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第11章 side 御船
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熱い湯を勢いよく出し、頭から被る。
鉄臭い血の部屋から帰った御船は、
自宅のマンションで、シャワーを浴びながら、
染み付いた血と汚れの臭いを落としていた。
ーーー胸糞悪い、
来ていた服は全てゴミ箱に捨てた。
シャツもズボンも靴までも。
なにもかも不快だ。
何度思い出しても吐き気がする。
下卑た笑い声も、血まみれの薄笑いも。
早く洗い流してしまいたかった、
奴らの臭いなんて一秒たりとも纏っていたくない。身体の隅々まで念入りに洗い、バスタオルを取った所で時計を見た。
もう時刻は深夜と言っていい時間帯で、
病院の面会時間もとっくに過ぎてしまっている。
見舞い人や付添人もみんな仮眠室で眠っている頃合いだろう。
しかし、御船は洗いたての服を着込み、
早々と支度を整えて部屋を出た。
この家から七瀬のいる病院まではさほど遠くない。せいぜい歩きで十五分程度だろう。
もう人通りの消えた夜道を早足で御船は歩いた。
ーーーどうしても今日七瀬に逢いたい。
眠ってたって良い。
見つかって怒られても、構わないから一目だけ、
七瀬の顔を見たかった。
手に触れて、わずかなその体温に触れたい。
薄暗い病院にたどり着き、静まり返った廊下を歩く。
七瀬の病室の前まで行くと、御船はびくりと身体が強張らせた。
…扉が開いている。更に覗くとその奥のカーテンまで開いていた。
御船は怪訝に眉を寄せ、ベッドまで辿り着くと、途端、息が止まった。
ーーーいない…。
七瀬がいない。ベッドの上の布団は乱れていて、眠っているはずの人間を包んでいない。
御船はすぐに布団に手を入れ、温度を確かめた。
まだあたたかい。抜け出してからそう経ってはいない。
ーーーどこだ?どこに行った、
辺りを見回し、七瀬を捜すために病室を出ようとした所で、
床に散らばる細長いモノに気づいた。
包帯だ。包帯が引きちぎられて、
扉の方に向かって放られている。
ーーーこれは…
包帯を掴みとり、廊下に出る。
白い帯は、まるで持ち主の足跡のように、
七瀬の行き先を途切れ途切れに示していた。
その行き先は屋上に続く階段へと繋がっていると気づいた時、御船は身体の体温が、
一気に下がった。
目をみはり、階段を駆け上がる。
ーーー七瀬…!
くそ、どうか…。
どうか間に合うように、
祈りながら、勢いよく、
閉じられていた屋上の扉を開ける。
月明かりが屋上を薄く照らしていた。
その闇に小さな、
危うげな影が動いた。
御船の身体が揺れた。
「七瀬!!」
御船が声の限りに叫ぶ。
影はゆらりゆらりと、鉄柵の方へと進んでいた。
七瀬は振り向かない。御船の声など届いていないかのように、歩みを止めずに進んで行く。
確実な死への道のりを…。
「七瀬…!!」
揺らめく身体を走り寄って両腕で捕まえた。
行かせない、というように力一杯身体を抱きしめる。
包んだ身体は恐ろしいほど冷たかった。
「…や、ッ、やめ、やめろ!」
七瀬が身をよじった。
目は虚ろで、ひたすら、境界線である鉄柵の方を見つめている。御船は更に力を強めた。
「七瀬!落ち着け、もう大丈夫だ、大丈夫だから、」
ーーーもう誰にもお前を傷つけさせたりしないから、
だから、行かないでくれ、どうか戻って来てくれ。
「嫌だ、放せ、放せッ、お前らなんか…、お前らなんか…」
七瀬は震える声で、必死に御船の腕から抜けようとする。頭をしきりに振り、身体を暴れさせる。
「七瀬、」
「いらないッ!!」
その声が涙声に変わった。
「お前らなんか…!いらないッ!!
おれは、おれは…っ、
ーーー御船しかいらない!!」
その一言に、
御船はドンっと心臓を突かれたような衝撃を受けた。
思わず力が緩む。
その隙に七瀬が御船の腕から抜け出した。
そして、ふらつきながら、鉄柵にしがみつき、
震えながら言葉を紡ぐ。
「消えろ…、消えろ!お前らなんか!
お前らなんか絶対にいらない!おれは、御船だけだ!御船しか、いらない!!」
胸が締め付けられる。
御船はあまりの衝撃に、声が掠れた。
「七瀬…、」
「嫌だ嫌だ!消えろ!お前らなんか…」
「七瀬。」
身体中が熱くなる。
強い力を込めて、蹲る身体に向かって声を放った。
「七瀬、俺だよ。」
「…ッ!」
鉄柵に埋められていた顔が上がる。
初めて、七瀬と御船の視線が合わさった。
七瀬の顔がみるみる更に青く染まる。
「俺だよ、七瀬。」
もう一度、強く力を込めて言う。
「御船…、…な、んで、なんで…、」
信じられない、と言うように、七瀬が頭を振る。幽霊を、幻を見るような目で御船を見る。
御船は一歩足を踏み出した。
「七瀬、」
「ッ、来るな!!」
震える足を必死で立たせ、鉄柵の方に身体を乗り出す。そのままピタリと吸い付くように、
柵にしがみついている。
「御船嫌だ、来るな…!来ないでくれ、御船…。」
怯えと、苦痛と、焦りに染まった顔で、
御船を見つめる。涙がその頰にはらりと落ちた。
瞳は相変わらず、虚ろだった。
「頼む…、来ないでくれ、ダメだ御船!」
「どうして?」
優しく、落ち着かせるように御船が問いかける。また一歩、七瀬に向かって足を踏み出した。
七瀬が更に鉄柵に身を乗り出す。
「ぃやだっ!いやだ、来るな!
おれは、おれはもう汚れてるんだ!!」
御船の足が止まった。
胸に苦しさがまた募った。
あまりに悲愴な表情に、声が詰まる。
「もう、ダメだ、おれはダメだ…ッ!
おれは汚い!頼むから、来ないで、くれ…、
お前まで…ッ、」
「…七瀬、」
「お前まで汚れてしまう…。」
ーーーやめろ、七瀬、もう…、
やめろ、
これ以上は…、
「七瀬、…すまない。」
今度は七瀬の身体が固まった。
不意を突かれたような目で、御船を見る。
「すまない。
お前を、
そこまで追い詰めてしまったのは俺だ。全て俺のせいだ。…お前の苦痛は、
全て俺に責がある。だから七瀬…」
「ち、ちが…、ちがう、」
ーーーもうやめてくれ。
「責めるなら俺を責めろ。お前は悪くない、
何一つ悪くなんかない。お前は何も汚れてなんかない。」
「ッ、違う!!」
ーーーこれ以上、
「違わない。」
ーーーこれ以上血の涙を流さないでくれ。
こんな俺をまだ求めてくれているお前を、
汚いだなんて、どうして言える?
汚いわけがないだろうが。
「違う違う、おれは、おれは、
みずから強請ったんだ…!あんな、あんな連中に!じ、じぶんから…、
こ、腰を…!」
背中を丸め、大きく震えながら七瀬が呻く。
御船はなお、表情を買えなかった。
「お前のせいじゃない。薬や、暴力のせいだ。」
「違う、おれが…、」
「違わない。あれは、最低最悪なただの暴力行為だ、
お前は無理矢理に心と身体を痛めつけられたんだ。お前は何も悪くない。」
七瀬の息が荒くなる。
混乱したように、ガタガタ身体を震わせ、
御船に懇願の視線を送る。
「御船…、やめ、やめてくれ、
もうダメなんだ!謝らなきゃいけないのはおれの方だ。
この身体はもうダメなんだ、早くこの身体を
壊してしまわなければ…、おれは、
おれは、もう自分を許せない!だから…、」
頼む、と涙が地面に落ちる。
許しを請うように、せがむように、御船に目を向ける。
「壊させてくれ…。
おれの事なんか、責に思う必要なんてないから…、
自己中な最低な野郎と、
罵ってくれて構わないから…。」
風に乗って、七瀬の呻き声が伝わってくる。
苦痛と悔恨が痛いほどに伝わってくる。
御船は頑として動かなかった。
そして強い瞳のまま、ゆっくり、まっすぐな声で七瀬に答えた。
これがすべての答えだ、という意味を込めて、
七瀬の力をすべて奪うように…、
「愛してる。」
ーーーその瞬間、
七瀬の身体がガクン、と折れた。
七瀬は目を見開いて、ズルズル地面にへたり込み、力が抜けたように、
金縛りにあったように、鉄柵に寄りかかって動かなくなった。
耳を疑うような表情で、ただ御船を見つめている。
「もし、お前がどうしてもその決意を変えられないと言うのなら、俺も一緒に行く。」
「……ッ、」
「言っただろ?」
ーーー俺も同じ方法をとって、後を追うと。
「だから七瀬…、」
「…ゃっ、」
「だからその前に…。」
御船が止めた足をまた動かした。
ゆっくり、一歩一歩足を進める。
七瀬が柵を掴む手をまた強めた。
ーーーそうなる前に、
「帰って来てくれ、
俺の腕の中に。」
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