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「おや、お久しぶりです。紺野先生」
「えーっ、紺野先生ですか!?」
電車を降りていつも通り家路へ向かおうとしたら、不意に声を掛けられた。
聞き覚えのある声に顔を振り向かせれば、神谷と教頭がいた。
偶然、と思ったが考えてみれば俺の家は高校の近くで、遭遇しても全くおかしくはない。
どうやら駅前の居酒屋で一緒に飲んでいたらしい。
どんな組み合わせだ。
最後に二人に会ったのは退職した先月以来で、まだそう久しぶりとは思えない。
教頭は酔っているのか赤い顔で懐くように両手を伸ばしてきて、イラッと睨む。
キャッと甲高い声と共にその手が引っ込められていった。
「今帰宅ですか。随分遅いですね」
「研究に夢中になってしまっていた。最近この調子が続いていて、自分でも控えねばと思っているのだが上手くいかない」
「ふふ、大学時代のあなたを思い出しますね。体調管理さえ気をつければいいと思いますよ。好きなことに打ち込めるというのは、とても幸せなことです」
「…ああ」
だがそれで七海を蔑ろにしてしまうことはしたくない。
さっきのようにアイツにすぐ苛立ってしまうのも、きっと自分自身が不安なせいだろう。
自分の心の狭さは重々承知ではあるが、ここのところ余計に酷くなってしまっている気がする。
「なるほど、嫉妬と仕事の忙しさとで揺れ動いているといったところでしょうか」
「…っお前。また――」
「ああ、すみません。貴方に会うのが久しぶりでついはしゃいでしまいました。宜しければ気晴らしに少し飲みませんか?教頭も一緒ですしアイツも怒りはしないでしょう」
「ええっ、紺野先生も来ていただけるんですかっ」
赤い顔で教頭が息を荒げているが、もう飲みすぎじゃないのか。
とはいえ久しぶりに会ったかつての後輩や上司との再会に、さっきまでモヤモヤとしていた心が多少なりとも軽くなる。
神谷の誘いに乗って少しだけ一緒に飲んで帰ることにした。
駅前のとある居酒屋の一室。
座敷タイプの部屋で近況報告をしながら飲んでいたが、教頭は早々に酔いつぶれて何故か俺の膝の上でぐっすり寝ている。
そういえば夏祭りの時もこんなことがあったな。
「紺野先生、汚物は床の上に落として構わないと思いますよ」
珍しく神谷の額に青筋が立っている気がするが、その表情はニコニコといつもの笑顔だ。
というか一介の教師が教頭を汚物呼ばわりするな。
「別にいい。それよりお前の方はどうなんだ。新学期を迎えて心配事はないのか」
「そうですね…設置していたカメラの活躍する機会が激減してしまったこと以外、特に困ったことは…」
「結城は元気か」
くだらない話はさておきそう聞くと、意外な顔をされた。
何も俺が結城のことを聞くのはおかしなことじゃない。
七海の他に唯一親しみのある生徒だ。
「相変わらずですよ。ああ、そういえば先日七海に会ったと言っていましたね。なんでも卒業祝いを渡したとか」
「結城が?後輩なのにか」
「ええ。バスケ部は皆仲が良いですからね。何を渡したかまで詳しい話は聞いてませんが、高校生同士の物なのでそう高価な物ではないでしょう」
あの化石のようなクッキーと火山岩のようなマフィンを思い出す。
まさか七海の体調が悪くなるようなものを渡したんじゃないだろうな。
「それで俺も兼ねてからあなたに渡そうと思っていたものがありまして。もう少し落ち着いてから連絡しようかなと思っていたのですが」
「…は?」
「受け取って頂けますか?退職祝いと准教授への就任祝いです」
予想外の展開に驚いてしまう。
神谷にそんな気を遣わせていたのか。
目の前に長方形の綺麗に包装されたプレゼントを置かれて戸惑ってしまう。
「ああ、突然すみません。本当に大したものではありませんし、私の自己満足ですので。お世話になったお礼をさせてほしいだけなんです」
「…いや、俺の方こそお前に世話を掛けたのに…」
「とんでもないです。去年は俺にとって一生忘れられない大切な日々となりました」
物腰柔らかな笑顔でそう言われる。
まあ気持ちだと言ってくれているし、用意してくれたものを無理に断るのも忍びない。
後日必ず礼をすると決めて、有り難く受け取る。
「開けて良いのか」
「はい、どうぞ」
せっかくなので包みを解いてみれば、腕時計が入っていた。
俺好みの飾り気のない事務的なデザインは、非常に実用的で助かる。
さすがは神谷だ。
「気に入った。こんな良いものを貰って良いのか」
「ああ、良かったです。言ったでしょう、自己満足ですから。何もお気になさらないでくださいね」
「…ありがとう。大切に使う」
礼を言うと神谷はほんのり赤くなった顔でニッコリと笑ってくれた。
付けてみるとメタル形式のバンド調整までしっかりとなされていて、手首にすんなりと馴染む。
なぜ俺の手首のサイズまで知っている。
多少の疑問はあるが、まあ神谷だからだろうと納得する。
去年の一年間を神谷と共にして、神谷が俺に対して理解が深い事は俺の中でもはや日常と同等レベルに当たり前の事になっている。
非常にデザインの気に入った腕時計を見つめて、ふと思う。
俺も七海に何か入学祝いを渡したいと思ってしまった。
合格祝いとして一緒に遊園地には行ったが、それは形に残るものではない。
誰かにプレゼントなどした記憶があまりないから、全く思いつかなかった。
後輩である結城まで渡していると聞いたら、余計にそう思ってしまう。
神谷がクスリと笑った。
「そうですね。七海でしたらもう少し若者向けのデザインがいいと思いますよ。大学生なのであまり嫌味のないブランド物がいいかもしれませんね」
「…なるほど。お前はすごいな。俺にはどういう物がいいのか全く分からない」
「そうですね。例えばこちらとか――」
特に何かを言った覚えはないが、神谷は当たり前のようにパッドを取り出し俺に画像つきで説明してくれる。
別に腕時計にすると決めていたわけではないが、神谷の話をフンフンと素直に頷いて聞く。
やはり神谷は話しやすい。
正直自分の性格が人より気難しいのは理解していて、何を言わずとも意思の疎通がとれる者というのは中々いない。
俺の人生で一番の良き理解者の後輩に、いつの間にか表情を緩めて夢中になって会話をしてしまった。
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