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槙の本当の気持ち
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「……ん」
朝になった。
時計を見ると、8時を回っている。随分とよく眠ってしまったようだ。
店の手伝いをできない代わりに家の手伝いをしようと思っていたのに……この時間じゃ朝食も洗濯も終わっちゃっただろうな。
ため息をついてベッドから降りると、なんだか腰がズンと重い気がする。
……昨日の、その……自慰のせいだろうか。
頬に上ってくる熱をブンブンと首を横に振って散らし、階下に降りる。
「おはよう」
「おはよう、槙。よく眠れたみたいね。それとも、あの女の子のことが気になって遅くまで眠れなかったのかしら?」
「そ、そういうわけじゃ……」
母さんのからかうような言葉にまた頬が熱くなる。
確かに、彼女のことは気になる。けれど、それよりも浅山先輩との事のほうが印象が強くてそれどころじゃない。
頬から熱が冷めないままもぐもぐと朝食を食べていると、梢が降りてきた。
「おはよー」
「あ、おはよう梢。今日は部活、ないの?」
まだパジャマ姿の梢に問いかける。
「うん、今日は休み。だから野々瀬さんと一緒に店の手伝いをしようかなぁなんて思ったりして」
寝ぐせの付いた頭を撫でながら、梢は照れくさそうに笑う。
梢が一緒だと、野々瀬も喜ぶだろうな。
「そっか。じゃあ僕の分まで頑張って働いてね、梢」
「兄貴の分までっていうのはキッツいなぁ……」
梢は苦笑しながら僕の前に座り、朝ごはんを食べ始める。
そのまま他愛のない話をしていると、開店準備の時間になった。
野々瀬が来るのはもうちょっと後だ。
開店準備を手伝うと言って洗面所に向かう梢と別れて、部屋に戻る。
今日は彼女が来るまでやることがない。
昨日同様に勉強を始めるけれど、彼女のことが気になってあまり頭に入ってこない。
……彼女と会えなくなってから約2年。彼女はどんな女の子に成長しているんだろうか。
母さんが「可愛らしいお嬢さん」と言っていたから、昔とあまり変わっていないのかな。
僕は……昔と比べて、変わっただろうか?
彼女から見て、少しは頼りになりそうな男になれていたらいいんだけれど。
そんなことを悶々と考えていて全く勉強にならないので、ちょうど開店の時間を迎えたお店の様子を見に行くことにした。
大丈夫そうだとはいえ野々瀬はまだバイト2日目だ。
少しでも顔を見せてあげたほうが安心するだろう。
「いらっしゃいま……あっ、常磐君! おはようっ!」
ベルをカランと鳴らして店内に入ると、満面の笑顔の野々瀬が出迎えてくれる。
ん、今日も大丈夫そうかな。
「おはよう、野々瀬。昨日はありがとう。今日はお店、よろしくね」
「うんっ! 梢君も一緒だし、元気百倍だよ! それにほら、いーちゃんも来てくれてるし」
え、もう?
ニコニコと野々瀬が指し示す方を見ると、2人がけの席で佐木先輩がコーヒー片手にアップルパイを前にして優雅にくつろいでいる。
そして僕の姿を確認すると、来い来いと手招きをしてきた。
「あ、えっと。佐木先輩と相席しても……いい、かな?」
「うん、勿論! こちらへどうぞ」
野々瀬に佐木先輩の傍に案内され、「お邪魔します」と向かいに腰を下ろす。
「おっす、槙。調子はどうよ?」
「はい、もう大丈夫です。まだ、手伝いはさせて貰えそうにないですけど」
笑って佐木先輩に言葉を返し、野々瀬にアイスティーを注文する。
さっき朝ごはんを食べたばかりだからケーキはやめておこう。
「そいつは残念だな。司がいて梢がいて、槙もいりゃもっと華やかで目の保養になるだろうによ」
「アハハ……そうでしょうか?」
残念そうな佐木先輩に苦笑が漏れる。
梢や僕が目の保養になるのなんて佐木先輩くらいじゃないだろうか? っていうか、梢をハーレム要員にしようと本気で考えているんだろうか……。
「ま、それはともかく。司、カワイーよなぁ」
アップルパイを一口頬張り、佐木先輩はしまりのない顔で、テキパキと動き回っている野々瀬を眺める。
うん。店の制服も似合ってるし、お客様に向ける笑顔も満点だ。
「そうですね。おかげさまで売上も伸びそうで野々瀬には大感謝ですよ」
「制服プレイ……悪くねぇな……」
僕の言葉には反応せず、佐木先輩は妄想の世界に入ってしまっている。
……あまりツッコまないでおこう。
「お待たせしました、アイスティーです」
数分して野々瀬が笑顔でアイスティーを運んできてくれた。
「ありがとう、野々瀬」
「どういたしまして。ふふっ、ごゆっくりお過ごしください」
お礼を言う僕にぺこりと一礼して、野々瀬は定位置のショーケース前へと戻っていく。
野々瀬は公私の区別をちゃんと付けられるいい子だ。
佐木先輩はちょっと寂しそうだけれどね。
「……ところでよ、ちったぁ進展はあったのか?」
「え?」
唐突に問いかけられて、首を傾げる。
深い藍色の瞳がじっと僕を見つめていて、少しドキドキしてしまう。
進展……というのは、氏家先輩たちとのことだろうか? それとも、彼女とのことだろうか?
考えた末、僕は口を開く。
「えっと、今日の午後に、彼女が訪ねてきてくれるらしいです」
「彼女ってのは、中学んときに好きだったって女か?」
「はい」
頷くと、佐木先輩は残念そうに唇を尖らせた。
「んだよ。連絡来たってことはハーレム計画頓挫じゃねぇか」
「ハハ……」
まだ言っていたのかこの人は。
引きつった笑いを浮かべていると、「まぁでも」と気を取り直したようにコーヒーを啜った。
「よかったな。これで貴良やヤツのこと、ちゃんと考えられるんだろ?」
「……そうですね、多分」
正直、あまり自信がない。
そもそも、彼女と会ってなにを話すのか全く考えていないんだ。
そんなにすんなりと解決するならいいんだけれど……。
「お前はなにを話したいんだ? やっぱ、嫌がらせのこと、話すのか?」
「それは……考えてません。とりあえず、氏家先輩が彼女の手紙を受け取っていなかったこと、それだけは話そうと思っています」
「そっか。ま、余計なこと言って古傷抉る必要もねぇだろうしな。そんくらいが妥当だろ」
佐木先輩の同意を得られてホッとする。
中学の時の同級生のした仕打ちに関しては、敢えて言う必要はないだろう。
彼女だって、そんなことを聞いていい気分にはならないだろうし。
アイスティーをくるくるとかき混ぜて一口飲む。
これはさつきさんが淹れたのかな? 渋みのバランスが良くておいしい。
「んでよ、もしその女がまだ貴良のこと好きだったらどうするんだ?」
「……」
佐木先輩にも、そこは気になっていたようだ。
彼女は一途だった。
可能性はゼロとは言い切れない。というより、むしろその可能性は高い。
「……彼女が、氏家先輩に改めて告白したいと言うなら、僕は彼女を氏家先輩に会わせてあげたいと思います」
「ふぅん? お前はそれでいいのか?」
「……?」
目を細めて言われた言葉に、僕は佐木先輩の顔を見つめる。
佐木先輩は言葉を続ける。
「だから、その女の告白を貴良がオッケーしてもいいって、お前は思ってるってことか?」
「……それは……」
考えないようにしていたことを突きつけられ、言いよどむ。
彼女には幸せになってほしいと思っている。それは紛れもない本心だ。
だけど、その共に幸せになる相手が氏家先輩だというのは……正直、嫌だ。
彼女の告白を氏家先輩が受け入れることを考えるだけで、胸がぎゅうっと苦しくなって、息をするのも難しくなってしまう。
「まぁ、万に一つもそんなことはねぇだろうけどよ。……ただ、貴良の気持ちも考えてやれよな」
「氏家先輩の、気持ち……」
「好きな相手に、自分を好きだって奴が自分に告白する場を設けられるんだぜ。なんかこう、複雑な気分になるんじゃねぇか?」
複雑な気分……?
それって、自分は僕からなんとも思われていない、とか、あわよくばくっついてしまえ、とか思ってると思われる可能性があるってこと、かな……?
「…………」
言われてみれば確かにそうだ。
特に、氏家先輩は甲斐が言うには全然自分に自信がないようだ。
そんなネガティブな発想をしてしまっても、おかしくないかもしれない。
危うく、僕はまた氏家先輩を傷つけてしまうところだった。
「ありがとうございます、佐木先輩。僕、浅慮でした」
「おう。……まぁ、問題は、お前が女に頼まれた時に断れるかってことなんだよな」
「う……」
僕は、彼女が氏家先輩をどれだけ好きだったか知っている。
それだけにもし、告白するチャンスがほしいと言われた時、断れる自信がない。
だけどそうすることは氏家先輩にとってはあまり面白い事態じゃないだろう。
「どうせお前のことだから頼まれたら断れねぇんだろうな。だったら貴良に対するフォローも忘れんじゃねぇぞ」
「フォロー……」
「『彼女のために先輩に会わせますけど、僕は本当は嫌なんです』とかな。それくらいのことでも言ってやりゃ、貴良の気も多少は軽くなるんじゃねぇか?」
なるほど……。僕が本心では氏家先輩を取られたくないってことをさり気なく匂わせるってことか。
――………………。
あれ、でもそれって僕が氏家先輩を好きだっていうのが前提になっているような……。
「あ、あの、でも、僕、氏家先輩のことは……その、好き、ですけど……。甲斐もいるし……」
そう。僕には甲斐もいる。僕なんかのために、氏家先輩を超えてみせると言ってくれる、甲斐が。
俯く僕の額を、佐木先輩がため息交じりにつついた。
「……お前さ、いい加減認めちまえよ。貴良が好きだって」
「――……」
「ヤツのことも気になってんのは分かってる。でも、お前がいつも目で追ってるのは貴良だ。気付いてねぇの、お前と貴良くらいだと思うぜ?」
そ、そうだったのか……。
羞恥で頬がカアアっと熱くなる。
僕は、氏家先輩が、好き。
昨日だって、胸を氏家先輩に触られてると思ったら、制御が効かないくらいに興奮しちゃって……。
「っ!!」
いや、それは忘れよう。汚らわしい僕の願望で氏家先輩まで汚してしまうのは申し訳なさすぎる。
僕は、本当に、どうしようもないくらい、エッチだ……。
「……? まぁ、貴良がお前を好きな気持ちも本物だ。だから――……その、なんだ。女とのことに決着をつけて、さっさと幸せになりやがれ」
僕の様子を見て怪訝そうに首を傾げた佐木先輩だったけれど、コーヒーをクイッと飲み干して、最後にそう言った。
***
お昼近くになったので、佐木先輩と別れて家に戻る。
「お昼すぎにまた来ます」と言っていたのだから、彼女がそろそろ来る頃だろう。
もそもそとカレーを食べていると、休憩に入ったのか野々瀬が台所に入ってきた。
「まっかない、まっかない、常磐君のお母さんのまかないご飯ー」
変なフレーズの歌を歌いながら席につく野々瀬に、母さんがクスクスと笑いながらカレーをよそって差し出す。
「はい、どうぞ。司ちゃんは辛口でも大丈夫かしら?」
「はいっ! カレーならなんでもいけちゃいます!」
野々瀬は嬉しそうに頷いて、ぱちんと手を合わせると「いただきまーす」と食べ始める。
「野々瀬、大丈夫? 疲れてない?」
「うん! 梢君も一緒だし、いーちゃんも来てくれてるし、まだまだ頑張れるよっ!」
そういえば佐木先輩は僕が家に戻るときにもまだ店にいたっけ。
もしかして、今日一日お店で時間を潰す気なのかなぁ……。
「んー、常磐君のお家のカレー、おいしーい!」
ハグハグとカレーを食べて、野々瀬は幸せそうな声を上げている。
そんな野々瀬の姿を見る母さんも嬉しそうだ。
野々瀬の食べっぷりは見ていて気持ちがいいからね。作る側としては作りがいがあるんだろう。
「そういえば常磐君、いーちゃんとなに話してたの?」
ごくんとカレーを飲み込んで、野々瀬が問いかけてくる。
母さんがいる前では話しづらいなぁ……と思っていると、母さんは気を利かせてくれたのか、「洗濯物入れてこなくちゃ」と言ってリビングの方へ行ってくれた。
「ん、えっとね。彼女が氏家先輩にもう一度ちゃんと告白したいって言ったらどうしようかって話、してた」
「あー……。それはあるかもしれないもんね。それで、常磐君は? いーちゃんはなんて言ってた?」
「うん……。彼女がどうしても氏家先輩に気持ちを伝えたいって言うなら、僕はきっと断れないと思うんだ。そう言ったら、佐木先輩には「氏家先輩の気持ちも考えてやれ」って言われちゃった。……野々瀬は、どう思う?」
カレーを食べる手を止めて、野々瀬を見つめる。
野々瀬も手を止めると、頬に指を当てて首を傾げて「うーん」と唸る。
「そうだよね。先輩、常磐君の事好きだもんね。なのに常磐君に「彼女からの告白、聞いて下さい」なんて言われたらちょっとショック受けちゃうかも」
「やっぱり、そうだよね……」
「優しいからあの子の告白を聞いてくれて、その上で断るとは思うけど……、凹んじゃいそうだなぁ」
野々瀬も佐木先輩と同意見のようだ。
やっぱり、そうなった場合はしっかりとフォローをしたほうが良さそうだ。
『僕は本当は嫌なんですけど』……か。
本音とはいえ、今の関係でそれを僕が言っていいんだろうか?
なんだか、すごく我儘なことのように思えるんだけれど……。
それを告げると、野々瀬は笑って首を横に振った。
「たしかに我儘かもしれないけど、先輩、嬉しいと思うよ? だって先輩、常磐君のこと大好きだもん」
「のっ、野々瀬……!」
慌ててリビングへと目を向ける。
……よかった、母さんは庭で洗濯物を取り込んでいる。
ホッとする僕に、野々瀬は少し申し訳なさそうに口を開く。
「ボクねぇ、甲斐とは友達だし、甲斐のこと応援したい気持ちはあるんだ。昨日、気持ちを新たにしたみたいだしね」
「……うん」
「でもね、傍から見ていても常磐君と先輩が両思いだっていうの、分かっちゃうんだよね。それに二人、すごくお似合いだし」
「う……。そ、そうなの?」
佐木先輩の言っていたことはあながち嘘じゃなかったようだ。
周りから見ていると、僕と氏家先輩はお互いを……好き、なのがバレバレらしい。
顔を熱くしている僕に、野々瀬は優しい顔をして微笑んだ。
「いい加減、素直になっちゃいなよ、常磐君。もうね、周りの気持ちがどうとか、じゃなくて、自分の気持ちがどうか、ってことと向き合う時期に来ていると思うんだ、ボク」
「……そう、なのかな」
「そうだよ。甲斐も最初はショック受けるかもしれないけど、それで諦めるようなタマじゃないしね」
「そ、それはそれでどうなんだろう……」
苦笑して僕がそう言うと、野々瀬はあっけらかんと笑って言った。
「だって諦めの悪さも甲斐の魅力だもん、仕方ないよ」
「……うん、そうだね」
今後のことは分からない。
だけど、今は……自分の気持ちに正直になってもいいんじゃないか、と、素直に思えた。
――……と、その時、玄関のチャイムが、鳴った。
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