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黒髪の男
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いくつかの角を曲がって、俺は振り返った。
誰もいない。俺の呼吸の音しか聞こえない。
逃げてきてしまった。決してラルスに言われたからではない。俺はあそこに居たくなかったのだ。
壁に凭れかかり、そのままその場に座り込んだ。
「ラルス……」
俺は無意識のうちに彼の名前を呼んでいた。
なぜ、こうなった。
今までラルスは母さんのことを隠し、実の父親かもしれないということも明かさず、何食わぬ顔で俺のそばにいたというのか?人殺しが、隣に。
そのときラルスはなにを考えていたんだろう。母さんによく似た俺の顔を見て、母さんのことを思い出したりしなかったのだろうか。
……どうせ母さんのことを殺すつもりだったら、俺が腹の中にいるときに殺せば良かったのに。そうすればこんなことにもならなかったはずで、俺もラルスも苦しむことはなかったかもしれないのに。
そこまで考えて、慌てて首を振る。
やっぱり信じられない。ラルスが……、
俺は、左耳にした母さんのイヤリングに触れた。
ラルスは俺にとって、かけがえのない人だった。
暑い日でも寒い日でも、いい歳になっても、俺のことを職場まで送り迎えをして、別々に帰った日もちゃんと家に帰ったか確認しにくる。ラルスと顔を合わせない日なんてもしかしたらなかったかもしれない。
そして俺がいるのを見て、ラルスは笑うのだ。
『無事に帰ってきたみたいでよかった』
……ラルスは、俺のことを愛してくれていた。
それが親としての愛情だったとすれば、馬鹿みたいに過保護な奴だ。本当に、本当に馬鹿だ。くそったれ。
俺は本当に無知だった。間違いなくキオンの言っていた通り『なにも知らなかった』のだ。
俺は目をギュッと瞑って、小さく息を吐き出した。
知らなければならない。
ずっとずっと母さんの行方を知りたがっていたのは俺自身だ。
過去のことがひっくり返って、母さんの死に繋がっているというのならば、俺は真相を確かめなければいけない。知ることは怖い。だけど、無知でいることは更なる恐怖であり、無責任だと感じた。
情けない。
俺はくしゃりと表情を歪めた。
自分を奮い立たせて立ち上がったその瞬間、なにかにぶつかった。
「あ……!」
バランスを崩して後ろへ倒れる……と思って反射的に目を瞑ったが、一切の衝撃がこなかった。
……あれ、なんだこの匂い。
ハッと目を開けると、目と鼻の先に見知らぬ男の顔があった。その顔を見て誰だこいつと思った次に、この男にぶつかったんだと察した。しかし、男が俺の腕を掴み、加えて腰に腕を回して身体を支えてくれたおかげで転ばずに済んだようで、男は心配そうな表情をしながら俺の顔を覗き込んだ。
「お怪我はないですか?」
「え、あ……だ、大丈夫、です」
男はにこっと笑うと、俺から手を離した。
「ぶつかってしまって本当に申し訳ない。僕はこの街に来るのが初めてでして、土地勘がなくて。よそ見をしていたら君にぶつかってしまいました」
「いや……俺の方こそすみません」
俺にも非があるのだからと思って軽く頭を下げる……フリをして、男の顔を盗み見する。
身長は……ラルスと同じくらいだから、180センチくらい。ラルスほどがっちりしてなくてひょろっとしている。歳は……いくつくらいだろ。落ち着いた話し方からして、若くても20代後半くらいか?
オールバックにしているその髪は他に見ないくらい黒くて、なんというか……この辺の人ではないと思ってしまう顔立ちをしていた。
目元の掘りが深くなく、鼻もそんなに高くないせいで平べったい印象を受ける。だが、顔立ちは整っていると思う。
異国の人……?
ビシッとジャケットを着て、革靴もピカピカ。手にはシミひとつない白手袋を嵌めており、清潔感があるのだが、異国の人ということも加わってなんとも近寄りがたい印象を受ける。
……なんだか、関わらない方がいい気がする。
「そ、それじゃ……」
俺はその男の横を通り過ぎようとしたが、男が素早く俺の腕を掴んだ。
「本当に、大丈夫ですか?」
「……は?」
男は黒い目で、俺のことを真っ直ぐに見つめる。その左の目の下にはホクロがあった。その泣きぼくろが妙に色っぽくて、見てはいけないような見た気がして視線を逸らす。
「いや、初対面の方に対してこんなことをいうのもアレですが……なにか、あったのかと。それとも……そういうのを好む人ですか?」
なにを言っているのか理解出来ない。
「大丈夫なんで……ッ」
俺は乱暴に男の手を振り払おうとしたが、男の視線が下を向いていることに気付いて動きを停止する。
そして、一瞬にして男の言いたいことを理解した。
そうだ、俺はキオンと……のあと、クローゼットに押し込まれて、そのあとラルスが来て、そんで、そのまま家を出てきて……。
俺は持っていたズボンを握り締めた。履いていなければいけないズボンを、だ。
死にたい。
こんな格好で外をうろついていたのに加え、見知らぬ異国の男に見られた。
「え……っと、取り敢えずそういう趣味ではない?」
「ッ当たり前だ!!!」
八つ当たりだと分かっていても、一瞬でもそんな勘違いをされたことが嫌で声を荒げる。
男はびっくりしたようで、俺の口元に白手袋で覆われた人差し指を慌てて押し付けた。
「静かに。誰か来たらどうするんですか」
そう言われると口を塞ぐしかない。
なにを思ったのか、男は自分が着ていたジャケットを素早く脱ぐと、俺の腰で両袖を結んだ。そのおかげで後ろはともかく、前は隠れた。
しかし俺は混乱した。
「えっ?いや、あの、」
「僕の家、すぐそこなんです。ケツから出てるそれ、気持ち悪くないですか?」
男は優しげに微笑んだ。
なんと人の良さそうな微笑みだろうか。
普通、そんな顔でさらっと言えないようなことを言い放ったが。
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