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強い花
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それを見た瞬間、俺の息は止まった。見ていられなくて咄嗟に顔を背ける。
「……フン、この死にたがり屋め」
「え?」
つまらなそうに吐き出されたキオンの言葉に視線を戻すと、キオンはラルスの首から口を離していた。噛まれたラルス本人も状況が理解出来ていないようで、目を白黒とさせながら自分の首を触っている。
血が出ていない。というか、傷一つない……?
俺より一足先に我に返ったラルスが声を荒げる。
「なぜだ!殺せ!!俺を、俺を……殺してくれ」
するとキオンはガアッと吠えた。
「てめえはバカか!!俺はな、レイに嫌われたくねえんだよ!!そんなに死にてえなら、自分で首掻っ切って死ねッ!」
「なあっレイ!」とキオンが同意を求めてきて、俺は返事に困る。
いや、自分で言っておいてなんだが、「嫌いになる」の一言にこんなに破壊力があるとは思わなかった。
まだなにか言いたげな表情をしているラルスを見て、キオンはため息をついた。
「……感謝しろと言っているんだ、人間。止めようとしたレイと……それから、ヴァネッサに」
俺とラルスは同時に息を飲んだ。
「5年前のあの日」
キオンの目に切なげな色が宿る。
「お前を殺すつもりだった。この姿に変幻し、お前の頰に傷を付け、それから喉に噛み付こうとしたが、それを止めたのは紛れもない、ヴァネッサだ。ヴァネッサが「やめて」と言った。だから俺は……お前を殺さなかった」
それを聞いたラルスの表情がみるみる青ざめていき、声もなく「そんな」と唇が動く。
「お前はな!!まだ息があるヴァネッサを、森に捨てにきたんだよ!!なのに、なのに、ヴァネッサは俺にやめろと言ったんだ。そして、あいつは……、」
そこまで言いかけ、キオンは下唇を噛んだ。思い出すだけでも息がつまってしまうくらい苦しそうなキオンの傍らにいると俺まで息苦しくて、俺は首を振った。
「キ、キオン。もういい、もういいから、」
「……いいや、大丈夫だ。この話はレイにも聞いてほしい。レイだって知りたいだろう」
「お、俺は……」
「別に知りたくない」そう言えばいいのに、咄嗟に言葉が出てこなかったのは図星だったからだ。
俺の顔を見て、キオンは僅かに微笑んだ。
「ごめんなさい。……これが、ヴァネッサの最後の言葉だ。あいつはそう言って目から涙を流したあと、静かに事切れた」
それが、母さんの最後。
「な、なんで……」
恨みや妬みではなく、謝罪。
俺の言いたいことを察し、キオンは緩々と首を振る。
「5年経った今でも、ヴァネッサが最後に残した言葉は誰に向けられた言葉か分かんねえ。レイか、それとも俺が右腕を奪ったあの男に対する言葉か。ただ分かってんのは、あいつは自分の死を受け入れたということだ」
ずっと知りたかった母さんの最後。それが今、ようやく分かった。
「そしてここに、眠ってる」
「えっ?」
俺は自分の耳を疑った。弾かれたようにキオンのことを見ると、キオンはラルスのことを見つめていた。
「この場所はヴァネッサが好きだった場所だ。だからヴァネッサの遺体は、ここに埋めた。……これがもう一つの殺さない理由だ。ここでヴァネッサが守ろうとした奴を、俺は殺せない」
それからキオンは「ごめんな、レイ」と小さな声で謝った。
「いつか言わなければと思っていたのに、遅くなっちまった。せめてもの形見にって、ヴァネッサのイヤリングを取ったのもそのときだ」
風が吹き、左耳のイヤリングが揺れる。
……母さんは、きっとラルスのことを好いていた。恐らく、父さんよりも。
分かっていた。
母さんがラルスと話すとき、父さんと話しているときよりも幸せそうな顔をしていたことくらい。
分かっていた。
母さんがこのイヤリングを貰ったとき、父さんからキラキラしたネックレスを貰ったときよりも、嬉しそうだったのも。
『レイはなんにも知らない方がいいのさ。お前は、愛されているのだから』
……なぜ今、あいつの言葉を思い出す。
俺は足元に咲いた白い花を見下ろした。
「キオン。……ありがとう」
キオンは母さんのために行動してくれた。謝るなんてとんでもない、むしろ感謝してもしきれないほどだ。それに比べて俺なんてなんにも出来なかった。
「俺は……、なんて馬鹿なんだ」
ポツリと、ラルスは呟いた。
その顔に表情はなく、涙すらも出ない様子だった。
「ヴァネッサ……俺は、君の気持ちを利用した。なのに君は俺のことを……すまない、本当にすまない……俺が馬鹿だった。俺が……俺が死ぬべきだった。死にたい、俺は……」
そしてキオンのことを見つめたあと「すまない」と頭を下げ、それっきり項垂れてしまった。身体の大きいラルスがこんなにも小さく見えたのは初めてだった。
もう……、もう、やめてくれ。
俺はくしゃりと表情を歪める。
父さんに母さんを殺させてしまった自分を責めているに違いない。だが、もう十分じゃないか。ラルスはこの五年間もずっと苦しんだ。これ以上苦しむ必要はあるのか?
なのにラルス自身は罰を望んでいる。
俺は足を引きずりながらラルスに歩み寄った。
ラルスの前まで行って名前を呼ぶと、ラルスが緩慢な動きで顔を上げた。その顔は絶望に満ちていた。
「俺が憎いだろう、レイ」
「……でも嫌いにはなれないよ」
俺は膝をつくと、おずおずとラルスの身体を抱き締める。ラルスの体温を感じて息を吐き出したあと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「自分が悪いと思っているならどうか生きてくれ。それが罪滅ぼしだ」
ラルスの身体が震えて、小さく息を飲んだのが聞こえた。
「生きて、父さんの右腕になってほしい」
そう告げると、身体を離してラルスと顔を見る。
ラルスは泣いていた。
その涙を見て、俺はうっすらと微笑んだ。
これは、罰であり、許しだ。
その涙はそれがラルスにも伝わったというなによりの証拠だった。
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