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Vivre dans la révolution~革命に生きて
Marie Antoinette
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スピンオフ第一弾です。
主人公ディディエの育った時代の背景をアップさせていただきます。
王妃マリー・アントワネットと国王ルイ16世。
メンディー一族とデシャン一族とは付き合いがあった。
マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ(Marie-Antoinette-Josèphe-Jeanne,1755.11.2-1793.10.16)。
ドイツ名だと、マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ(Maria Antonia Josepha Johanna)。
神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女としてウィーンで誕生。
幼いときのマリア・アントニアは兄弟姉妹ととても仲が良かった。
イタリア語、チェンバロ、ハープ演奏が得意としていた。
勉学こそ悪くはないが、飽きっぽいところがあった。
フランツ1世の崩御とともに、マリア・アントニアの幸せな日々は終わろうとしていた。
そんなマリア・アントニアは産まれながらの政略結婚の道具にされていた。
長年敵対しているブルボン王朝とハプスブルクとの和約を画策していたのだ。
その相手は、ルイ・オーギュスト・カペー王太子(のちのルイ16世)で年齢もマリア・アントニアとも近かった。
母君のマリア・テレジアはマリア・アントニアにこう告げた。
「マリア・アントニア。あなたは、フランスとオーストリアの懸け橋になるべく、フランスに嫁ぐのですよ」
「嫌!!・・・わたくし・・・お母様たちと離れたくない・・・!」
無理もない。マリア・アントニアは13歳にも満たなかった。
1769年6月、ようやくルイ15世からマリア・テレジアへ婚約文書が送られた。このときアントニアはまだフランス語が修得できていなかったので、オルレアン司教であるヴェルモン神父について本格的に学習を開始することとなった。マリア・アントニアはフランス語が苦手だったのだ。
「ヴェルモン神父様、どのように発音すべきでしょうか?」
「マリア=アントニア王女様、このように発音すべきですよ」
「しかし・・・フランス語は苦手・・・」
フランス語に悪戦苦闘している。
嫁ぐ一か月ほど前、マリア・テレジアとマリア・アントニアは同じ部屋で過ごしていた。
マリア・テレジアはマリア・アントニアと別れるのが惜しかったのだ。
そして、1770年4月21日の早朝・・・マリア・アントニアは、故郷のウィーンを離れることになった。
沢山の侍女、執事、着付け係、食事係など100名ものとりまきに付き添われ、豪奢な馬車数十台が列を連れながら。マリア・アントニアは二度と、祖国に戻ることはなかった。
「さようなら・・・わたくしの育ったウィーン・・・」
5月7日。
ケール近郊のライン川。そこは、オーストリアとフランス国境。
オーストリア側とフランス側の2つの控えの間をもつ豪華な館が建てられていた。
ヴェルサイユ宮殿の女中頭ノアイユ夫人が、マリア・アントニアを待ち構えていた。
「お引き渡しの儀」だ。
ノアイユ夫人はマリア=アントニア曰く
「エチケット夫人」
「マリア・アントニア王女様、こちらでこれまで着ていた服をお脱ぎくださいませ。あなたは今日からフランス人ですから、フランスの服を着ていただきます。そのあと、フランス側から出てもらいます」
オーストリアのすべてを一切捨てろ・・・?そう、下着類も何もかもだという。
なに、それ・・・どういうこと・・・?腑に落ちない・・・
「犬は連れて行っていいでしょう?」
「認めることは出来かねます。ヴェルサイユでも犬を飼うことは可能です。さあ・・・」
マリア・アントニアは侍女たちに犬を託しざるを得なかった。
そして、永遠の別れとなったのだ・・・
「元気で、王女様・・・」
こうして、マリア・アントニアはオーストリア時代の衣類を全部脱いで、フランスの服を身に着けることになる。服だけでなく、下着類、靴類全部。
オーストリアの王女としての権利も捨てることになった。
マリア・アントニアとルイ・オーギュストの出会いは、5月14日午後3時、コンビエーニュ近郊の森のなかのベルヌの橋で実現。
ルイ・オーギュストもマリア・アントニアと同じ気持ちだった。
「僕もまだ、荷が重すぎます」
ルイ=オーギュストも祖父のルイ15世に拒否を出すも、却下された。
「ハプスブルク家の王女マリア・アントニア様を未来のフランス王妃として迎えるんだろう?」
兄と弟が言う。
ルイ=オーギュストは気が進まなかったが、マリア=アントニアを乗せたガラスの馬車を見たとき・・・
「わあ・・・」
王太子妃がやってきたことを、双方の随員がファンファーレで伝え合う。
侍従長のクロイ公爵に「王太子妃殿下です」と紹介されると、マリー・アントワネットは優雅にひざまずき、ルイ15世に「お父様」とあいさつをしていた。
「ようこそ、ヴェルサイユへ。マリア・アントニア王女様」
そこには、当時二十歳前のジャン=フランソワ・デシャンも一緒だった。次期顧問側近というポストが用意されていた。
その夕方になるころ。マリア・アントニアを乗せた馬車はヴェルサイユに到着した。
周りは好奇の目でマリア・アントニアをじろじろと見つめている。
当然、緊張は走る。
だけど、ここはプラス思考。
「そのうちにヴェルサイユの生活もなれるでしょう。だけども、もう、後にはひけない・・・」
そして、ヴェルサイユの部屋へも案内された。
マリア・アントニアはウィーンとは違った華やかさに圧倒され・・・マリア=アントニアのために用意された部屋や衣裳部屋・・・宝石箱には、華やかな扇子が入っている。
マリア=アントニアは試しに、扇子を広げていた。
そのとき、ひとりの女児が挨拶してきた。
「マリア・アントニア王女様、ようこそ」
天使のような挨拶の仕方。マリア・アントニアも幸せな気分にしてくれた。
「はじめまして、マリア・アントニアよ」
*****
yunaより。
ディディエの育った時代背景のつもりで、マリー・アントワネット王妃のことをクローズアップさせていただきました。
次回は王太子ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)もアップさせていただきます。
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