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後ろ向き少年常磐 慎(ときわ まき)
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快晴の春。いつもより浮ついた雰囲気の駅のホーム。
本州より南寄りにある地元は、桜が咲き始めている。
新しい生活を始めるには絶好の日と言えるだろう。
だけど、僕は……。
「はぁ……」
昨日の晩からため息が止まらないでいる。
僕にとっての新しい生活。それは初めての高校生活。
中学生だった頃は、高校生という少し大人な存在に憧れたものだった。
それがまさか、「第一志望校に落ちる」という、ただそれだけのことでここまで暗雲立ち込めるものになるとは思いもしなかった。
「はぁ……」
「あれ、常磐君?」
二度目のため息をついた時、背後から声をかけられた。
「……野々瀬?」
元同級生の名を呟きながら振り返ると、案の定そこにはニコニコと明るい笑顔を浮かべた野々瀬――……野々瀬 司が立っていた。
「おはよう! 卒業式以来だね、元気だった?」
「あー、うん。元気だったよ。野々瀬も元気そうだね」
中学の時から元気いっぱいだった野々瀬は、制服が変わっても元気いっぱいだ。
ただ、学ランだった制服がブレザーに変わったことで、中性的な雰囲気がより一層強くなっている。
簡単に言うと、男から見ても、可愛い。
「? 制服、似合ってないかなぁ?」
まじまじと見ていた視線を勘違いしたのか、野々瀬はブレザーの裾を引っ張ったりしてキョロキョロしている。
「ごめんごめん、そんなことないよ。似合ってるなって見てただけだから」
苦笑まじりに謝ると、ほっとしたような笑顔を返される。
「そっか、よかったー! 常磐君も制服、バッチリ似合ってるよ!」
「……あ、ありがと」
グッと親指を立てての言葉に、素直に喜べない僕は作り笑いを浮かべる。
ホーム内にちらほら見かける第一志望校の制服が、羨ましくて眩しい。
僕の来ている制服は、野々瀬と同じ型のブレザーだ。
ブレザーに憧れていた部分もあったから、制服に文句はない。……文句はないんだ。
「ねぇ、せっかくこれまで同級生だったんだから、高校でも一緒のクラスになれたらいいね!」
「あはは、そうだね」
野々瀬とは中学の3年間、ずっと同じクラスだった。
だからといって特に仲が良かったわけじゃないんだけど。
野々瀬はクラスの中心グループで、周りにいつも誰かしらがいた。
人懐こくて明るい性格に可愛い容姿、これが放っておかれる訳がない。
そんな野々瀬に、どちらかというと引っ込み思案の僕が自分から話しかけることなんてほとんどなかった。
「これからもよろしくね!」
「……うん、よろしく」
差し出された右手を握り返す。
このマイナスイオンでも出ているんじゃないかって笑顔を見ていると、なんだか色々とどうでもよくなるな……。
「あっ、電車来たよ!」
野々瀬が指差す方向から、ゴトゴトと音を立てて電車がやってくる。
終点一つ前のこの駅は、普通列車しか止まらない。
座れないことが滅多にないことが取り柄だろうか。
僕らが通うことになる高校……県立坂上第一高校は、ここから6駅の距離だ。
そこからバスに乗って移動して……受験の時に行った時は、大体1時間かかった気がする。
……遠いよなぁ。
「さ、行こっ!」
電車のドアが開くまでの間、ぼんやりとそんなことを考えていた僕の腕を野々瀬が引っ張った。
とりあえず、初日の今日、一人で行くことにならなくてよかった。
明るい野々瀬は、重たい気分を随分と紛らわせてくれる。
「野々瀬、ありがと」
「ん? なーに?」
「ううん、なんでもないよ」
首を傾げる野々瀬に、僕は笑ってひらひらと手を振った。
――……うん。第一志望じゃないからって、学校生活を楽しまないなんて損だよね。
ただ一つ、気がかりなことがあるけど……。いや、坂上第一はマンモス校だ。
相当の運の悪さがない限り、人ひとりとなんか関わることなく安穏と過ごせるだろう。
動き出した電車の中でそんな風に思い直し、僕は新生活へ向けて気分を切り替えるのだった。
***
「うわーあ、キレイだねー!」
他愛もない話をしながら着いた坂上第一高校、略して坂高の正門に立ち、野々瀬が感嘆の声を上げた。
野々瀬の視線の先には、正門から真っ直ぐに校舎まで続く道の両側に、八分咲きの桜が植えられている。
その風景は確かに綺麗で、僕もつられて見入ってしまう。
「ほんとに、きれいだね……」
「ね。入学早々、こんなキレイな景色が見れて、なんだか嬉しいな」
言葉通り嬉しそうに笑う野々瀬の顔に、桜の花がかぶって見える。
ああ、野々瀬の笑顔って満開の桜みたいなんだ。
見ていて癒される、華やかで、それでいて儚い桜色の花。
「んん? なーに?」
「あっ……いや、なんでもないよ! さ、早くクラス発表見に行こうよ!」
訝しげな野々瀬に、思っていたことを素直に言えるわけもなく、僕は野々瀬の手を握って駆け出した。
多分、クラス発表は合格発表の貼り出しがしてあったのと同じ場所……体育館の横に貼ってあるだろう。
僕のその予想は当たっていたらしく、白い紙の貼った立て看板の前に生徒が群がっている。
「うーん……どこかなぁ」
平均よりやや小さい野々瀬は人混みで見づらいようで、ぴょんぴょんと小さく跳ねながら紙を見ている。
その野々瀬よりは多少背の高い僕は背伸びしてA組から順に見ていく。
A組……ないな。B組は……
「あっ、あった! B組だ。野々瀬も一緒だよ!」
「えっ、ホント!?」
B組の真ん中より上あたりに僕の名前、少し下に野々瀬の名前が書いてある。
「あー、常磐君と同じクラスでよかったぁ!」
自分の名前を確認して、野々瀬は安心したように微笑んだ。
名前だけ元同級生な僕なんかと一緒で喜ぶ野々瀬に、意外な一面を見た気がする。
「野々瀬って、新しいクラスに知り合いがいなくても平気なタイプだと思ってたよ」
「え、そんなことないよー! 特に今年は常磐君しか同じ中学の子いないから、すっごいドキドキしてたんだから!」
……そういえば、そうだった気がする。
周りを見ても見知った顔は一人もいない。
「えへへ、嬉しいな。幸先のいい1年になりそう」
「そうだね」
照れくさい気分で野々瀬と笑い合う。
同じ中学の同級生が僕しかいないからって理由でも、野々瀬が喜んでくれてるならそれでいいや。
「じゃあ、1-Bに行こう――へぶっ!」
くるりと後ろを向いて歩き出そうとした時、丁度後ろに立った人にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
謝りながらぶつかった相手の顔を見上げる。
背が随分と高い。180cmはあるだろう。
ちょっと目つきが鋭いけど、女の子にモテそうな顔とスラリとしたスタイルをしている。
「ああ、へーきへーき。俺こそ悪かったな」
10cm以上上の目線から二ッと笑いかけられる。
笑うと鋭い目が柔らかく細められて、印象がぐっと変わった。
学年の目安になっているネクタイは、僕たちと同じモスグリーンだ。
……ということは、こんなに背が高いのに同学年なのか?
「おー、B組かぁ。知り合いは……やっぱいねぇよな」
紙を眺めて自分の名前を確認したのか、背の高い彼はガシガシと頭を掻いた。
「あの、キミもB組なの?」
身長差から、上目遣いになりながら野々瀬が訊ねる。
「ああ。”も”ってことはお前も?」
「うん! ボク、野々瀬司! よろしくね!」
早速、コミュ力の違いを見せつけられてしまった。
羨ましい。僕にはとても真似できそうにない。
「そっか。俺は藤臣甲斐だ。お前は?」
「えっ?」
いきなり話を振られて僕はドギマギして挙動不審になる。
……これがコミュ力のない人間の見本です。
「あ、えっと、常磐、槙です」
「ふーん。お前もB組?」
「あ、う、うん」
しどろもどろになっている自分が情けない。
だけど藤臣君は気にした様子もなく、ニカっと歯を見せて笑った。
「これから一年、よろしくな。野々瀬に常磐」
「! うん、よ、よろしく……!」
「よっろしくねー!」
藤臣君もかなりのコミュ力の持ち主のようだ。
僕もまずはコミュ力を身につけるところから始めないと!
「んじゃ、教室行こーぜ」
「うん!」
僕が当初の目標を心に決めている間に、藤臣君はさっさと背中を向けて歩き出してしまう。
その後をついて行く野々瀬の更に後ろをついて行きながら、僕は目標達成の難しさを実感するのだった。
***
「……ねぇ、藤臣君ってもしかしてバスケ推薦生?」
教室へ向かう途中、不意に野々瀬が藤臣君に問いかけた。
バスケ、という単語に頭の隅がチクっと痛む。
「おう、よく分かったな。つか、甲斐でいいぞ。なんで分かったんだ?」
「背が高いから!」
「……お前なぁ」
単純な答えに藤臣君はがっくりと肩を落とす。
そんな藤臣君の姿を楽しげに眺めながら野々瀬は言葉を続ける。
「……っていうのは半分憶測で、知り合いのセンパイからちょっとだけ話に聞いてたんだ。期待の新人が入るって」
「期待の新人? そう言われると照れるな……」
野々瀬の言葉に、藤臣君は表情を緩めて頭を掻く。
「まぁ甲斐のこととは限らないけどねっ!」
「……司……」
上げて落とすプロがここにいた!
二度も上げて落とされた藤臣君は、恨めしそうな視線を野々瀬に向ける。
すっかり馴染んでるなぁ、この二人。
ちょっと、羨ましい。
……でも、それよりも気になっていることがある。
野々瀬の言う「知り合いのセンパイ」。
それってまさか、まさかだよね……。
自分に言い聞かせるが、嫌な予感はどうにも拭えない。
――……バスケ部の知り合いのセンパイ。
今日入学する野々瀬の、知り合いのセンパイ。
それは、中学の時からの知り合いの可能性が高い。
そして期待の新人が入ってくることを知っている存在……。
「…………」
「……常磐君、具合が悪いの? 顔色が悪いよ?」
「えっ? あ、いや……大丈夫。平気」
「そう? 無理、しないでね?」
「そーだぞ。初日に体調崩して何日も休むことになったらお前、次出て来た時には空気だぜ?」
「そ、そうだね。あはは……」
なんとか野々瀬と藤臣君に笑顔を作り、平常心を保とうと心がける。
別人、別人だ、別人……。
頭によぎる名前を何度も振り払う。
「んでよ、司のそのバスケ部の知り合いの先輩って誰だ?」
藤臣君の何気無い質問に胸がどくりとする。
ダメだ。聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない――……!!
「ご、ごめん! 僕トイレ!」
野々瀬が口を開くより早く、僕は叫ぶようにそう言って駆け出した。
後ろで野々瀬達が何か言っているけど、そこまで気が回らない。
もし、野々瀬の口からあいつの名前が出たら、平常心を保てる自信がない。
あいつを褒める言葉なんか聞いたら、反論せずにいられない。
あの事件を引きずっている僕には、まだそれだけの覚悟ができていない。
――……氏家 貴良。
僕の通っていた中学で、バスケ部キャプテンをやっていた男。
いかにも善人ですって顔をして、平気で女の子を傷つけ、泣かせる男。
こいつこそが、僕がこの高校に入りたくなかった一番の理由なんだ……。
***
「……はぁ」
行きたくもないトイレに行った後、教室へ向かう。
1-Bは昇降口から右に曲がって、奥から2番目の教室だ。
1年生は一階、2年生は二階、3年生は三階という実に分かりやすい配置だったと思う。
特別教室は別棟だったかな……。
「…………」
さっきのあの態度、野々瀬と藤臣君に失礼じゃなかっただろうか。
でももしあそこであいつの名前が出ていたら、もっと失礼なことになっていただろう。
……いや、野々瀬の知り合いのセンパイが、あいつだと決まったわけじゃないんだけど……。
「あっ、常磐君! 大丈夫!?」
「え、野々瀬?」
教室の手前で、心配顔の野々瀬が駆け寄ってきた。
もしかして、心配して待っていてくれたんだろうか。
「具合、どう? 入学式出られそう?」
「あ……うん。平気。なんか、ごめん。心配させたみたいで……」
顔を覗き込んで背中をさすってくれる野々瀬の顔が、罪悪感でまともに見れない。
あんな勢いでトイレに走っていったら、具合が悪くて吐いていたかと思われても仕方ないよな。
「大丈夫ならいいんだけど……調子悪かったらすぐ言ってね?」
「うん、分かったよ。さ、教室入ろうか」
まだ心配そうな顔をしている野々瀬に笑いかけ、1-Bへと足を踏み入れる。
こういう時って名簿順だから……あ、あそこか。
椅子に貼ってある名前のシールを見て、僕はそこに荷物を置く。
窓際から三列目、後ろから二番目の席が当面の僕の席のようだ。
「ボクの席、常磐君の斜め後ろなんだよ。無理しないように見張ってるからね!」
「はは……ありがと」
僕の何かが野々瀬の保護心をかき立ててしまったのか、それとも野々瀬が心配性なのか、どっちだろう。
妙に気合の入った視線で僕を見つめる野々瀬に嬉しさ半分戸惑い半分の笑顔を向けていると、今度は藤臣君が話しかけてきた。
「おう、槙。腹の具合はいいのか?」
……藤臣君は僕がお腹を下したんだと思っているらしい。
「うん。平気だよ。心配してくれてありがとう、藤臣君」
別に具合が悪かったわけじゃないから訂正するのもどうかと思って、心配してくれたことに対して素直にお礼を言う。
「甲斐でいいって。お前、神経細そうだもんなぁ。入学式のこと考えて緊張でもしたのか?」
いやいやいや、入学式に緊張する要素ないから!
心の中でツッコミを入れたその時、教室の前側の扉が開いてスーツ姿の男の人が入ってきた。
「はい、みんな席に付けよー。出席取るからなー」
この人が僕達の担任の先生らしい。
30台半ばくらいだろうか。とっつきやすそうな雰囲気の人だ。
先生の言葉にみんな席に着き、出席を取られる。
クラスの人数は40人。これが一学年8クラスだから本当にここはマンモス校だ。
――……1000人近い集団の中で、ピンポイントでたった一人と偶然関わることなんて、奇跡に近いだろう。
普通に考えたらあり得ない。
……あり得ないよね?
***
「この後は入学式行って今日は終わりだ。……あー、入学式がいくら退屈でも寝るんじゃないぞ? 俺も努力する」
真顔で付け加えられた先生の言葉に、僕を含む生徒達から笑い声が上がる。
冗談なのか本気なのか分からないところが妙にツボに入ってしまう。
面白い先生が担任で、よかった。
「じゃ、入学式行くぞー」
先生の合図で席を立ち、ぞろぞろと体育館へ向かう。
「なんか、話の分かりそうなセンセーでよかったぜ」
途中、藤臣君……甲斐に話しかけられて、僕は笑顔で頷く。
「そうだね。怖そうな先生だったらどうしようかと思った」
「少なくとも怖くはなさそーだね。あ、でも案外怒らせると怖いタイプかも……。甲斐、気をつけなよー?」
「なんで俺を名指しなんだよ!」
会話に混ざってきた野々瀬と甲斐のやり取りについ吹き出す。
初対面なのにいいコンビだよなぁ、この二人は。
「おい槙、お前も笑い事じゃねーぞ。便所大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ! もう平気だし!」
笑った仕返しとばかりに甲斐に反撃を受け、僕は慌てて反論する。
それを聞いて甲斐は「確かにな」と言って笑い、僕の頭を乱暴に撫でた。
「死にそーな顔してたけど、もう大丈夫そうだな」
「え」
「だねー。来る前から元気なかったけど、ちょっとは元気出てきたかな?」
野々瀬もニコニコしながらそんなことを言う。
……二人とも、そんなに心配してくれてたのか。
名ばかり同級生と、初対面でよく知らないであろう僕なんかのことを……。
「……ありがとう」
嬉しくて涙が滲みそうになり、やっとのことでそれだけ言う。
そんな僕の様子を見て、甲斐が焦った顔をする。
「な、なんだよお前。そんなに学校来んのが不安だったのか?」
「うん……ちょっとね。へへ」
正直な気持ちを口にし、照れくさくなって笑う。
第一志望に落ちて、許せない相手がいて。
中学の時に仲が良かったみんなも別の高校に行ってしまって、今朝の僕は絶望的な程の孤独感に襲われていた。
だけど、野々瀬は優しくしてくれて、甲斐みたいな友達がすぐにできて……。
「二人とも、本当にありがとう」
僕がもう一度お礼を言うと、二人は顔を見合わせた後、照れくさそうに笑った。
「こっちこそ仲良くしてくれてありがとうね、常磐君」
「ああ。俺も、その……サンキュ。知り合いいねーし、俺も、正直嬉しいぞ」
優しい笑顔の野々瀬。照れているのか耳まで赤くなった甲斐。
「うーん……いい話だなぁ」
そして、ユーモアのある先生。
……ん? 先生?
慌てて声のした方を見ると、先生が腕組みをしてうんうんと頷いていた。
「うぉっ! いつからそこに!?」
突然の先生の出現に驚いた甲斐が盛大に仰け反る。
ああ、そんなに仰け反ったら他の人の迷惑に……って、誰も、いない……?
「あー、俺も混ざりたいくらい青春してるとこ悪いが、他の奴らはもう行ったぞ」
申し訳なさそうに耳の後ろを掻き、先生が言う。
「うわっ……ホントだ! みんなもうあんな所に!」
そう言った野々瀬の指差す先には、だいぶ遠くに他の生徒の後ろ姿が見える。
大慌てで駆け出した僕らの背中に、先生が「今回は見逃すけど」、と前置きをして声をかけてきた。
「廊下はあんまり走るんじゃないぞー」
……あんまり、なのか。
3人で顔を見合わせて笑い合い、僕たちは体育館へ入る列の後ろに並ぶ。
――……いい、学生生活が送れそうだな。
嫌なことは頭の隅に追いやって、僕は今日初めて心からそう思えた。
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