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「紺野センセー、勉強教えて下さい」
翌日の昼休み。
一点の曇りもない笑顔で、ニコニコとしながら七海が数学準備室を訪れる。
コイツまた変なことを言い出すつもりじゃないだろうなと一瞬思ったが、勉強を教えてほしいと言われたら当然断るはずもない。
「先生の今日の弁当なんすか?唐揚げ入ってます?」
「…なぜすでに貰う気でいるんだ。お前勉強しにきたんじゃないのか」
「もちろんそうですよ。でも昼休みですよ?とりあえずメシ食いましょーよ」
ねっ、と強引に俺の背を押し椅子に座らせられる。
まあ確かに育ち盛りの生徒に食事をさせないわけにはいかない。
なんだかまたしてもコイツのペースに乗せられている気がするが、それでも勉強する気になっている生徒に水を差すようなことをしたくはない。
何がそんなに楽しいのか、ニコニコと上機嫌の七海に眉を潜めながら弁当を広げる。
どうやら今日も購買で買ってきた食事らしいし、どれでも好きな物を食えと弁当箱を差し出してやった。
ちなみに唐揚げは入ってない。
油っこいものが好きな若者と違って、今日は和が中心のおかずだ。
「え!いいんすか。優しー。さすが大人っすね」
弁当くらいではしゃぐ子供は、昨日と同じ卵焼きをひょいとつまみ上げる。
「先生の卵焼き甘くて美味しいんですよね。もしかして甘党ですか?」
「甘いものは脳を活性化させる作用がある。それだけだ」
「へー、物知り博士っすね」
それくらいのことで博士になれるほど世の中甘くない。
が、目の前の未来溢れる子供は、呑気な顔で飯を食っている。
「ああ、そういえばお前バスケ部らしいな」
「えっ、俺に興味持ってくれたんすか?」
「生徒以上の興味はない。ただ神谷がお前に期待していると言っていた」
「あー、なんだ。ってカミヤンより紺野先生のが年上なんすか?」
目をまん丸にして聞いてきたから、そうだと答える。
ついでに釘を差しておくにはちょうどいい。
「俺は今年30歳だからな。お前とは一回りは違う」
「ええ?噓ですよね」
「事実だ。俺は冗談を言わない」
至極驚いたと言った様子で俺の顔を見ている。
コイツはたまたま俺の顔を見て、多少童顔ということもあったから歳が近いと勘違いしたんだろう。
さすがにそれくらいの差があると知ったら、もう舐めた口を聞いてくることもなくなるはずだ。
「へぇ、一回りとかめっちゃ萌えますね。どんな声で哭いてくれんだろ」
「…なんだ?」
さらりと流れるように言われた言葉が聞き取れず、小さく首を傾ける。
七海は子供らしい無邪気な瞳を俺に向けると、ニッコリと笑った。
「あー、いや。なんでもないっす。とりあえず勉強っすよね。大丈夫です。俺焦らないって決めたんで――」
その日から中間テストまで、毎日七海は昼休みに数学の教えを請いに来た。
七海は特進科ではあるが、部活をやっているせいもあってクラス内ではあまり成績のいい方とはいえない。
が、本人の宣言通り今回の中間テストはどうやらやる気になっているらしい。
動機はなんであれ、やる気になったのは良いことだ。
努力する生徒に手を貸さぬ教師はいない。
俺も出来る限りの協力をしてやった。
数学のテスト問題を作っているのは俺だが、もちろん七海を贔屓した問題などを作ったりはしない。
だがここ数日見てやった限り七海は決して覚えの悪い生徒ではないし、一度指摘した箇所はしっかり直してきた。
他の教科をどれほど頑張っているかは知らないが、数学に置いてはいい成績を残せるのではないかと思える。
そしてテスト前日。
最近は当たり前のようにコイツとなぜか昼飯を食ってから、テスト勉強をするのが日課になっていた。
「お、やった。今日唐揚げ入ってますね」
毎日人の弁当を摘んでくるから、さすがに少しは若者向けの物をいれてやるかという気にもなる。
一緒に飯を食って、授業の復習をする。
最初は少し衝撃的な出会いということもあってフザけた奴なのかと思っていたが、ここ最近の七海はしっかり勉強に励んでいた。
俺はこういう真っ直ぐで真面目な生徒は好きだ。
図体は俺よりデカいがいつだって愛嬌もあり、人付き合いも良く見ている限り友達も多い。
こういう奴はきっと社会にでても、上司に可愛がられ出世していくだろう。
「明日からテスト期間っすね。センセーちゃんと俺の事見ててくださいね」
「ああ。日頃の成果をそのまま見せればきっといい点数が取れるだろう」
そう言ったら、七海は楽しそうに表情を崩して笑う。
「センセー堅すぎっすよ。こういう時は素直に頑張れって言って下さい」
「…そうは言っても、ここ最近のお前はもう十分頑張っていただろう」
「えー、言ってくれないんすか。そうっすねー…」
七海はじっと俺の顔を見つめる。
くるりとシャーペンを指先で回してから、上目遣いにニッと口端をあげた。
「たまには眼鏡取って下さい。そしたら俺頑張れるかも」
「…なんだそれは」
「いーじゃないっすか。一瞬でいいですから」
子供のように駄々をこねる七海に、仕方ないなと眼鏡を外してやる。
こんなんで生徒のやる気が出るなら、まあ安いもんだ。
どうせ舐めた口を聞いて茶化してくるんだろうと苛立たしげに七海を見たら、その顔からはいつもの子犬のような人懐っこさが消えていた。
「…可愛いです」
どこか熱を持った視線が、じっと俺の顔を見つめる。
さっきまでとは打って変わって色気を帯びた瞳に、忘れていたように俺の心がざわついた。
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