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「あん?まだ言ってんのかそれ。だいたいさあ退職はなしだってことになってただろ。お前、寝ぼけてんのか。」
キーボードを打つ手を止め、煙草を消して真顔を向けてくる。あまりに怪訝な様子に、そうだっただろうかと寝る前のやり取りを思い出す。いくら記憶を探ってみても、そんなことを了承した覚えはなかった。
「なってませんよね。」
「ちっ。」
面倒そうに舌打ちして椅子から立ち上がる男へ冷たい視線を送る。
「鍵。」
早くよこせと手を差し出すと、それを見下ろして黒谷が楽しそうに笑う。
「昨日までの猫かぶりは終いか。お前って本当はそんななんだな。しつけえし案外頑固な奴だし、自分の言いてえことちゃんと言えんのな。」
そう言うと、首からネックレスをはずす。
「俺は断然今の方が好きだぜ。」
催眠術でもかけるかのように白田の目の前で、チェーンに通された鍵がゆらりと揺れる。
「今のが理由その一。」
はっとして、鍵に集中していた視線を薄い茶とグレーの混じる瞳に向ける。
「他人と一緒の布団じゃ眠れねえんだけど、お前なら大丈夫だった。むしろすっげえ寝れたんだよな。これが理由その二。」
「ちょっと待って下さい。理由は聞かないって、」
「理由その三。単純にお前に興味がある。」
制止を気にせずに言い切る。ぽかんとしてる白田の手に鍵を置いた。
「だから退職は認めねえ。でもリュックは返す。」
「それって僕はどうしたら、」
出て行くのも留まるのも白田の意思で決定できる。
「どうしたい?」
退職しますと言えばいいだけのはずなのに、何故か言葉が出てこない。ここにきて再就職への不安や、住む場所の確保、預金通帳の残高など、とても厳しい状況にある現実的な問題が脳内を埋め尽くす。幸いというべきなのか、雇い主は本当に白田のことを気に入ってくれているようだ。
迷いが白田を動けなくさせる。その証拠に、とっととリュックを取り返しにも行かない。
カタンと椅子が動く。
「腹減った。」
「はい。」
絶妙のタイミングの呟きへ反射的に返事する。
しまったと思うが、普段ならからかいの一声でもいいそうな猛牛はすでに椅子に座りデスクに向かっていた。何もなかったように続きの文章を打ち始める。
その姿を見て白田も素直にキッチンへと向かう。冷蔵庫の中に何があったか思い出しながら手早く出来そうな料理を考える。もう退職する気は遠のいていた。
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