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母の訪れた地
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母さんは俺を愛してくれていたと思う。
そして俺も、どれだけ陰口を言われても、凛と背筋を伸ばしていた母さんが好きだった。
「キオンはなんて返事をしたんだ……?」
キオンはフンと鼻を鳴らした。
「俺がその人喰い狼ならどうする?って言った。そしたらあいつは俺の顔をジロジロ見た挙句「顔がタイプじゃないわ」って言って、また横になりやがった。ほんと意味分かんねえやつだったよ」
「ムカつくからその日は帰った」とキオンは言った。
母さんも母さんだけど、そう言われて怒って帰るキオンもキオンでガキ臭いと思ったが、面倒臭そうなことになりそうだったから、その言葉は飲み込んだ。
「次の日、ヴァネッサは花畑にいた。その次の日も、また次の日も、奴は花畑に来ていた」
「なにをしに……?」
「なにも。ただ花畑の真ん中に座って、ぼーっとしている。あ、たまに縫い物をしているときもあったが、基本はなにもしない。ほんとに人喰い狼のことを待ってるみてえだった」
キオンは俺の手を掴んだまま、母さんがやっていたみたいにその場に腰を下ろした。俺にも座れと言わんばかりに腕を引っ張ってきたが、踏むのでさえ躊躇したのに花の上に座るなんて気が引けて首を振る。
「それで?」
「……1週間くらい経ってからまた声をかけた。毎日飽きもせずに花畑の花を眺めているから、ほんとに狼に喰われちまうぞって言った。そしたら私はそれでもいいって」
喰われても、いい。
俺は困惑した。
あの母さんがお腹に子供を抱えながら、そんなことを言ったとでもいうのか?
「おかしいだろ。腹に子供もいるのにいいのかって聞いたんだ。そしたら、ヴァネッサは……泣き出したんだ。そして、なんていうか……その……」
突然キオンがしどろもどろになって、落ち着きなく視線を彷徨い始める。
「な、なんだよ。言えよ」
「いや……」
「それで、どうなったんだ」
キオンが様子を伺うように、下から俺の顔を覗き込んでくる。俺は歯切れの悪さに苛立って、キオンの腕を引っ張った。
「早く言えよ。なんで、母さんは泣いた?」
「……」
とうとうキオンは黙り込んでしまった。
そんなに言いにくいことなのか?それとも、作り話なんじゃないだろうな。
いつかキオンが話し出すんじゃないかと待っていたがいつまで経ってもその気配がないのに焦れて、俺の方が先に口を開いた。
「じゃあ、母さんとはその後どうなったんだ?」
「……少し話をして、次の日もここで会った。そのときキャンディを貰った」
「キャンディ?」
「箱に入ったキャンディでよ。30個入りって書いていたが、中には5個くらいしか残ってなかった」
キオンは眉間に皺を寄せて「他は全部あいつが食っちまった」と、忌々しそうに呟く。
手を付けたお菓子を普通に人にやるところがなんとも母さんらしいのだが、なんだか俺はキャンディに思い当たる節があって緩々と首を傾けた。
……ちょっと前にもキャンディの文字を見かけたことがある気がする。
「あれ……もしかして、イヤリングを入れていた箱がそうなのか?」
イヤリングを見つけた、白い花が描かれた箱。確かあの箱にもキャンディと書いてあったような……。
「ああ、そうだ」とキオンは頷いたのを見て、俺は妙に納得してしまった。
なるほど、だから母さんは箱に入ったキャンディをあげたんだ。どこかで見たことがあると思ったら、あの箱に描かれている花と、ここの花畑に咲いている花は瓜二つじゃないか。
「そのとき母さんはなにか言ってた?」
「いや……なにも言っていなかったと思う。それより中身があれだけっていうのがだな……」
中身に気を取られて母さんの意図に気付いていなようで、キオンは重々しいため息をついた。
「しかもキャンディあげたんだから家に招待しろって言われてな、俺の家に押しかけてきやがって……とんでもねえ女だ」
「え、あの小屋に?」
「そうだ」
まさか。
俺はハッとして表情を強張らせる。
だが俺がなにか言う前に、キオンが厳しい口調で「なにもねえよ」と言い放った。
「あのなあ、さすがの俺だって妊婦にそんなことしねえよ。……いや、妊婦じゃなくたってあんな生意気な女に手なんか出さねえ」
……確かに顔がタイプじゃねえって貶されておきながらそんなことねえか。
だがキオンへの疑いは晴れず、ジロジロとキオンの顔を見遣た。
「じゃあ、小屋でなにしたんだよ」
「なにって……そうだな、料理を教えてもらった。すごく料理が上手でな……お前に食わせたシチューだって教えてもらった通りに作ったんだぞ」
「え……?」
言われてみればそうだ。
初めてあのシチューを食べたとき、懐かしい味がすると思った。
そうか、そうだ……あの味は確かに母さんが作ってくれたシチューの味と同じだ。母さんがいなくなってから5年間、ずっと食べていなかったから忘れてしまっていた味。
俺は懐かしい味を思い出して黙り込んだ。
「レ、レイ?」
「……お前の言うこと信じてやる」
キオンの言う母さんの姿は確かに俺の母さんだ。なにより、シチューの味が決め手だった。
キオンが目を瞬いて、次の瞬間ムッと唇を尖らせる。
「なんだよ、今まで信じてなかったのかよ」
「当たり前だろうが。人のこと強姦しといてよくそんなこと言えるな」
そう言った途端、キオンは気不味そうに視線をそっぽに向けた。
不意にキオンが手を離し、立ち上がった。
「……もういいや、取り敢えず行こう」
「お、おう……」
この花畑が名残惜しかったが、暗くなる前に隣町について宿を見つけなければいけないかと思うと、うっかりここで長居するわけにもいかなかった。
俺はぐるりと周囲を見渡し、花畑を後にした。
森の中を歩きながら、目の前を歩くキオンが前を見たまま口を開いた。
「それからヴァネッサは呼んでもねえのに俺の家に勝手に上がり込んで、飯食っていったり、部屋でゴロゴロしていったりして、暗くなる前に帰っていったな」
「毎日?」
「いや……だが、ほぼ毎日来てた。妊婦のくせに森を上り下りしてよ、ほんとご苦労さんなこった」
そんなにここが居心地良かったのだろうか。
……そういえば俺も、居心地いいなとは思ったけど。
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