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墓までもっていく話
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そして、あの日が訪れた。
忘れもしない、俺と彼の関係が変わった日。
……あの日は、母さんの誕生日だった。だから学校帰りにヴァネッサと一緒に花屋に行って、出し合ったお小遣いで小さな花束を作ってもらった。
「喜んでくれるかな」と楽しげに言うヴァネッサと手を繋ぎながら花屋を出た瞬間、偶然にも彼と鉢合わせになった。
「よお!今から家に帰んの?」
俺はいつもの調子で声をかけたが、返事が返ってくることはなかった。その代わりに彼は露骨に顔を顰めており、ここを通ってしまったことを後悔しているようだった。
今にでも走って逃げてしまいそうな彼を引き止めたくて、必死に頭を回転させる。そして、そういえばヴァネッサを紹介したことがないということに気付き、人見知りをして俺の後ろに隠れたヴァネッサを見遣る。
たとえ兄という贔屓目がなくても、本当にヴァネッサは可愛い。
そんな妹を自慢したい……と思う反面、もしかしたら彼はヴァネッサに興味をもつかもしれないと考えたのだ。そしたら俺と喋る機会も増えるかも、なんて安易な考え方をした俺は、彼にヴァネッサを紹介することにした。
「大丈夫だ、ヴァネッサ。自己紹介してごらん」
俺がヴァネッサの肩を優しく掴んで、ヴァネッサを彼の前に連れ出す。
ヴァネッサは恥ずかしそうにもじもじしながら「ヴァネッサ・ヘルゲンです」となんとか答えると、サッと俺の後ろに隠れた。
俺はヴァネッサの頭をゆっくり撫でながら、こんなに可愛い妹がいるんだぞ、という優越感に浸っていた。
「な、な、可愛いだろ?俺の妹」
無意識のうちに鼻を鳴らしながら、彼の顔色を伺う。
まあ、あれだけ堅物で、いつも不機嫌そうな表情をしている彼が「可愛い!」なんてはしゃぐことはないだろうが、ちょっとは笑ってくれたら……と、思っていたのだが。
「……うん」
俺は驚いて目を見開く。
彼が、返事をした。
話を振ったのは俺だが、俺は「この人はだれ?」というヴァネッサの問いかけに返事も出来ないくらいの衝撃を受けた。
しかし彼の次の行動に更に驚愕した。
彼は自ら歩み寄って、ヴァネッサのことを見つめるなり、微笑んだ。
「クシェル、クシェル・ギーツェンだ」
この顔だった。
俺が、彼に、クシェルにさせたかった表情だ。それが今ようやく見られた。
しかし、ちっとも嬉しくなかった。この顔にさせたのは俺じゃない、ヴァネッサだったからだ。俺がいくら笑い話をしても、優しくしても、彼が俺に笑いかけたことは一度だってない。
……なぜ?
なのにヴァネッサは特になにかをしたわけでもなく、あっさりクシェルの笑顔を引き出した。
このときの俺は、きっと表情が強張っていたに違いない。そんな恐ろしい顔でヴァネッサのことを見下ろした。
可愛いヴァネッサの顔が歪み、全く違うものになる。その顔は俺がヴァネッサに会う前に想像した悪魔そのもので、俺は恐怖し、慌てて目を擦る。目を開けたら可愛いヴァネッサの顔に戻っていた。
俺は誰にも気付かれないよう、小さく唾を飲み込む。
なんだ、このモヤモヤした気持ちは。
自分の中に渦巻く、このドス黒い感情の正体が分からなかった。
……今ならはっきりと分かる。
あれは間違いなく嫉妬であった。
醜い醜い嫉妬。
嫉妬は醜いものだ。それを知ったのは俺が大人になってからだった。
それから、俺たちは三人でいることが多くなった。
あれだけ俺を嫌がっていたクシェルが自ら話しかけてくるようになったからだ。
きっとヴァネッサ目的だということは分かっていたし、なによりそう仕向けたのは自分自身だったから、クシェルのことを拒むなんてことはしなかった。
登下校も一緒だし、遊ぶのも一緒。
意外にもクシェルには天然っぽいところがあって、真面目な顔でおかしなことを言うのには腹を抱えて笑った。
ヴァネッサは本当に楽しそうにしていたし、どうやらヴァネッサもクシェルのことを気に入っていたようだった。最初は「クシェルお兄ちゃん」と呼んでいたのに、俺の真似をして呼び捨てで呼び初めたのに時間はかからなかった。
俺以外に親しい人がいなかったから、クシェルが遊び相手になってくれたのは嬉しい。
だがその反面、少しムカムカしていた。
……ヴァネッサがいなかったら、クシェルは俺に興味を示さなかった?
そのことを考えると堪らなく怖くなって考えるのをやめる。しかし二人の顔を見ていると再びその疑問が頭に浮かんできて、どうしようもない気持ちになる。
この関係が気に食わないわけではないし、むしろいいことの方が多いはずなのに。
たとえば、そう。クシェルとつるむようになってからヴァネッサは変わった。
昔はいじめっ子に泣かされてばかりだったのに、今や髪の色のことをバカにされれば、そいつの髪を掴み、謝るまで引き摺り回す。
ずっとヴァネッサのことを虐めていた男の子は、ヴァネッサに蹴っ飛ばされて川に落ちて以来、ヴァネッサのことを怖がって近寄らなくなった。悪知恵を貸したのは勿論クシェルだし、川に落ちたそいつを見て一番笑っていたのもクシェルだった。
「お兄ちゃんお兄ちゃん」と俺の後ろにばかり隠れていたヴァネッサが、もう遠い過去に思えた。
ほんの少し寂しいと思う反面、嬉しくも思った。
そして、俺も変わった。
ヴァネッサのことを愛おしそうに見つめるクシェルのことにも気付いていた。
そしてヴァネッサがそれに気付かないフリをしていたことにも気付いていた。
なにか半分こするとき、クシェルがヴァネッサに少し多くあげることも、ヴァネッサの髪についたゴミを取るフリをして余計にその髪に触れていることも、俺は知っていた。
前の俺だったら、なにか言ったかもしれない。
クシェルのことを茶化して、ヴァネッサのことをからかって、笑いのネタにしたかもしれない。
だけど、俺は全部知らないフリをした。
見ていないフリをした。
その方がいいと思った。
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