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黒髪の男
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「大丈夫。君になにかやましい感情があるわけじゃないですよ。ただ、精液垂れ流したケツで路地をウロウロしている方に会うなんて、人生でなかなかないじゃないですか?色々お話聞きたいです」
だけど、この人の笑みには裏があるような気がしてならない。キオンの笑みも意味ありげで気持ち悪いが、この人のは違う意味で気味が悪い。
男は首を傾けた。
「ぶつかってしまったお詫びだと思って、家に寄っていきません?お湯、ありますよ」
「いえ、さっきのは俺も悪かったので」
嫌な予感しかしなくて、即座に首を振る。
男の目が大きく見開いた。まるで聞こえなかったみたいに、右耳を俺の方に傾ける。
「えーっと……なんて?」
「だから、寄らないです」
「……なるほど」
そう言って少しの黙ったあと、俺に一歩近付いて口を開いた。
「じゃあ、率直に言いますが、僕は貴方に興味があります。だから家に来て、お茶でもどうですか?」
「ああ?」
今度は俺の耳が遠くなったみたい。
男に向かって右耳を傾けた。
「あ、下心はないです。ただ僕は、ケツからせいえ」
「それを何回も言うな!!」
なんかこの人と話すのは調子が狂う。絶対に着いて行きたくねえ。
男は「うーん」と悩ましげに声を上げ、顎を摩った。
かと思えば、おもむろに懐に手を突っ込んでなにやら取り出す。
「じゃあ、これ、どうします?」
「あ?なんだそれ」
なにか黒い物を持っていた。それは不思議と見覚えがあり、それを食い入るように見つめて、ハッとした。慌てて手に持ったズボンのポケットに手を突っ込んでみるがやっぱりない。
そして、再び男が手に持つそれを見る。
どっからどう見ても、俺の財布だ。
「……いつ取った?」
まさか落としたかと思ったが、それをこの男が拾うのも見ていないし、懐に入れたのも気付かった。
「人聞き悪いですね……あとでちゃんと返しますよ」
その発言はある意味、取ったことを認めることになるのだが。
しかし男は悪びれることもなく、にっこりと笑った。
「ね、僕の家、来る気になりました?」
本当に、気味が悪い。
顔は笑っているが、目は真っ直ぐ俺の方を見ている。
とんでもない男と関わってしまった……。
逃げるなら、今しかない。金より自分の身が大事だ。
「でも、知らない人の家に行くのは……」
俺は曖昧に笑ってやんわりと断りながら、ゆっくり後ずさる。
「そんなこと気にしているんですか?大丈夫です。お気になさらずに」
しかし、せっかく取った距離をすぐさま詰めてくる。
……仕方ない。俺は短く息を吐き出す。
その鳩尾に一発食らわせて逃げようと、右手で拳を作って突き出す……直前、男の目が細められ、ポケットに素早く手を突っ込んだ。
背筋が凍る。まさか、なにか武器を持って、
「あ、ちょっと一服してもいいですか?」
が、出てきたのはタバコの箱だった。
それを見た瞬間拍子抜けして、どっと身体から力が抜けた。
俺の気も知らず、男は当たり前の顔をしてタバコに火をつけて咥えた。どこかで嗅いだことがあるなと思ったら、さっきこの男に身体を支えられたとき嗅いだ匂いと同じだった。
ほんとに、なんなんだこいつは。
やたら美味そうにタバコを吸っている男を恨めしげに見つめる。すると男は首を傾けて「吸います?」と聞いてきた。
「俺、タバコ嫌いなんで吸わないです」と嫌味ったらしく言うと、男は目を瞬かせたあと笑った。
「そうなんですか、僕の好きな人と同じですね」
なんだそりゃ。
男は吸った煙を吐き出すと、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「モモセイズミです」
は?なに?
俺の表情を見て、男はクスリと笑った。
「僕の、名前です。イズミっていいます」
「……え、な、なんで?」
「なんでと言われましても、僕が決めたわけではないで」
「そうじゃなくて、なんで名前なんて」
聞いてもいないし、別に知りたかったわけじゃない。
すると今度は相手の方が不思議そうな顔をした。
「だって、さっき「知らない人の家に行くのは嫌だ」って言いましたよね?だから名乗ったんです。そしたらもう知らない人じゃないですよね」
「……はあ?」
「モモでも、イズミ、でもお好きなように呼んでください。あ、イズミンでもいいですよ」
俺は、ほんとにとんでもない男に関わってしまったかもしれない。
「じゃあ、立ち話もなんだからいきましょうか」
一瞬の隙をつかれて持っていたズボンをぶん取られ、イズミと名乗った男はさっさと歩き出した。
その後ろ姿と来た道を見比べて、ぐしゃぐしゃと後ろ頭を掻き乱す。
まんまと男のペースに乗せられるのは忌々しいが、ズボンがないのは困る。
ここから家までは走っても20分はかかるし、恥を偲んで店で買うにしても財布を取られた今金がない。
「……クソ」
俺は仕方なくついて行くことにした。
なにかあったらぶん殴って逃げて来ればいい。キオンに比べたら余裕で勝てそうな気がする。……さっき財布を取られたのは別にして。
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