はないと思った。
「今互いに存在していなかった7年間の話を少しずつしているところです。
始めたばかりで今はまだとりとめない内容でしかないですが、たぶんどんどん言いたくないことや、本当に言わなくてはならないことを話すことになる。でもどんな結果になっても、今度は逃げません」
秋元さんはコーヒーを一口のんで僕に視線を合わせた。
「なぜそこまで、僕に?」
「だって先生の友達なら、シュンがどんな状況だったのか多少知っているでしょう?
アイツが沢山の人に好かれる人間だってことに気が付いて欲しい。秋元さんもそう思ってくれそうなので味方は多いほどいいし、そう思う相手に嘘や隠し事をしても意味がありませんから」
「ゆきひろさんには、かないませんね」
いきなり下の名前で呼ばれて驚く俺に、秋元さんはフっと笑って言った
「そのうちわかりますよ」
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