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帰ってきた平穏
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それから、数日が経った。
あの日の翌日からの毎日は、戸惑うほどに平和なものだった。
朝、佐木先輩を氏家先輩が迎えに来て、その時に挨拶をして。
氏家先輩たちと入れ替わりに教室に入ってきた甲斐と少し雑談をして朝のHR。
授業の合間の休憩では野々瀬や甲斐、遠山君たちクラスメイトと話をして過ごす。
お昼ごはんは相変わらず第2音楽室で3人で食べるけれど、玉子焼きはそれぞれがつまんで食べる。
話の内容は専らバスケのことで、たまに勉強のことや売れ筋ケーキのことを話したりする。
氏家先輩も、甲斐も、何事もなかったかのように普通に接して、笑い合って。
そんな二人を見て僕も笑って。
お昼が終わったら眠たい目をこすりながら授業を受けて、帰りのHRの後に部活に向かう甲斐を見送って、野々瀬と帰る。
誰もあの日のことには触れない。あの日のことは表に出さない。
本当に、平和な毎日。
なのに、僕の心には日が経つにつれて翳が差していった。
理由は分かっている。
彼女からの連絡がないことに、僕は焦っているんだ。
榊原先生が手紙を出してくれてからまだ何週間も経っていない。
それなのにこうも焦ってしまうのは、やっぱり氏家先輩のタイムリミットがあるからだろう。
だけど焦っていることを皆に知られるわけにはいかない。
今だって充分気を遣われているというのに、これ以上心配をかけるわけにはいかないから。
「……君、常磐君?」
「えっ?」
放課後、佐木先輩を待っている時のことだった。
少しぼんやりしていて僕を呼ぶ野々瀬に気づかなかったようだ。
野々瀬は心配そうな顔をして僕を覗きこむ。
「どうしたの? なんだかボーっとしていたけど……」
「ううん、どうもしてないよ。それよりごめんね、なんだった?」
「えっとね、もうじきGWだねって」
言いながらも野々瀬の表情からは心配の色は消えない。
そんなに長い間ぼうっとしてしまったんだろうか?
「GWかぁ……。野々瀬はなにか予定があるの?」
野々瀬の心配を払拭するように笑顔で問いかける。
僕は基本的に家の手伝いで終わるだろう。
……あ、甲斐との約束があったんだっけ。
「ボクはいーちゃんと遊ぶくらいかなぁ。常磐君はお家の手伝い?」
「そうだね。あと、甲斐を啓太と浩司に紹介しようと思ってるんだ」
「え、みんなで遊ぶの? ボクも行っていい?」
僕の言葉に野々瀬はがばりと食いついてくる。
断る理由なんてない。野々瀬だって僕の大切な友達なんだから。
「うん。一緒に遊びに行こう。甲斐の紹介がメインだからいつも通り繁華街をウロウロするだけだけど」
「全然オッケーだよ! わーい、じゃあカラオケ行こう、カラオケ!」
この間初めて行ったカラオケに、野々瀬は随分とご執心なようだ。
野々瀬の歌声は可愛くて、聞いていて癒やされるから僕もカラオケは嫌いじゃない。……無理に歌わされなければ、だけど。
「それで、いつ甲斐は鳴海町に遊びに来るの?」
「えっと、確か……初日の金曜日が部活が休みだって言ってたかな」
「金曜日かぁ。よかった、日曜日じゃなくて」
日曜日は野々瀬と佐木先輩の逢瀬の日だ。被ってなくてよかったな、と僕も思う。
「つっかさちゃーん、まきちゃーん。佐木先輩のご登場だぜー」
そんなことを話していたら佐木先輩が教室の扉を開けてやってきた。
最近は勢い良く扉を開けることも少なくなって、扉に心があったらさぞ安心していることだろう。
「あっ、いーちゃん! 今日もお疲れ様ー」
「お疲れ様です」
「おう、お疲れ。……ん?」
軽く頭を下げた僕の顔を見て、佐木先輩は眉をひそめる。
な、なんだろう。変な顔でもしてただろうか?
「おい、なんか槙、やつれてねぇか?」
「えっ? そ、そんなことないと思いますよ。ご飯もちゃんと食べてますし」
「そっかぁ? でもなんか目の下にクマできてるし」
言いながら佐木先輩は僕の顎をくいと持ち上げる。
ヤキモチ焼かないかなと心配になって横目で見た野々瀬も、また心配そうな顔をして一緒になって僕の顔を覗きこんでいる。
「夜、寝てねぇんじゃねぇの?」
「そ、そんなことないですよ。理由があるとしたら……多分、家のことがちょっと忙しいからだと思います」
佐木先輩の鋭い言葉に内心ぎくりとしながら、笑って適当な理由をでっち上げて答える。
半分は嘘だけど、半分は嘘じゃない。
パートさんが急なお家の事情でシフトを減らすことになってしまったから、その分僕が手伝っている。
今日はシフトに入ってくれているから余裕があるけれど。
夜は……あまりよく眠れない。
暗闇の中で目を閉じていると、どうしても彼女からの連絡について考えてしまうから。
その時抱く焦燥感を消すために、再び眠気が襲ってくるまで授業の予習や復習を遅くまでしていたりする。
お陰で授業は順調だけれど、同時に眠気が酷くて起きているのが一苦労なときもあるんだ。
「……ふーん。ならいいんだけどよ。睡眠不足は美容の大敵たぜ?」
「美容って……あはは」
女の子みたいなことを言う佐木先輩の言葉に笑うと、釣られて野々瀬も「ふふっ」と笑った。
「ま、家の手伝いも程々にしろよな? それで身体壊したら親御さんだって手伝わせてること後悔すんだろうが」
「はい、そうですね。気をつけます」
父さんと母さんに、僕に手伝いをさせていることを後悔させるなんて、絶対に避けたい。
だって僕は自分の意志でお店の手伝いをしているんだから。
そのためにも、夜、無理やりにでも眠るべきなんだろうけれど……。
「……常磐君」
野々瀬の指が伸ばされ、そっと僕の目の下を撫でた。
「無理、しないでね」
「……うん、大丈夫だよ、野々瀬」
「かーっ! 相っ変わらず百合百合しいな、司と槙は!」
僕たちのやりとりを見て佐木先輩は膝をパシンと叩いて喜んでいる。
佐木先輩が僕と野々瀬の触れ合いに目くじらを立てなくなったのって、いつからだっけ?
そもそも百合百合しいってどういう意味なんだろう……?
「まぁ、槙も今日はゆっくりできるんだろ? またファミレス行ってダラダラしようぜ」
「さんせーい! 常磐君のお家のケーキも美味しいけど、あそこのパフェもボク好き!」
佐木先輩の提案に野々瀬が両手を上げて賛成する。
こうなると僕には選択肢はない。
「お付き合いします」
笑って頷いて、僕は鞄に荷物を詰め始めた。
***
他のお店のスイーツというのは、中々に参考になる。
例えばチーズケーキ。僕の家のチーズケーキはベイクドチーズケーキなんだけれど、ここのファミレスのチーズケーキはレアチーズケーキだ。
ベイクドチーズケーキはこってり系。レアチーズケーキはさっぱり系の味をしている。
これからの季節だと、レアチーズケーキのほうが売れるかもしれないな……。
ノートを引っ張りだして、想像で材料や分量なんかをメモする。
「勉強熱心だなぁ、槙は」
半ば感心したような佐木先輩の言葉に苦笑を返す。
これは職業病みたいなものだ。
あわよくばうちの店に僕の考案したケーキを……なんて大それた考えもなくはないから。
「あ、ねえねえ常磐君。林君から聞いたんだけど、先輩たちの差し入れ用にグレープフルーツゼリー作ったんだって?」
もぐもぐと大盛りフルーツパフェを食べていた野々瀬が、思い出したように問いかけてくる。
「え……あ、ああ。うん。……期待させちゃうのも申し訳ないから、当分は差し入れしないけどね」
「そっかぁ……。うん……そうだね。そのほうがいいかもしれないね」
野々瀬は沈んだ顔で頷く。
が、すぐにパッと表情を明るくして身を乗り出してきた。
「じゃあじゃあ、ボクといーちゃんに食べさせてくれない? ボク、常磐君のオリジナルスイーツ食べてみたい!」
「お、いいねぇ。オレ様も興味あるわ。今度持ってこいよ」
「え、ええ……いいですけど、学校に持ってきてからどこで冷やそうかずっと悩んでいて……」
そうなのだ。
氏家先輩と甲斐に持って行くことを考えた時、そこに躓いて頭を痛めていたんだ。
凍らせて持って行くと風味が変わってしまうだろうし、ドライアイスじゃ放課後まで持ちそうにない。
お昼にデザートとして出すことも考えたんだけれど……。
「ああ、それならアテがあるから安心しろ。保健室の冷蔵庫、俺がスペース空けておいてやっからよ」
「ほ、保健室の……?」
あっさりと佐木先輩が言った言葉を戸惑いがちに反芻する。
保健室に冷蔵庫があるなんて、初耳だ。
「ほら、今って保健室登校とかいうのがあんだろ? そういう奴らのために冷蔵庫設置してあるんだよ」
「そうなんですか……」
保健室登校、という言葉は聞いたことがある。
幸い、僕はお世話になったことはないし、僕の知り合いにもお世話になっている人はいない。
でも、知らないところでそういう人がいるということを知って、なんだか悲しいような……複雑な気分だ。
「ま、そんなワケだから今度持ってこいよ。オレらの分と一緒に貴良たちの分も持ってくりゃ、ヘンな誤解生まずに済むだろ?」
……佐木先輩は、相変わらずなにも考えていないようでちゃんと考えてくれている。
そのことが嬉しくて笑顔で頷いて、「よろしくお願いします」と頭を下げる。
そうと決まれば、今日の晩にさっそく下ごしらえをしなくちゃ。
父さんのお墨付きをもらえたゼリー、佐木先輩や野々瀬が気に入ってくれたらいいんだけれど。
「ふふふ、楽しみだなぁ、常磐君のゼリー」
「あ、あんまり期待しないでね?」
期待に満ちた顔をした野々瀬の食べているフルーツパフェはもうほとんど残っていない。
佐木先輩も早食いの大食いだし、これは血筋なんだろうか……。
その後もなんだかんだと盛り上がった後、僕と野々瀬は佐木先輩と別れて帰途についた。
***
「ただいま」
「お帰り、槙」
家に帰って手を洗い、台所へ向かうと母さんがお味噌汁を作りながら出迎えてくれた。
「今日もこの間の先輩と野々瀬と一緒にファミレスに行ったんだ」
「そうなの? ライバル店出現かしら?」
そう言ってふふっと笑う母さんにレアチーズケーキの話をする。
これからの季節だと、ベイクドチーズケーキよりも売れるんじゃないかということ。
「うーん、そうねえ……。暑い時には冷たいスイーツのほうが売れるものねぇ」
母さんはそう言って頬に指を当てる。
「レシピ、想像でメモしてきたから今度作ってみようと思うんだ」
「あら、さすがお父さんの息子ね。抜かりのないこと」
クスクスと笑って母さんは僕に包丁を手渡す。
「でも今は晩御飯のお手伝いをしてくれるかしら? ピーマンのワタ抜きをお願いするわ」
「うん、分かった」
材料を見る限り今日の晩御飯はピーマンの肉詰めだ。
ピーマンを縦に切り、僕は丁寧にワタ抜きを始めた。
「うんめぇー!」
それから数十分して帰ってきた梢が、ピーマンの肉詰めを食べて歓喜の声を上げる。
人参が苦手なお子様舌の割に、ピーマンは平気なのだから不思議だ。
「ふふ、梢の食べっぷりを見ていると作ってよかったって思えるわ」
「そうだね」
豆腐とワカメの味噌汁をすすり、ご飯をかっこみ、ピーマンの肉詰めを口に放り込む。
せわしない食べ方だけれど、それだけお腹が空いていたのだろうということと、ご飯が美味しいということだと思うとそれすら微笑ましい。
梢の食べっぷりを眺めながら食事を摂っていると、父さんが戻ってきた。
「ほう、今日はピーマンの肉詰めか」
ピーマンの肉詰めは父さんの好物だ。
嬉しそうに目を細める父さんのお皿に母さんと分担して料理を盛り付ける。
家族4人で食事をしながら、僕はさっき母さんに言ったことを父さんにも伝える。
「レアチーズケーキか……。悪くないかもしれんな」
僕の提案に、父さんは顎を撫でながら頷く。
「とりあえず、また今度ファミレスで食べたのを再現してみようと思うから、食べてみてくれる?」
「ああ。ただ、他の店で出されているものをそのまま出す訳にはいかないがな」
それもそうだろう。どこの店もそうだろうけれど、うちもうちの店だけの味というもので固定客を得ている。
まぁ、再現するのは僕の役目で、それをアレンジするのは主に父さんの役目だ。
もちろん、スタッフの皆の意見も取り入れていくんだけれど。
そんな感じで新メニューについて話しながら、夕食を終えた。
***
夜。
眠いのにやっぱり眠れなくて、僕は久々にグレープフルーツゼリー作りに励んでいた。
ちなみにこの間学校に持って行こうと作ったものはお店の皆で食べた。
「ふぁ……」
あくびをしながらも、丁寧に分量を計り、前回作ったものをなるべく忠実に再現していく。
グレープフルーツの個体で糖度や酸っぱさが違うから、分量通りに作ったからといって完全に再現できるわけじゃない。
味を見ながら前回作ったゼリーの味に近づけて、下ごしらえを終えて冷蔵庫にしまう。
時計を見るともう午前1時半を回っていた。
「…………」
眠いは眠いけれど、彼女からの連絡のことを考えるとすっと目が冴えてくる。
こんなことじゃ、また佐木先輩や野々瀬に心配をかけてしまう。
シンクを片付けて部屋に戻り、ベッドの中で無理やりに目を閉じる。
……浮かぶのは、彼女の困惑した顔。
数年も経ってから、突然連絡がほしいという手紙を受け取って。
彼女の戸惑いはきっと僕が想像している以上だろう。
そんな彼女が、連絡をくれるだろうか。
僕が連絡を取るということはあの事件のこと以外にないと気づいているだろう。
彼女にとって思い出したくない過去だ。彼女がいくら優しい女の子だとしても、僕に連絡をするのはすごく覚悟のいることだろう。
それでも、僕は……僕は、彼女からの連絡が欲しい。
自己中だと分かっていても、祈るような気持ちで、毎日を過ごしている。
「お願い……どうか……」
自分で思ったよりも苦しげな声での呟きを残し、僕は更にきつく目を閉じた。
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