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七海が動揺している姿を見たのは初めてかもしれない。
もしかしたらコイツに限っては最初で最後かもしれない。
抱きしめていた背が一度強張って、だがすぐに俺へと振り向く。
「――え、…えっ!?今…っ」
珍しく耳まで真っ赤に熱を上げて、驚いた顔で見下ろされる。
ここで聞こえなかっただとかもう一度言えだとか言われたって、同じ言葉は二度と言えない。
だが七海はそのどちらも言うことはなく、感極まったように目を煌めかせた。
一瞬の間のあと、ガバリと抱きしめられる。
「――だ、大事にしますっ。すげー大事にしますからっ」
「…あ、ああ」
「好きです。めちゃくちゃ大好きです。一生一緒にいましょう」
「わ、分かった。分かったから…っ」
「――嬉しい。すげー嬉しいです…っ」
抱きしめる腕の力が強くて、息が苦しい。
勢い余りすぎてそのままベッドに傾れ込む。
はしゃぐように大喜びされながらぎゅうぎゅうと抱きしめられて、緊張していた気持ちが溶け出していく。
コイツと付き合うことは何から何まで問題だらけで、本来なら卒業してからでも良かったのかもしれない。
それでも今すぐに欲しいと思ってしまった。
きっとまた押しつぶされそうな罪悪感に悩まされることは目に見えているが、感情を抑えることが出来なかった。
「…く、苦しい」
あまりに力強く抱きしめられて、本気で呼吸が出来ない。
ベッドの上で散々懐かれていたが、ドンドンと背中を叩くとハッとしたように七海が俺を離した。
が、シーツに身体を押し付けたまま食い入るように見つめられる。
まるで宝物でも見つけたように爛々と輝く瞳で見下ろされて、不意に初めて七海に出会った時の事を思い出した。
あの日校門で七海に出会わなければ、今こんな気持ちにもこんなことにもなっていなかっただろう。
幸か不幸か分からないが、絶対にありえないと思っていたのに気が付けばこんなにも気持ちが変えられてしまっていた。
「みーちゃん、愛してます。もう絶対に離しませんから」
全力で眩しい笑顔を向けられて、胸が締め付けられる。
それでも七海の笑顔につられるように、ふふとこっちまで表情が緩んでしまう。
こんな風に笑ってくれるなら、心を決めて本当に良かったと思う。
俺の表情に七海がどこか切なげな笑顔を作り、そっと唇を寄せてくる。
バクリと心臓が跳ねて、ぽーっと霞み始めた頭で七海の唇を受け入れ――ようとして慌ててその口に手を当てた。
もごっと間の抜けたくぐもった声が響く。
「――ちょっ、あれ?今絶対ちゅーする流れじゃないですかっ。恋人記念でラブラブエッチ再開な流れじゃないですかっ」
「ま、待て。ただしだ。もう受験が終わるまで変な時間の使い方をしないことが条件だ」
「えっ?」
俺の言葉に七海が瞬きをする。
俺はもう今日のように七海の時間を無駄に使わせることも、受験生に余計な心配を掛けることも絶対にしたくはない。
これ以上自分が七海の足枷になるような行動はしたくない。
「い、いいか。これから受験までは絶対に自分のためだけに時間を使うこと」
「…えーっと、それってつまりエッチなしってことですか?」
七海のためを思って言っている言葉なのに、気にするところはそこなのか。
カーッと顔に熱が上がっていくのを感じながら、さっと視線を逸らす。
「あ、当たり前だっ。もう余計な時間の使い方をするのは許さない」
「――ええっ!?」
さっきまで大喜びしていたくせに、あっという間に複雑な表情になっていく。
受験まではあと数ヶ月しかなくてここからが正念場だというのに、こんな行為をして一日を使うのは間違いなく勿体無いことだ。
コイツは特に性に関しては我慢が効かない生き物だから、俺のほうがそこは大人として見てやる必要がある。
「な、なんだ。…か、身体がなければ付き合うのは嫌か」
「…いや…んー…えーっと…いえ…」
なんだこの分かりやすい表情は。
さっきまでの全力の大喜びはどこへいった。
やはり七海にとって俺は心より身体のほうが大きいのだろうか。
それでもあれだけ付き合いたいと言っていたし、恋人という関係になることで受験勉強中の心の拠り所になればと思ったが、逆効果だったのだろうか。
どこか不安になって視線を彷徨わせると、大きな手のひらがゆるりと頬を撫でた。
ハッとして視線を上向かせると、いつの間にか割り切ったような笑顔がそこにあった。
「分かりました、付き合ってくれればそれで充分です。大好きです、みーちゃん」
そう言って七海は俺にキスを落とした。
ホッとして受け入れたが、いつの間にか背に回った手が俺の尻を意図したように撫でている。
既に先が不安でならないんだが。
休日が明ける。
いつものようにコーヒーを淹れようかと給湯室へ行くと、神谷が先にいた。
そういえば俺はコイツと飲みに行ったのはいいが、酔っ払って金を払った記憶がない。
好きなものを頼めと大口叩いたくせに、後輩に金を払わせてしまっていた。
「ああ神谷。この間は――」
非礼を詫びようかと口を開くと、神谷がハッとした表情で俺を見つめた。
何かと思えば突然額に手を当ててガクリと項垂れる。
一体なんなんだ。
「…おめでとうございます。ついにこの日が来てしまったんですね」
その言葉にドキリと心臓が跳ねる。
どうやら読心術を発揮しているらしい。
「お前な…。もうその特技を使うのは禁止だ」
「おや、それは困ります。私の趣味ですから」
「どんな趣味だ」
ジトッと目を細めながら淹れたばかりらしい神谷のコーヒーを奪う。
一口飲んで、その苦さに眉を寄せる。
だがこの間から緩みきっている心にはちょうどいい。
「…辞職する事。お前にちゃんと言わなくてすまなかったな」
「いえ、やはりあなたの心は変わらないのですね」
「ああ」
ハッキリとそう言うと、神谷は小さく息を吐き出す。
物憂げな眼差しが落ちてきた。
「…あなたと会えるのも今年度で最後となってしまうんですね。今のうちにたくさんあなたの姿を記録しておかないと――」
「何か言ったか」
「いえ…毎日あなたのお顔を見て何か困っていることがないか、変化がないかと胸を躍らせていたのですが」
不審なことを言いながらガックリと落ち込んでいるが、コイツは何を言っているんだ。
一つ息を吐き出すと、落ち込んでいる様子のその額を小突く。
「お前は俺の話を聞いていたのか。読心術はもう禁止だと言っただろう」
「はぁ…」
「これからは何か困ったことがあれば、ちゃんと自分の口で相談すると言っているんだ」
「――え?」
全く困った後輩だ。
それにコイツがどう思っているかは知らないが、俺は別に神谷とは今年度限りの付き合いだとは思っていない。
神谷とは今後も後輩として、友人として付き合っていければと思っている。
七海を好きになって思ったが、コイツの気持ちは色恋だとかというものより、俺に対して憧れのような気持ちが強いんじゃないだろうか。
自分がそんな大それたものだとは思っていないが、大学時代の俺は確かにいい意味でも悪い意味でも注目を浴びていたんだろう。
神谷に向けられる眼差しは七海のような熱く俺を求めるものよりも、いつだってまるでファンのような、尊敬、憧れの眼差しのように思える。
「今後も何かあればお前に相談したい。…ああ、アイツが心配するから二人で飲みには行けないがな」
そう言って背を向けると、神谷から奪ったコーヒーをもう一口啜った。
やっぱり苦い。
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