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最終章
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タクシーを降り、指定された待ち合わせ場所に来た。住宅がまばらに建つ静かな地区で都会の喧騒は無縁の所だ。
煉瓦で外壁が覆われた4階建てのシックなマンションを見上げてわけがわからなくなる。ここが待ち合わせ場所?まさか秋元さんの自宅?いや、この物件はあまりに豪勢すぎる。
さてどうしたものかと来た道を眺めていたら、黒塗りの車が向かってきた。この瀟洒なマンションに住むのなら、高級外車に乗っているような人間だろうと、ぼんやり考える。
しかし、その車の窓には真っ黒なスモークがかかっていた――嫌な予感。
期待を裏切ることなく、車は俺の前で止まり、久しく顔をみていなかった「サイ」が悠然と降り立った。
「ご無沙汰ですね、ユキちゃん」
俺は盛大なため息をつく。が、その一瞬あとに男を睨みつけた。ここを待ち合わせに指定してきたのはシュンであってサイではない。
「シュンはどうした?なんでアンタがここにいる」
「相変わらずですね、あなたは」
「シュンはどうしたのかと聞いている!」
「とりあえず、中に。話はそれからです」
「ユキ!」
見上げると最上階の窓からシュンが顔をだし、手を振っていた。
「どういうことかまったくわからない」
ここのところずっと続いてきた幸福感はなりをひそめ、吉川と対峙した時と同様の冷静さがつま先から這い上がってくる。
「長々話すと、ゆきちゃんが暴れそうなので、端的に。波多家さんが権田のフロント企業の不動産に来ましてね、言っておきますがまったく何も知らずにです」
「はあ?」
「それで、住む家を探しているということでしたから、私がお手伝いをと思いまして、この物件をお世話させていただきました」
「はああ?ちょっと、どういうことだよシュン!」
「まあ、話はお二人でしてください。面倒ごとは嫌いですからね。あ、それとユキちゃん」
俺は返事をしなかった。
「ここのセキュリティーはアホみたいに盤石です。なにせ芳樹が住むつもりで誂えた設備ですから。1Fにはフロントがあります。そこを通らないとエレベーターに乗れません。不法侵入はかなり難しいといえるでしょう。
ザコが大挙して押し寄せても痛くもかゆくもありませんよ。そこは安心ください。
それと波多家さん?」
「はい」
「私はね、このユキちゃんをかなり気にいってます。私の組織にスカウトしても冷たい返事しかくれません。ですから、波多家さんがこの人を手放す時を私は待っています、何年かかろうがね。諦めませんから、そのつもりで」
ケラケラ笑い後ろ手に手をふりながら、サイは出て行った。
「説明してくれ。ことと次第によっては、俺達は一緒にいられないぞ」
つっかかりながらのシュンの説明をまとめるとこういうことだ。
1.いつまでもあの間取りの部屋に二人でいることはできないと思った
2.「二人の家」が欲しかった
3.海外の翻訳もきまり、作家としての先もなんとか見えるようになった
4.『想い』は俺がいなかったら生まれなかった。だから印税の恩恵を受けるべきだ
5.不動産に行った→サイ参上→この物件をすすめられた→お買い得だった
6.購入した
「なんで俺に相談がなかったわけ?」
シュンはおずおずと俺のシャツの裾をひっぱりながら俯く。
「普通は相談しない……と思う」
「はああ?こんな大事なこと!普通するだろうが!たしかに狭いし快適とはいえなかったけど、俺はシュンと暮らしている部屋が好きだし、大事だったんだ!」
「普通はしない!」
「だからなんで!」
シュンは眉間にしわを寄せ俺を睨みつけながら怒鳴った。
「プロポーズする相手に相談なんかしない!」
は?え?んん?
「僕がいるから家に帰ってきた気持ちになれるって、ユキが言った。僕たちはようやく先を見て生きていかれるようになった。今まで後ろばかり見て後悔するだけだったよね。
僕ができる「これから」は二人のための家だったんだよ!だからこれはプロポーズなの!
そんなの相手に相談なんかできないじゃないか。受けてもらわないと困るんだから!ユキのバカ!」
バカって……俺が悪いのか?
ここは豪勢すぎる物件だからプロポーズが正しいのかもしれない。でもプロポーズってもっとロマンティックなものじゃないのか?怒られながらのプロポーズってなに?
一気に毒気が抜かれて床にへたりこんだ。
ヘナヘナと床に座り込むのと同時にポケットの中の携帯が鳴りだす。
知らない番号だが間違いない。吉川と逢う前日に店にかけたし、折り返しの電話をもらうために番号を教えたのは俺だ。
携帯を変えたほうがいいかもしれない。しかしこのタイミング、盗撮でもしてるのかと疑いたくなる。
『いっておきますけど、盗撮も盗聴もしてませんから』
ニヤニヤする顔が見えるようだ。
『今回のこの件に関しては、波多家さんは純粋に物件を探していただけですからね。お節介を焼いたのは私のほうです。やはり吉川のことで何もしないというのも気持ちが悪い。金銭だとあなたは受け取らないでしょう?言っておきますけど、この物件超人気なんです。
芳樹がゴリ押しして押さえたぐらいなんですから』
「じゃあ、なんでシュンが買えるわけ?」
『お恥ずかしい話ですがね、ここに住みたいと言った女と揉めて切れちゃったわけです。
もうそうなったらお荷物でしかない。あげくここに新婚もカップルも住まわせないと言いだしましてね。不良物件になるところだったところに波多家さんです、渡りに船でした』
「こっちだってカップルだ!」
『相変わらず頭が悪いですね。表向きは生活能力に欠けた人気作家とそれをフォローする秘書兼家政婦兼幼馴染ということになっていますので、問題ありません。
あと調べればその建物全体が権田組の持ち物だということがペロっとでてくる物件ですから、そうそう変な輩が押し掛けたり迷惑かけたりはないでしょう。安心してください』
もうここまできたらため息しかでてこない。
「随分な待遇だな」
『こういっちゃなんですが、波多家さんはどうでもいい。私にとってはアナタに価値を見出しているわけですから。
波多家さんには落ち度はありませんよ?
彼は言ってました。ユキが好きな本当に欲しい家具を置いて、そこで笑っていてほしいと。ユキちゃん愛されてますね。
それともう一つ。吉川は二度と這い上がれない場所に行ってもらいました。肥溜めみたいな所でね、待っているのは緩慢な死です。
ですから絶対ユキちゃんの前には現れません。これは本当です。では』
電話は唐突に切れた。サイの自由すぎる行動に呆れて何も言えない。携帯の電源を落してポケットにねじ込んだ。
「あのバーのマスターとばったり出くわしたんだ、不動産の会社で。そこの社長さんと知り合いらしくて、いい物件をお世話してもらえたんだ。組織にスカウトって引き抜きかなんか?
いやそんなことはどうでもいいんだよ、ユキ」
ノロノロと視線をあげるとシュンが俺を見下ろしていた。そうだった……俺はプロポーズをされたんだった。ちゃんとしたところで一緒に住もうと俺だって考えていた。ただ引っ越しには金もかかるし、なにより物件を探すにも時間がかかる。
シュンが物を書くうえで必要な資料はどんどん増えるだろうし、打ち合わせをする部屋だって必要だ。自分たちの部屋を持つのか。それとも寝室は一緒にして書斎をお互いに持った方がいいとか、いらないとか。そんなことを話し合いながら時間をかけて……そう思っていた。
「シュンの資料が増えても床がぬけない構造の場所がいいねとか、リビングと台所の他に何部屋あったらいいかな、とか」
シュンがそろそろとしゃがみこんで目線が一緒になる。
「秋元さんや出版社の人がきたら打ち合わせする部屋は別にあったほうがいいだろうな、とか。交通の便も考えて駅が近いほうがいいよな、でもうるさい場所だとダメだ、集中力が欠けるな、とか」
ゆっくりと手が伸ばされて肘の上あたりを優しく掴まれる。
「他の誰からも邪魔されたくないから、セキュリティーに関しては妥協しない、とか」
シュンの手のひらが腕をつたって頬に伸びる。
「ユキ、どうしてそんな僕の都合のことばっかり考えてるの?」
言われて初めて気が付いた。
「これから決めよう。ここは部屋が十分あるしね」
「俺半分は今無理だし、家賃として毎月納めるから」
「だめだよ、それは」
「そうじゃないと、俺一緒に住めないよ」
頬から手が離れて膝がしらがギュっと握られた。
「それはダメ。僕が自分で勝ち得たものとして此処が必要なんだ。これは僕が自分で手に入れなくちゃいけないもので、そうじゃないと前を見ていくことの支えにならないから」
「……俺じゃ支えにならないのか?」
「いてくれないと困る」
シュンは俺の両方の手をそっと握った。
「あのね、永遠があればいいと思う。でも現実は違うことを僕は知っている。今はずっと一緒にいたいとお互いに思っているけれど、でもそれが続くとは限らないよね?」
いったい何を言い出すんだ?
「少しだけ、僕の話を聞いてくれる?
ユキが好きなちゃんとした家具に囲まれて、そこで笑っていてほしい。それは僕の帰る場所で、同時にユキが戻ってくる所になる。僕はそれを作りたい。
今までずっと「こうすればよかった」「ああ言えばよかった」そう思い続けて自分を粗末に扱ってきたけれど、今それをする必要はないし……そうだな、自分を粗末にするってことは、ユキにも失礼なことだと考えられるようになった」
俺は握られた手にギュっと力をこめる。
「僕の心を切り売りしたみたいなものがお金になった。それをちゃんと自分で納得したものに使いたい。それがこの建物でユキとの時間なんだ。
もし……起こってほしくないけれど、もしも僕たちが離れてしまうことがあったとしても、僕はユキと一緒に過ごしたこの場所があれば、もう自分を捨てるようなことはしないと思う。
『ハタケ大好き』がなくても、ちゃんと生きていかれる。だから……」
シュンはそって俺を抱きしめて言った。
「ここで僕と……生きてくれませんか?ユキと一緒なら何も怖くない」
相手に求められる歓びに震える鼓動。ずっとシュンを欲して生きてきた。後悔に蝕まれて、俺は自分が何を求めていたのか忘れてしまっていた。
そう……俺が欲しいと思うのと同じようにシュンに求められたい。それが得られるなら、プライドも面子も、そんなものは必要ない、脱ぎ捨ててしまえばいい。
「うん。俺もシュンと一緒に生きていきたい。ありがとう」
自然に重なった唇と腕の中の温かさ。ようやく自分のものだと実感できるようになった。シュンの実感が形になるのが、この部屋だというなら、俺もそう思おう。
俺達の未来は始まったばかりだ。沢山の後悔を礎にして、俺達は未来を求めて一緒に暮らす。
『二度と繰り返さないために消えてくれない、それが後悔です』
そうですね、先生。幸せを離さないように、かつての自分達を忘れずに「今」を生きていきます。
シュン、ずっと二人で生きていこう……前だけを向いて。
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