アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
割れた皿
-
「調子はどうだ、レイ」
キオンの問いかけに、俺は緩々と首を振った。
昨日はずっと寝ていて、夜も軽くご飯を食べた。
そのおかげか分からないけど、熱は、まあ、ちょっとぐらいは下がったと思う。具合の悪さは変わらないけど。
でも……具合が悪い分、ここにいられる。
キオンに迷惑をかけてしまうかもしれないが、正直ここは居心地がいい。
……いつまでもいられないけれど。
まだ具合が良くないと聞いてキオンの表情がちょっと曇る。
「そうか……朝食の準備はしてあるんだが食べられそうか?」
「ちょっと、なら」
昨日はここにご飯を持ってきてもらったが、今日はリビングで食べることにした。
キオンが俺の腰に腕を回し、フラフラする俺の身体を支えてくれる。リビングの椅子に腰掛けるところまで手伝ってもらって、俺が椅子に座ってぼーっとしているうちにテーブルに朝食が準備されていく。
香ばしいベーコン、とろっとしたハムエッグ。そしてカリカリのガーリックトースト。
どこにでもあるようなベーコンだし、どこにでもあるハムエッグとパン。だけどそれがすごく美味しい。キオンが用意してくれたからか、温かいご飯だからか、どちらか分からないけど、不思議と美味しいのだ。
俺が食べているところを、キオンが向かいの席に座ってなにをするわけでもなく眺めている。そんなにジッと見られると食べにくくて、俺は顔を俯かせて黙々と食べた。
「おお、今日は全部食べたな」
空になった皿を見て、キオンが嬉しそうにしている。
「うん……すごく、美味しかったから」
「おかわりするか?」
「……ベーコン、もう少し食べたいな」
「分かった」
すぐにキオンがフライパンを持ってきて、俺の皿にベーコンを乗せた。
「またお代わりが欲しくなったら言ってくれ」
「……、ありがとう」
俺はベーコンを見つめた。
「……キオン、俺ね」
「ん?」
「明日……、ここを出て行こうかなって」
キオンが椅子に座り直しながら、目を瞬かせる。
「…………大丈夫か?」
なにが、とは言わなかった。
俺は曖昧に笑いながら頷いた。
「ああ、大丈夫だ」
キオンが心配しないよう、聞かれたことだけを答えるようにしてあまりものは言わないようにした。
でもキオンは眉尻を下げ、なにか言いたそうに俺の顔を見ていたが、俺はその目線を知らないフリしてベーコンを頬張った。
「美味しい」と俺が笑いかけると、キオンもぎこちなく笑った。
いつまでも駄々をこねる子供なんかでいられない。
一人で生きていく覚悟をしなければ。
「……服は洗っておいた。あとで出しておく」
「あ、ごめ……いや、ありがとう」
謝るよりも礼を言えと言われたことを思い出して慌てて言い直すと、キオンはさっきの困った笑みとは違って柔らかく微笑んだ。
初めて会ったとき、正直なんて愛想のない人なんだろうと思った。ここがこんなにも居心地がいいと思うなんて、予想もしなかった。
キオンがいなかったら、俺は雨の降る森に放置されて熱を出して、生きていなかったかもしれない。
「落ち着いたら……また来ていい?」
キオンにはこの恩を必ず返さなければいけない。
今の俺はなにもないから、それがいつになるか分からないけど、いつか、絶対に。
「ああ、いいぞ」……そう言ってくれると思っていたのに。
キオンは良いとも駄目だとも言わず、さっきまでの微笑みを消し去り、空っぽになった俺の使った皿を見つめていた。
その表情を見て急に不安になる。
「キ、キオン?」
「……ああ、悪い。レイは寝てていいからな。なるべく安静にしていた方がいい」
「えっ?」
キオンは顔を上げたが、まるで聞こえていなかったみたいに何事もなく食器を片付け始めた。
さっきまで話していたのに、あれだけ聞こえなかったわけがない。……迷惑だったのかな。
まあ、よく考えれば、俺はキオンのことをなにも知らないのだ。どうして一人で暮らしているのかも、いつからここに住んでいるのか、なに一つ知らない。
俺はキオンが何者なのかを知らない。
他人の世話をやいてくれたのも簡単に出来ることではないのに、また訪れるなんてキオンにとっては面倒事でしかないのかもしれない。
たとえ、コンプレックスだった俺の髪を綺麗だと言ってくれても、俺とキオンが他人だという事実は変わらないのである。
……そんなこと当たり前なのに、そう自覚した途端なぜかチクリと胸が痛んだ。キオンを見ていると胸が苦しい。
そのとき、ガシャンッと派手な音が響き、俺は音のした方を見た。
キオンの足元に白いなにかが散乱しており、すぐにキオンが皿を落としてしまったのだと気付いた。
「お、おい、大丈夫かっ?」
俺が慌てて駆け寄ると、皿を割ってしまったのがそんなにショックだったのか、キオンは唖然とした表情で床を見つめている。……見たところ怪我はしていなそうでホッとした。
俺はしゃがんでカケラを摘んだ。
「取り敢えず拾わないと……」
「っ、触るんじゃねえ!」
するとさっきまで微動だにしていなかったキオンが突然声を荒げ、俺の右手首を掴み上げてきた。
それに思わずびっくりして、摘んだはずの皿の破片を落としてしまった。その拍子に指を切ってしまったようで、親指の腹からうっすらと血が滲む。
キオンもそれに気付いて「あ……」と声を漏らした。
「い……いきなり、怒鳴るから……」
ちょっと怖かったが、こうやって指を切ったら大変だと思って怒ったんだと思うと、あんまりキオンのことを責めることは出来なかった。
「じゃ、じゃあ、ホウキ持ってきて。そっちの方手っ取り早いだろうし」
それに傷はそんなに深くない。放っておけば治るだろうと思って手を引こうとしたが、なぜかキオンは俺の手首から手を離そうとせず、ジッと俺の切れた親指を見ている。
責任でも感じているのだろうか。
俺はキオンを安心させようと笑いかけた。
「なあに、こんくらいすぐ治るよ。血だってそんなに出てないんだから……ッ」
俺は思わず声が漏れそうになった。
キオンが俺の手首を掴む手に力を込めてきたのだ。
「い、たい……キオン、痛い……!」
ミシッと骨が軋む音が聞こえてくるのではないかというほどの強い力で、ギリギリと俺の手首を締め上げてくる。俺は耐えかねて声を漏らしたが、キオンには聞こえていないみたいで、ずっと指の傷を睨んでいる。
「痛いってば、キオン……っ?」
キオンがなにを考えているのか分からなくて、俺は困惑する。
……キオンは、ちろりと下唇を舐めていた。
その真っ赤な舌を見た途端、背筋がゾッとした。
俺は掴まれていないもう片方の手でキオンの身体を突き飛ばすと、ようやく手が離される。
「な……な、なんなんだ、お前……」
さっきまで柔らかな笑みをうかべていた人物とは思えないくらい、舌舐めずりをしていたキオンは恐ろしく感じた。
なんて表現したらいいか分からないが、なぜか身の危険を感じたのだ。
突き飛ばされたキオンが俺のことを見る。その目は温かみを感じないくらい冷ややかで、突然様子が変わってしまったキオンに戸惑いを隠せず、俺はゆっくりと後退して距離を取った。
「ど、どうした?怒ってるのか……?」
返事はなかった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
14 / 141