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強い花
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ラルスがなにか告げようと口を開いたが、なにも言わなかった。否、言わせなかった。咄嗟にラルスの口を掌で覆ったからだ。
なにも言わなくていい。
首を振って目配せすると、ラルスは俺の掌の下で唇をきゅっと結んだ。
俺は手を退けると一度周囲をぐるりと見渡した。
「……時間がない。誰かがこの場所を見つける前に、言いたいことがある」
ラルスはなにも言わずに頷く。
少し、心臓がドキドキしていた。もう決めたことだというのに、ラルスに告げるのは勇気が必要だった。
しかしこの言い淀んでいる暇なんてもうないと分かっていた俺は、一つ大きく息を吐き出すと腹を括った。
「俺は街を出る。そして違う場所で、キオンと生きて行くことにした。こうなってしまった以上どちらにしろもう街には戻れないし……それに、俺はキオンと生きたい」
ラルスに許しをもらいたいわけじゃない。ラルスには自分が決めたことをきちんと伝えたかった。
心配性でお節介焼きのラルスなら引き止めるかもしれない。それを見越して、「もう決めたから」と続けて言うと堪らず顔を逸らすと同時に、どっと汗が噴き出した。
早く、なにか、なにか言ってくれ……堪らずそう叫んでしまいそうになる。
固唾を呑んで待っていると、ラルスの穏やかな声が降ってきた。
「はっきり自分の言いたいことを言えるようになったな」
「え……?」
ラルスは大きな掌で俺の頰を包み、視線を合わせてくる。そのときラルスの顔を見て呼吸が止まった。
怒りでも悲しげな表情でも、ましてや呆れているわけでもなく、ラルスは穏やかに笑っていた。
「泣き虫で、引っ込み思案。いつも俺たちの後ろに隠れて人の視線ばかりを気にしていたお前が、自分の気持ちを伝えられるようになった」
俺はハッとしたあと、少し困って眉を下げた。
「いつまでも子供じゃないよ」
「ああ、ほんとそうだな。だけど俺からすればずっと子供だ」
ラルスは俺の後ろ頭を愛おしそうに撫でる。
父親になったことがないから不確かだが、でもきっと今のラルスの顔は父親が子を思うときにする顔なのだろう。俺は確かにそう思った。
「レイ、俺はお前にどうこう言える立場じゃない。だけど正直お前を殴ってでも引き止めたい。俺が守ってやるって言いたい」
「……うん」
「でも……お前を守れるのは、いや、守る資格があるのは、もう……俺じゃないんだな」
ラルスはそっとキオンのことを見たあと、再び視線を俺に戻す。
「俺なんかよりも……、レイをちゃんと守ってくれそうだ」
俺はなんの迷いもなく首を振った。
「俺は俺を守ってくれるからキオンと一緒にいたいんじゃない。言っただろ?俺は、キオンと生きていきたいから、一緒に行くんだ。ラルスはラルスだ。資格がどうこうとか、そんなこと言うなよ……悲しくなる」
「……そうだな、悪い」
ハッとした様子のラルスはバツが悪そうにして視線を外した。
また沈黙が訪れる。接近したはずなのに、なんだか少し遠退いてしまったような気がした。
「……もう、行かなくちゃ」
この気まずさに耐えきれず、キオンに目配せをする。すぐに察したキオンが近寄ってきて、キオンの身体を借りて立ち上がった。
乱暴に目元を拭うとラルスも立ち上がった。
「時間は俺が稼ごう。その間にこの森を出ろ」
「ごめん……ありがとう」
もう一度だけ、ラルスが俺の身体を抱き締める。ぎこちないハグだった。俺は目を瞑り、そして瞼を開けると同時に身体を離した。
「行こう」
キオンの身体に跨り、大きく息を吸って吐いた。
キオンは振り返ってなにか言いたげだったが、俺が小さく首を振ると「しっかり掴まれよ」とだけ言って前を向き、ゆっくりと歩き始めた。
もう、振り向かないと決めた。振り向いたら最後、ラルスに泣きついて離れたくなりそうだったから。
もう二度と会うことはないだろう。
俺とラルスは口に出さずともそれを分かっていた。だから今しか言いたいことを言えないだろうに、だからこそお互いにぎこちなくなって、大したことが言えなかった。
自分の言いたいことを言えるようになった?
そんなことない。
鼻の奥がツンとして首を振る。
やめろ、もうなにも考えるな。泣くな、最後くらい。情けねえ。
目の前が涙に滲んだときだった。
……声が聞こえた。
ラルスの、凛とした声。
そのとき周りの音が消え失せてしまったのではないかというくらい、不思議とラルスの言葉だけがはっきりと聞こえる。
ああ、クソ。クソッタレ。こいつはほんとに……。
俺は手の甲で乱暴に目元を拭うと、すっと背中を伸ばす。自然と表情は綻び、涙が出てくることはもうなかった。
返事はしなかった。しなかったけど、その代わり右腕をあげて手を振った。
ラルスに背中を押された。そんな気がして、誇らしくてたまらない気持ちでいっぱいだった。
花畑を抜けた瞬間、キオンが駆け出す。
冷たい風が頰を叩き、俺のコートを、イヤリングを、髪を、揺さぶる。俺は風を全身に浴びながら、目を細めた。
一度くらい……呼んでも良かったかな。なあ、
「……俺もだよ、お父さん」
俺の呟いた言葉は風に消えた。
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