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体育館から戻り、一応教室も行ってみるかと足を向けたが七海の姿はなかった。
自習室も覗いてみたが見つからず、やはり部活もなければ帰宅したんだろう。
完全に無駄足になってしまった。
窓の外に浮かぶ輪郭のぼやけた夕陽を見つめながら、数学準備室へ戻るため廊下を歩く。
仕事はまだ山積みだし、正直そう七海を探している場合ではない。
一先ず仕事を片付けてから、謝りの電話をいれればいいか。
それとも明日直接謝ったほうがいいか。
考えながら廊下を歩いていたが、ふと気づく。
なぜ俺が七海をそこまで気遣ってやらねばならない。
そもそも弁当だってアイツの押し付けで作ったようなものだ。
またしてもアイツに毒されているような気がして、ぐしゃぐしゃと前髪を掻く。
もう気を取り直してさっさと仕事を済ませようと、たどり着いた数学準備室の扉を開けた。
「――え」
思わず声が漏れた。
数学準備室の扉の先。
こじんまりした一室の一番奥、いつもの教員用の机に見慣れた姿を見つけた。
半分開いた窓からそよぐ風が、人の机で爆睡しているらしいアイツの襟足をそよそよと揺らしている。
俺が入ってきたことなど全く気付かず、七海は机に頬をつけて呑気に寝こけていた。
なんでコイツこんなところで寝ているんだ。
いやそれより帰ったんじゃなかったのか。
いくつかの疑問が湧いたが、とりあえず室内に入って七海を見下ろす。
近づけば起きるだろうと思っていたが、全く起きる気配はない。
コイツ一度寝たらなかなか起きないタイプか。
声を掛けようと思ったが、なんとなく躊躇ってしまう。
授業中であれば容赦なく叩き起こしているが、今はもう放課後だ。
それにその寝顔は本当にあどけない子供のようで、いつもあれだけ賑やかな奴が物言わぬ姿を目にしてなんだか心が和らいでしまう。
無意識に手を伸ばしていた。
いつも七海が俺にするように優しくその耳をくすぐってみる。
七海は少し身じろいだが、全く起きる様子もない。
そういえば修学旅行三日目の夜に俺も七海の前で爆睡してしまったが、アイツもこういう気持ちだったんだろうか。
人の寝顔なんてまじまじと観察したことはなかったが、こう無防備に呑気な顔で寝こけている姿を見るとなんだか悪戯したくなるような気持ちになる。
見下ろしたままそっと指先を目元の泣き黒子へ滑らせる。
いつだって俺を見ると全力で笑顔になる印象的な目元。
修学旅行でより焼けたままの、俺とはトーンの違う健康的な肌。
口を開けば人を好きだと散々に困らせてくる唇――。
「何やってんすか」
パシリと触れていた手首を掴まれた。
ドキリと心臓が跳ねて、身体を強張らせる。
確かに俺は何をやっているんだ。
「…お、起きていたのか」
「いえ、今起きました。さすがにあれだけ触られれば起きるっつーか――」
そう言って七海は身体を起こすとふわあと欠伸をする。
だが俺を掴んだままの手首は離さない。
寝起きでも熱い温度の手が、しっかりと俺の手首を握っている。
「別に…お前を起こそうとしていただけだ」
「そーっすか。教科書のカド振り下ろして起こす姿何度も見てるんすけど、みーちゃんにしてはめっちゃ優しい起こし方でしたね」
「そ、それは授業中じゃないし――」
慌てて言い返したが、七海は俺を見上げてくしゃりといっぱいの笑顔で笑った。
心臓がたまらなく掴まれる。
一体俺はどうしてしまったんだ。
「みーちゃん、めちゃくちゃ顔真っ赤です」
「――は?そ、そんな顔してるのか俺は」
「してます。もしかして俺のこと好きですか?」
そう言われて息が詰まった。
バクバクと緊張するように心臓が音を立てている。
なんなんだこれは。
俺は七海が好きだったのか?
思わず自分に問いかけるが、いやそんなはずはない。
七海は生徒で子供だ。
恋愛対象になどなるはずがないし、なっていいはずがない。
「ち、違う。変なことを言って俺を振り回すのはやめろ」
「ええ、おかしいなー。その顔は絶対そうだと思ったんだけど」
「ありえないと何度も言っているだろう。ただお前が急に起きたから驚いただけだ」
顔を背けてそう言ったら、掴まれていた手首をぐっと引かれる。
ハッとして七海を見たら、先程まで七海に触れていた指先に唇を押し付けられた。
ちゅ、と軽いリップ音が鳴り、甘く痺れるような感覚が指先から這い上がる。
「でもみーちゃんから俺に触ってくれたの初めてなんですよ。だからすげー嬉しいです」
どうしてそんな事を言うんだ。
たまらなくまた顔が熱くなり、慌ててその手を引き抜く。
焦ったように心が落ち着かなかった。
このままじゃ何かまずい気がする。
これ以上コイツに関わると取り返しのつかないことになってしまうような、いやすでに取り返しのつかない事態にはなっているんだが、ともかく自分でも整理のつかない感情が俺の胸中を支配していく。
完全に動揺していた。
「も、もうそういう事を言うな。お前に悩まされるのは十分だ」
「俺のことでそんなに悩んでくれてたんすか?」
「当たり前だろう。お前は本当に問題児だ。人を犯すわいくら断っても諦めないわで4月から悩み通しだ。これ以上教師を振り回すのはいい加減――」
視線を逸らし腕組みをしながら捲し立てるように言ってやる。
そうしながらともかく冷静さを取り戻そうとしていたが、ちらりと七海に視線を向けると予想外に優し気な瞳と視線が合って心臓が跳ねる。
ありえない。
何故俺はこんなに混乱しているんだ。
「ならみーちゃん、もっと悩んで下さい」
「――は?」
不意に言われた言葉に思わず声をあげる。
俺がこんなに必死で悩んでいると言うのに、コイツは俺を嘲笑ってでもいるのか。
俺のこの反応を見て楽しんでいるのか。
「いっぱい悩んでください。いっぱい俺のこと考えてください。もう俺のことだけ考えていてください」
だからなぜそんな事を言うんだ。
それで困っていると言うのに、それをやめろと言っているのに、どうして俺を困らせることばかり言うんだ。
そうして七海はきっとまた、俺を振り回すことを言う。
「みーちゃん、俺がもっと夢中にさせてあげます」
そう言って見せた屈託のない笑顔に、またしても心臓がどうしようもなく大きな音を立てた。
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