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リクエスト⑪ 記憶喪失 3
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「さて。診断名がついたところで、急ぎの仕事をしに戻らないとならないな?」
仕方なさそうに後ろを振り返るダークスーツの男に、黒スーツの美形が申し訳なさそうに頷いた。
「お側にいらっしゃりたいお気持ちはお察ししますが」
「1人にしては…不安だろうな」
俺にとっては見ず知らずの部屋になるわけだし、と気遣う男に、何故か心が揺れる。
「っ…あなたは一体」
「あなたではない。火宮だ。火宮刃」
「火宮…さん?」
馴染みのない名前を口の中で転がしてみる。
やっぱり記憶のどこにも引っかからない。
「クッ、さすがに堪えるな」
少しだけ寂しそうに笑った火宮に、ぎゅっと心臓が締め付けられたように痛んだ。
「っ!…俺は」
「あぁ。無理をするな。おまえが悪いわけじゃない」
確かに俺だって好きで記憶を失ったわけではない。
だけど忘れられてしまった側からしたら、腹立たしいものではないのかと思う。
なのにこの男は、気にするなと平気な顔で笑う。
「優しいんですね」
「俺が?ククッ、そんな風に評するのは、おまえくらいだぞ」
なにせ、関東最大の暴力団、七重組直系蒼羽会会長だ、と長ったらしい肩書きをつらつらとしゃべる。
「そんなの関係ないですよ。俺の目の前にいるあな…ひ、みやさん、は、俺を思いやって気遣いしてくれる」
火宮が何者かなんてのは重要じゃない。
俺が見た火宮自身が、俺に害か悪か。
それだけ見れば、この人は決して、俺にとっては悪ではないだろうと思えた。
「クッ、だからおまえだ。だからおまえがいい」
ゆるりと目を細めた火宮が、慈しむように俺を見た。
ドクッ、と鼓動が跳ねる。
「っ…俺っ。あ、俺の父と母は?」
何故だか途端にザワザワと心が騒めいて、それが嫌で、俺は慌てて話題を逸らした。
それは思いのほか、本気の疑問に変わる。
「おまえの両親か…」
わずかに言い淀んだ火宮に、きゅぅ、と胸が縮こまった。
悪い、話だ…。
わけもなくそうと察する。
昨日寝るときには、確かにボロアパートの一室で、並べて敷いた3枚の布団に、並んでおやすみと眠ったはずだ。
けれどもそれは、俺が今、記憶を失っているという話だから、数ヶ月前の話となるわけで。
「火宮さん…?」
言いにくいような話ならば。もしかして俺の両親は。
「亡くなっている」
「っ…」
うん。なんとなくわかってた。
でも衝撃でないわけではなくて。
「翼。大丈夫か?」
クラリとした頭を振りながら、必死で正気を保とうとした俺に、火宮の手がそっと伸びてきた。
「っ、大丈夫です」
だから触れるなと、俺はパシッ、と火宮の手を振り払った。
「ッ、会長!」
「いい。俺が不用意だった」
はたかれた手を軽く振って苦笑する火宮は、やっぱり俺を責めない。
心配を、無下に振り払った俺なのに。
「ど、して…」
あなたはどこまでも俺に優しい。
震える声で紡いだ言葉は、火宮によって誤解された。
「どうしてか…。おまえには辛い話になるが、自殺だと、おまえ自身が言っていたぞ」
「え…?」
あ、俺、両親の死因を尋ねたと思われたのか。
違う、そうじゃなくて……え、じ、さつ?
一瞬スルーしかけた火宮の言葉が、ズシリと重たい石となって、俺の胸につかえた。
「っーー!そんな」
それは多分、借金を苦に、という話なんだろう。
そこまで、そこまで疲弊し、追い詰められていたのか。
「今日は給料日だったはずなのに…。また少し借金を返して、少しだけいいご飯が食べられるはずだったのに…」
どうせ利息分にもならない程度の俺のバイト代だけど、それでも給料日には少しだけ気分が上がるものだったのに。
まだ頑張れる。まだやれるって、手の中のお札を見て、踏ん張る気になるはずだったのに。
「駄目だったの?俺の頑張りが足りなかった?俺、俺は2人を…」
助けられなかったんだ…。
昨日は「また明日」って言って眠ったのに。
2人は『それ』を諦めてしまったんだ。
「っ、生きてさえいれば、なんとかなる、って…」
綺麗事だったかな。甘かったのかな。
もっと寝る間も惜しんで働いていればよかった?
あれ?でも俺は、あなたに身を売って、あなたはうちの借金を肩代わりしたんだよね…?
「俺とおまえが出会ったのは、おまえの両親の死後だ。1人遺されたおまえが、疲れ果てて後を追おうとしていたところを、俺が拾った」
「っ!俺が、死…」
それは、両親の自殺という事実よりも、さらに衝撃的な事実で…。
「翼」
ぎゅぅっ、と俺の身体を包み込んだ力強い腕から、苦しいほどの温もりが伝わった。
「ひ、みや、さん…?」
なんでこんなに安心する。
この人の腕の中が、こんなにも心地いい。
「いきなり重い情報を与えてすまない」
「っ、俺、が、尋ねたんです…」
あなたはただ答えてくれただけでしょう?
「だが、誤魔化しようがあったな」
「っ…ち、がう」
確かに覚えていない俺には、いくらでも嘘の情報を吹き込める。
いくらだって偽り話をして誤魔化してしまえる。
だけど。
「嘘も誤魔化しもせずに、きちんと事実を教えてくれた。それが、火宮さんの優しさでしょう?」
何故だか分かる。
この人がとても俺を大切に思ってくれていることが。
「ひ、みや、さん…」
「なんだ」
知りたい。
あなたは借金を肩代わりした代わりに、俺を囲って、退屈しのぎに飼育しているだけの人ではないの?
でも知るのは少し怖い。
何故かそれだけではない、もっと違った感情を、火宮から感じる。
だから。
「火宮さんと、俺の関係って…」
震える唇が紡いだ言葉に返ったのは、火宮のとても切ない、泣きたくなるような綺麗な微笑みだった。
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