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墓までもっていく話
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……ヴァネッサの身体は軽かった。その身体の重みを感じながら、しかし彼女の顔は見ないようにした。
ヴァネッサ。俺が殺した、ヴァネッサ。
彼女は、なにを思ったのだろう。
そして俺が今きみの遺体を捨てに行こうとしているともしも知ったら、どう思うだろう。
森の中に当然街灯はなく、月明かりがなければ手を伸ばした先すらも見えなかっただろう。俺は月明かりでぼんやりと照らされた山道を歩き進めて、時折空を見上げて星を眺めた。
森に入って30分ほど。少なくとも30分は歩いたつもりだったが実際は分からない。俺は腕が疲れてきて、たまたま目に入った木の根元に彼女の身体を置き、額にかいた汗を拭った。
このとき、俺は彼女の顔を見た。
白い顔はより一層白く照らされ、驚くくらい穏やかな顔をしていた。
その瞬間、心臓を鷲掴みにされたみたいに、胸がぎゅうっと苦しくなった。
俺を、愛してくれたヴァネッサ。
ヴァネッサの頰に触れようと手を伸ばし……、その木の背後から飛び出てきたそれへの対処が、ほんの少しだけ遅れた。
慌てて後退した途端、右の頰がチリッとして咄嗟に手で押さえると出血していることに気付いた。そして結果その頰に負った傷は戒めのように一生残ることとなるのだが、その傷を負わせた相手のことをこのとき初めて見た。
それを初めてみた瞬間に、かつてヴァネッサが言っていたことを思い出した。
『あの森にはね、人喰いの狼さんがいるのよ』
俺は信じていなかった。今まで森へ猟に行ったときも出くわしたことはなかったし、狼が生息しているような様子もなかったからだ。だからヴァネッサにそう言われたときは冗談だと思って笑った。
だが俺の前に現れたそれは、狼というにはあまりにも大きすぎた。
俺は体格のいい方だが、それは優に俺より大きくて、先ほどの攻撃は前脚からの攻撃だったと悟ると途端にゾッとした。少し回避が遅れていたら誰か分からなくなるほど顔がめちゃくちゃになっていたに違いない。
それは化け物じみていたが、確かに狼だった。
琥珀色の瞳が俺のことを睨んだあと、狼は空に向かって吠えた。それは空気を震わせるほどの咆哮で、聞いた途端に肌がビリビリとし、そしてこんなのに勝てるわけがないと本能が叫んだ。
俺はヴァネッサのことはそのままに、その場から転がるように逃げた。
あいつが追ってくるのではないかと思って、森を出るまで何度も振り返って確認したが奴の姿はなかった。だからそのときは、ヴァネッサのことを喰らうので手一杯だと思っていた。
その狼が実は半分人間で、そして再び奴が俺の前に現れたこと、そして、ヴァネッサのことを手厚く葬ってくれたなんて、夢にも思っていなかった。
……俺はゆっくりと顔を上げた。
目の前に広がるのは、ヴァネッサが好きだったという花畑。
そしてその花畑の先に、狼に連れられて俺から遠ざかっていくレイの後ろ姿が見えた。
……きっとレイは、俺がクシェルのことをどう思っているのか知っている。そして、クシェルのそばにいられることを、俺は幸せに思ってしまう。
それも理解した上で、レイは俺に罰を与えると同時に許しもした。それに気付いて、俺は泣いた。
レイは俺が思っていたよりも、ずっとずっと大人だった。これからもっと成長して、俺なんかよりもずっとずっと……、
俺は拳を握り締めた。
こんなこと、俺が言っていいわけがない。だけど……どうせ俺の地獄行きは決定だ。今更、なにを恐れる。
「っ、レイ!」
自然とこぼれた笑みをうかべながら、俺は叫んだ。
「愛してる!お前がどこにいようとも、俺は、ずっとずっと……、お前のことを愛している……!」
生きてくれ。幸せになってくれ。
レイから返事はなかった。当然この距離だ。聞こえていないのかもしれない……そう思った矢先、レイの右腕が上がったのが見えて胸が熱くなった。言葉はなくとも、それで十分だった。
すぐにレイの後ろ姿は見えなくなり、花畑に一人になった。
……いや、違う。見えないだけで俺は一人ではない。
俺は前を向いたまま、話しかけた。
「……レイは本当に強い子になった。君にとても似ている」
返ってくるはずのない返事をほんの少し待ったあと、俺は立ち上がった。
そして一度だけぐるりと花畑を見渡したあと、またここを訪れようと決めてその場を立ち去った。
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