アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
4.My Heroー聡志ー
-
その日はやけに暑かった。まだ5月だというのに、最高気温は25度もある日だった。
移行期間が来ていないから学ランを着ていたのだが、その中は汗でじっとりと湿っていたのを覚えている。
俺は、休み時間に学校を抜け出してコンビニで買ったパンやジュースを抱えて走っていた。
『遅せぇよ真田、いつまで待たせんだ』
『腹減ったんだけど。ちゃんと言われた通り買ってきただろうな?』
『ほら、早く貸せよ』
ガラの悪い三人組。全員俺と同じ一年生で、小学生の頃から同じ学校だ。俺は所謂パシリとしてこいつらに使われていた。
『あれぇ〜真田くん、俺コーラ頼んだと思うんだけどなぁ。入ってないよ?』
「えっ…でもさっきはサイダーって…」
『口答えすんじゃねえよ』
「っ…ごめ…なさ…」
『聞こえねぇな〜何だって?お前聞こえた?』
『いいや、全く聞こえなかった』
『じゃあ…〝土下座〟だな』
こんなことはいつもの事だった。教師の目を盗んで学校を抜けることさえ大変なのに、毎回頼んだものと違うといちゃもんをつけられる。
もちろん俺は最初に聞いた通りのものを買ってきた。俺はこいつらの、玩具にされていた。
拍手をしながら土下座を催促される。
こんな屈辱に、抗えない自分が嫌いだ。弱い、俺はずっと弱いままだ。オヤジの名前を借りればこいつらなんて何ともないことは分かっている。けれど、そうしたくない自分がいた。
唇を噛んで、屈辱と怒りにうち震えながら地面に膝を付く。手を膝の前に付いて、頭を下げた。
「…ごめん、なさい…」
『また土下座しちゃったよ、人間として恥ずかしくねえの?』
『ごめんなさいじゃ誠意が伝わってこねぇな』
『ほら、もう一回やれよ』
「本当に…すみませんでした」
地面についた手を靴でグリグリと踏みつけられる。
「い゛っ…あ…やめ、て…」
『〝申し訳ございませんでした〟だろ?』
「う゛…申し訳…ございません、でした…」
『うける、写真撮っておこうぜ』
『いいね、記念撮影』
『ほら真田、こっち向けよ』
「っ…くっ……」
『はぁ?なぁに、その顔』
『ムカつく面してんなぁ…反省してねえだろ』
髪の毛を乱暴に掴まれ、ぐっと顔を上げられる。
『そうだ、今日はお前にいいもんくれてやるよ』
『ああ、アレ?よかったな真田』
『お前の髪の毛、校則違反だもんな』
「ちがっ…これは、地毛だって…!」
『つべこべ言うんじゃねえよ、ほら』
ずいっと前に出されたのは、書道で使う墨汁だった。それを見て、こいつらが何をしようとしているのかを察し、思わず後ろに飛び退く。
「やだ…な、何を…」
『これで黒染めしてやるよ』
『これでその空っぽの頭も良くなるといいねぇ』
『はは、こいつ怯えてやんの』
「やめて、それだけは…!」
『…押さえておけ』
「嫌だ、嫌だぁ!!離…して!」
『ほら、いくぞー』
墨汁のキャップが開けられ、ぎゅっと目を瞑る。次の瞬間、鈍い衝撃音と呻き声が聞こえた。
パッと目を開くと、そこには腕を押さえた主犯の一人と、学ランを着崩した長身の男が立っていた。かなり背が高いから3年生だろうか。金属バットを片手に、こちらを見下ろしている。
身震いするほどのオーラとその風格に、俺は釘付けになった。なによりその男の咥えたタバコが、俺には人生で一番輝いて見えたものだった。
「…何をしている」
『誰だ…てめぇ!』
『こいつ…同じ学年の上杉ってやつだよ…!』
『上杉って…親がヤクザっていう、あの…?!』
三人組の話によると、どうやらこの男は上杉というらしい。親がヤクザと聞いて少し親近感が湧くが、俺とは似ても似つかない。
「質問に答えろ。何をしていたんだ」
『別に、こいつとちょっと遊んでやってただけだぜ?』
『そうだよ、お前には関係ねえって…』
『今何も見てない事にしてくれればいいからさ』
「…そうなのか?こいつらとお前は遊んでいただけか?」
これは、俺に向かって言っているのだろうか。ここで否定なんかしたら、後であいつらに何をされるか分からない。けれど、俺は本当にこのままでいいのだろうか。
「お…れは、その…」
『おい真田、てめぇ余計なこと言ったら…!』
「お前には聞いていない、黙ってくれないか…真田というのか、お前は。正直に答えろ真田。お前の言葉で」
俺の…言葉で…?俺は、俺は…
「…ち、がう…!こいつらに、いじめられて…!」
『ふざけんなよ真田…!う゛っぐっ…』
一人がその場にうずくまって倒れる。上杉という男は、残りの二人をその切れ長の目で嘲笑うように睨みつけた。
「どうやら嘘をつかれたようだな…お前達に、慈悲などはいらないな?」
『ち、ちげえんだよ、許してくれ!』
『そうだよ、落ち着けって上杉…!』
次の瞬間にはもう、残りの二人も地面に突っ伏していた。そして俺の方をジロリと見つめられ、肩がビクリと跳ねる。
「真田…と言ったか、本当はいつも見ていた。遅れてすまない」
「きみ…上杉くんは、なんで…」
「お前のようなやつは放っておけない性分なんだ。お前も、ちゃんと自分の言葉で言えるようになって良かったな」
「う、うん…」
切れ長の目を細めて、僅かに口角を上げて笑ったその顔は、先程までのこの男とはまるで違って見えた。
「それにしても上杉くんというのは何だか違和感があるな…下の名前は謙太というのだが、それも何だか…何と呼びたい?」
「よ、呼びたいって言われても…」
「親しみを込めてあだ名で呼んでくれても構わないぞ」
そんなことを急に言われても困ってしまう。上杉謙太…謙太…
「謙…ちゃん?」
「謙ちゃん…?うん、初めて呼ばれるな。可愛らしくていいじゃないか」
「そ、そうかな」
「お前は、なんというんだ?」
「さとし…真田聡志。俺は聡志でいいよ…」
「そうか、聡志…覚えた。これから何かあったら、いつでも俺を呼ぶといい。勿論、お前がよければの話だが…」
あまりの衝撃的な出来事の連続に、頭が追いつかなかった。ただひとつ分かることは、俺の謙ちゃんへの憧れの気持ちが、この日芽生えたこと。今までにないくらい早まる鼓動が、それを証明していた。
謙ちゃんは、この時から俺のヒーローだった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
5 / 30