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― ep.5 ―(4)
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もわもわとした怪しい雨雲の真ん中に、突如はっきりとした雷の閃光が天から現れて真っ直ぐに地面へ向かって突き抜けていったような……そんな景色が見えた気がした。
恐ろしくて見ることができないままでいた方向から放たれた凛と響く怒声に、今度こそ振り向かずにいることはかなわなかった…。
「…あ、あの………」
「――」
イーゼルの前で立ち上がり、細い肩を細かく震わせている阿部先輩は――今まで見たこともないような悲痛な顔で、なのに鋭い刃物で突き刺すような強い意志を持った眼で、ただ一点を必死に睨んでいた。
その一点は………俺じゃない。
ある程度予測できていたのか、それとも全く意表をつかれていたのか、どちらなのかよくわからない表情で阿部先輩を見つめ返している、砂原先輩。
二人の間に流れる空気は、発端となった俺を無視してどんどん穏やかじゃなくなっていく。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、ここまで馬鹿だったのかこの馬鹿!!」
「え、えぇ〜……?
そんな4回も馬鹿って言わないでよ、傷付くなぁ」
おどけた調子で返す砂原先輩だが、俺の告白を受けた時も今も、何を思っているのかが全く表情から読み取れなかった。
逆に。
いつもは感情のわかりづらい阿部先輩のほうは、怒り、悲しみ、情けなさ、そんな数々の感情の渦がグルグルととぐろを巻いているところまでがはっきりと目に見えるようだった。
「怖い怖い。そんな顔しないでよみちるちゃん。せっかくの国宝級美人さんが台無しだよぉ?」
両手を軽く上げて「降参」のようなポーズで阿部先輩に歩み寄っていった砂原先輩は、俺から見てもあまりにふざけていて、何だか胸がざわついてしまう。
そのままの調子で仲直りの握手と言って出された右手を、てっきり振り払うものだと思っていた。
しかし阿部先輩は。
その手を強く掴み返すとそのまま自分の右後ろ側に向かってグイッと引っ張り、ギリギリまで近付いた顔へ、トーンを一気に落とした静かな声で囁いたのだ。
「逸彦。お前の気まぐれも好奇心も今に始まったことじゃないし、直せと言ったところで直るものでもないだろう。
僕が振り回されるのは、自分で決めたことだからそれでいい。
だけど、お前、少しでも椎崎の気持ちを考えたか?」
「………」
「お前がここまで相手の真剣な気持ちを軽視しているような奴だったなんて、僕は知らなかった」
(……え………?)
聞き取れたのが不思議なくらいの、小さな声だった。
けれど、確かに阿部先輩はそう言った。
俺は、この人が自分に怒りをぶつけてくることを想像していた自分を深く恥じた。
でも、自分でも呆れるほど身勝手になってしまった俺の気持ちは、今は何よりも砂原先輩のことでいっぱいだった。
『椎崎の気持ちを考えたか?』
それは一体どういう意味なのか……?
普通に考えれば、やっぱりさっきのOKは冗談で、真剣に告白してきた俺をからかって楽しんでいるとか、そういうことになると思うけれど。
(けど、なんか…それは違う気がするんだよな……)
違うと信じたいとか、そういうことではなくて。
本当にそんな単純な話ではなさそうな気がするのだ。
悲しいけれど、俺の知らないことを阿部先輩は知っている。それは決して目を逸らすことのできない事実で、受け入れなければいけないことだ。
そして、いくら俺が遊ばれて気の毒でも、あの怒り様は尋常ではなかった。
きっと何かある。
俺は、今もなお顔色を変えない飄々とした佇まいの砂原先輩を、改めてじっと見つめた。
「ん? なに?」
「なにって………」
俺の視線に気付いた先輩は、軽い調子のままそれだけ尋ねてくると、阿部先輩の手を放し、完全に俺に向き直って、またいつも通りの輝くような笑顔を見せた。
「返事ならもうしたじゃん?」
「………」
――なろうか。恋人に。
その返事が、阿部先輩のあの怒り様を見ても変更されないということなのか?
陽が傾き始めた美術室は、白から薄い金色へ変わりかけている不思議な色彩の中にいた。
少しだけこの場所が現実の空間ではないように見えて、その中で明るく笑う彼の言葉は、この金色の世界ではそれが真実になるのかもしれない、…なんて思ってしまった。
真意はわからないまま。
彼のことを何も知らないまま。
それでも俺は、やっぱりあなたのことが好きです。
新しい意味で差し出された彼の手を握り返し、それまでとは何かが違う特別な握手が交わされた瞬間、俺は彼の《恋人》になった。
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