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第18話
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「亨!」
だから本当に彼が飛び込んできた時には…一瞬は信じられなかった。
「お前…一体何してる?手を離せ!この野郎!」
優留は目にした光景に激昂した。あるだけの力を込めて篠山を亨から引き剥がし、さらに突き飛ばした。そして亨に近づけないよう、二人の間に割って入った。亨は背後から、優留に無我夢中で縋り付いてきた。ガタガタと震えているのが優留にもはっきり伝わってくる。
「何だ、てめえは。勝手に上がり込んできて邪魔すんな!」
「勝手に上がり込んできたのはお前の方じゃないのか。俺は……レッスンの時間に遅れたから急いで来てみたら…ですよね。松波先生」
努めて冷静に振る舞う優留だが、自分で自分の表情が険しくなっているのがわかる。このまま怒りが収まらないと般若みたいになりそうだ。
「うん……」
まだ息が上がっていて、亨は相槌を打つのがやっとだった。
「そいつは…以前勤めてた会社の元同僚。突然訪ねてきて、金を貸せっていうから、そんな金ないって突っぱねたら…」
「つまり、恐喝…ですか」
優留は、床に落ちていた篠山のスマホを取り上げると、保存されている画像データを確認した。こういう輩がやりそうなことは想像がつく。
「よし、間に合った。何も入ってない。…どうします?先生」
「出てって貰えればいいよ。神崎さんが来てくれて…未遂だったし証人にもなってくれたから。とにかく、二度と来ないでくれ…」
もう、一分たりとも、篠山と余計な関わりは持ちたくない。
「…だってさ。早く行けよ」
優留が放り投げたスマホを拾うと、篠山は「くそっ…」と悪態をついて、少しよろめきながら出て行った。
そういえば亨があの会社に勤めていた頃から、篠山がスロットか何かに嵌っているらしいと聞いたことがあった。恐らくギャンブルで借金でも作ったのだろう。
当時の弱々しかった亨を覚えていてどうにかなると踏んだのだろうが、多分二度とここへは来ない気がする。乱れた服装を直してから、亨は大きく、安堵の溜息をついた。
そして、ようやく気がついた。優留は何故ここに?
それを尋ねようとした亨は、しかし優留がレッスン室の床に座り込んで俯いていることに気づいた。亨も床の上に正座して、優留に向かい合う。
「…あの」
「…なーんてな。俺だって…あいつと同じことやったのによく言うよな」
いや、もっと酷いことをした。あの男を見て、自分がしたことがいかに下劣だったのかつくづく思い知らされた…。優留は先ほどまでとは打って変わって、力のない声でたどたどしく亨に心境を語った。
「俺は…あの時のことをどうしても松波さんに謝りたいと思って、今夜ここへ来ました。だけど…それは間違いだった。一方的に区切りをつけたい、ただの俺のエゴ」
自分が最低なのは帳消しには出来ない。理屈ではわかっていたが、肌身で感じると…何と虚しいことだろう。してはならないことは、してはならない。それを破れば一切の解決の余地はないのだ。
「うん、やったことは取り返しきかないもんね」
淡々と、亨は言葉を返した。
「…」
優留は言葉が出なかった。亨にもっと謝意や誠意を示したいと思っても、どう言えばいいのか、考えていた以上に難しい。いや、言葉で表すのは殆ど不可能だ。言葉で表しても伝わらず、跳ね返されて再び自身で飲み込んで…腹の底に石が溜まるみたいに体も心も重たく、苦しくなって…
罪の重さとはそのことを言うのだ。人がはじめからそのことを知っていたら、この世で無数に生まれる罪の数は、少しは減るのかもしれない。
そんなことまで思い測って黙り込んでしまった優留を、同じく黙って見つめる亨は、何か察するところがあったのだろうか。
「だけど、神崎さんがそれを悪いと思ってるって、わかればちょっとはね…僕も腑に落ちるところがあります」
「と…あ、いえ、松波さん…」
「それに今夜来てくれたのは偶然だけど間違いじゃなかった。でなきゃ僕はどうなってたか…」
そもそも、「最低」にすらレベルがあるなんて初めて知った。亨の目にはあの篠山と優留では、雲泥以上の差があるように見える。
「だから…助けてもらったし、神崎さんが僕に謝るって言うなら聞いてみる。あんなことになった言い訳もあるならそれも聞く」
表向きは、あたかも興味がないように見せかけた亨だったが、心の中では…ずっと望んでいたことだった。
彼があの時、あれほど苦しそうな顔をしていた理由を知りたい。
どこから話せばいいのか見当がつかない…。優留は迷っていた。だが、まずはあの晩のことから、と考えたようだ。
亨とM駅の前まで来た時、女性の後ろ姿を見かけた。ほっそりした体型に長い髪…自分の母親によく似ている。しかし、いつの記憶の姿なのかはもう、優留にもわからない。
優留は母親本人のことを思い出した時、あるいはよく似た女性に出会うと、パニック障害に近い症状を引き起こした。震えや冷や汗、心拍が上がって呼吸が苦しくなる時すらある。あの晩の症状は最近の中ではひどい部類に入るだろう。立ち止まったまましばらく動けなくなった。心理的にも不安で堪らなくなり、亨が付き添うと言ってくれたことに、つい甘えてしまった。
あの時、足を引きずってでも、一晩かかってでも自分一人で帰宅していたらよかったと思う。亨を部屋に招き入れたら、今度は彼が部屋から去って一人きりになるのが怖くなり、亨を引き止めることに躍起になった。
それでも亨は、夜遅くなって電車の本数が減ることを気にしたのだろう。帰らなければ、と言って部屋を出て行こうとした。
亨の行動が引き金になった気がする。彼に対する様々な記憶や感情が突然、優留の内側から一気に噴き出した。カフェで家族と楽しそうに過ごす様子を羨み嫉妬したこと、そして亨が傍にいてくれれば自分もその幸福を得られるかもしれないと…淡い望みに縋っていたこと。
だが、優留自身も自覚しておらず、しかも最も制御不能だったのは、亨に対する性的な欲望だった。…いや、実際にはしばしばその予兆を感じながら、自身の中で葬り去ろうとしていた気もする。
部屋から出て行こうとする亨を引きとめようと腕を掴んで引き寄せて…キスをしたまでは衝動の範囲だったかもしれない。だがその瞬間に亨とのセックスの渇望を自覚してしまった。
その後の自分は…もう怪物も同然だった。荒れ狂う感情のまま、欲しいままに任せて亨を容赦なく傷つけてしまったのだ。
無理やり繋がって…彼から全て貪り奪い尽くした。
こんなのはまるで…
俺もまるで同じじゃないか。あの女と…俺の母親と…!
その時の自分を支配したのは抗えない快楽と、自身を徹底的に引き裂くような嫌悪感…俺は、こんな方法でしか望んだものを手にすることができないのか。
それは…俺があんな親から生まれてしまったからなのか?
一言一言、喉の奥から絞り出すようにして優留はあの晩の自分を語った。
だけど。優留は付け加えた。
俺の行動がたとえ…親譲りの精神的な欠陥に端を発したものだとしても、自分のしたことがそれで軽くなるとは思っていない。
亨にとっては、誰が原因だろうが一切関係ないんだから。
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