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ざあっと桜が咲き乱れる。
凍みるような寒さはいつの間にか過ぎていき、どこか清涼感のある優しい春の香りを吸い込む。
雲一つ無い真っ青な天気で迎えたその日は、絶好の卒業式日和だった。
「紺野センセ、どうですか?着慣れないので似合っているか不安なのですが」
職員室で袴姿の若い女教師が、浮足立ったように俺の前で一周りしてみせる。
髪まで綺麗に結った姿はさすが女性といったところだが、しかし男の俺にどうかと聞かれても困るものがある。
「主役は生徒なのだから教師は最低限の身だしなみがあればいい。過剰に気にする必要はない」
「ええと…はい、そうですね…」
安心してくれるかと思いきやどこかガッカリした顔をされた。
やはり女性の気持ちは分からない。
「おや、先生とてもお似合いですよ。生徒達も長く指導を受けた教師がこのようにお綺麗な姿で登場してはとても誇らしいでしょう」
「まあ神谷先生ってば…っ。もー、本当にお上手ですっ。さっそく教室に行ってきますね」
そう言って女教師は顔を赤らめて嬉しそうにパタパタと小走りで職員室を出ていった。
やはり神谷のように気の利いた返しというのは俺には無理だ。
ヤレヤレと神谷を見上げると、ニッコリと物腰柔らかな微笑が落ちてきた。
「もちろん紺野先生が一番お綺麗ですよ。この世にあなたに勝るものはありません」
「俺にまでつまらん世辞を言うな。お前も早く教室へ行って出席を取って来い。式典が始まる」
「お世辞ではないのですが…。一番分かって欲しい方には伝わらないものですね」
苦く笑って神谷も教室へと向かっていった。
今日の流れとしては通常通り出席を取った後、体育館で卒業式が始まる。
卒業式後はクラスのHRがあるが、そこは担任である神谷の最後の仕事だ。
生徒と担任の感動的な場面に水を差すわけにもいかないので、俺は特に干渉するつもりはない。
「みーちゃんっ」
体育館前で入場のため整列する卒業生の流れを見ていると、聞き慣れた声が飛んできた。
人の顔を見たら嬉しそうに駆け寄ってくるその姿に、ドキリと心臓が跳ねてしまう。
もう何度も見た姿だというのに、それでもその顔を見るといつだって心音がどうしようもなく速まっていく。
あっという間に顔まで熱が上がって、頭の芯が痺れるような甘い感情が込み上げてくる。
七海は目の前まで来ると、いつもの屈託のない笑顔を浮かべながら俺をまじまじと見下ろした。
胸についた花のコサージュが卒業生であることを示している。
「あれ、顔真っ赤になっちゃいましたね。俺のこと大好きですか?」
「――っ」
ドカッと耳まで熱くなるのを感じた。
コイツは周りに人もいるのに何を言っている。
パクパクと口を開閉させて固まっていると、七海はどこかくすぐったそうに笑った。
「みーちゃん、今日で高校生も終わりです。やっとみーちゃんの生徒じゃなくなります」
七海は嬉しそうにそう言うが、そういえばまだ大学の話をしていなかった。
4月になればあっという間に教師と生徒に逆戻りだ。
というか生徒じゃなくなることを喜ばれるというのは、教師にとって少し複雑な気もするんだが。
それでもいつもと変わらぬ笑顔にホッとする。
お互いの性格の違いから顔を合わせればすれ違ってしまったことも多くあるが、今日この日に七海に笑顔を向けてもらえることをとても嬉しく思う。
「…あ、その…卒業おめでとう」
やっとのことでボソッとそう言うと、元気よく「ありがとうございますっ」と返ってきた。
その声に周りの視線までこっちに集まってきて、慌てて整列しろと促す。
が、去り際に不意に手を引かれた。
内緒話でもするようにそっと耳に唇を寄せられる。
「みーちゃん、全部終わったら数学準備室で待ってますね。渡したいものがあるんで」
「え?」
コソッとそう耳打ちして七海は整列へ向かった。
卒業式が始まる。
教師をやっていれば卒業式はもう何度も見ているが、それでもやはり特別な雰囲気があり慣れるものではない。
卒業生が入場し、開式の言葉や校歌斉唱など式典が進行していく。
それと共に少しずつ涙で鼻を啜る声も各所で聞こえ始める。
卒業証書授与や在校生、卒業生代表の答辞を聞きながら、自分も高校教師を卒業なのだなと思いを巡らせる。
とはいえ生徒が卒業したからと言って教師の仕事も今日までというわけではない。
しっかり仕事は月末まである。
さすがに俺が辞職することは他の教師にももう伝えていて、教頭が泣きながら送別会を開いてくれると言っていたのを思い出した。
思えば他人との付き合い方も今までは淡々としたものだったが、七海に出会ってからは多少なりとも人付き合いをするようになった気がする。
神谷や結城がいい例ではあるが、教頭にも随分世話になった。
鬱陶しいと思うことも苛ついたことも不審者のように思えたこともあるが、世話になったと思えるのは自分も七海に合わせて少しは成長しているのだろう。
本来なら余計な気遣いは無用だと断るところだが、こちらから労う意味でも送別会には参加しようと思う。
式歌である『仰げば尊し』が流れ始める。
いよいよ卒業式も閉幕ということで、体育館内はもう涙で鼻を啜る声で溢れかえっている。
ひょっとして七海も感動して泣いているのではないかとその姿を探す。
七海にはよく泣かされているが、アイツの涙を見たのは俺が倒れたときの一度限りだ。
アイツは素直な奴だし友人も非常に多いから、きっとこの別れの日に寂しい思いをしているのではないか。
どこか胸が切なくなるような気持ちに視線を彷徨わせると、暇そうに欠伸をしているアイツの姿を見つけた。
アイツめ。卒業式くらいしっかりした態度で望め。
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