アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
Vivre dans la révolution~革命に生きて
Louis August
-
スピンオフ第二弾です。
ルイ・オーギュスト・カペー(Louis August.1754.8.23-1793.1.21)。
父ルイ・フェルディナン王太子、母マリー=ジョゼフ・ド・サクスの三男として誕生。
ヴォギュヨン公爵がルイ・オーギュストの家庭教師を務め、理数系やラテン語などを手ほどきした。
しかし、帝王学まで教えていたなかったのが、後々、ルイ・オーギュストにとって致命傷となる。
最初は、オーストリアのマリア・アントニア王女との結婚は予定はなかった。
ルイ・オーギュストの兄ブルゴーニュ侯爵のルイ・ジョセフが結核のため夭折。急遽、マリア・アントニアとの政略結婚、という運びになった。
最初は、ルイ・オーギュストの父ルイ・フェルディナンはその画策に大反対。しかし、崩御したため、ようやく、政略結婚がすすめられることとなった。
「僕には荷が重すぎる・・・」
1770年5月16日、マリア・アントニアとの婚礼がヴェルサイユ宮殿の礼拝堂で多数の司教や司祭の下で華やかに執り行われた。
その挙式場所には、ディディエの父二コラ・メンディー夫妻、ジャン=フランソワ・デシャン夫妻、パティシエ・シェフのオーギュスタン・アングラード夫妻。
また、オーギュスタンの三女マリー=エリザベートもその時期に誕生しているため、オーギュスタンにとって幸せそのものの時期でもある。
世紀のロイヤルウエディングそのもの。
ダイヤモンドと真珠がちりばめられた豪華なウエディングドレスに身にまとったマリア・アントニアはルイ・オーギュストが待っている礼拝堂へと静々と近寄っていく。
マリア・アントニアとルイ・オーギュストは結婚に関しての著名をその場でした。
最初に君主のルイ15世が著名。そして、王太子ルイ・オーギュスト。最後にマリア・アントニアが著名をしていく。
かなりの緊張で手が震えている。
「マリア・アントニア・ジョセファ・ヨハンナ」
フルネームの一部「J」を誤っていたのだろうか。しみをつけてしまった。
「Whaou!!」
二人は緊張していた。
これは、二人の悲劇を暗示する不吉な予兆だったのかも知れない・・・。
ルイ・オーギュストは、マリア・アントニアの顔を見たとき・・・
「この王女様が・・・僕のお姫様、のちの王妃様になるんだ・・・」
「こちらの王太子様が・・・わたくしの・・・?」
一瞬で惹かれあっていた・・・
挙式の後、ダンスパーティーが執り行われた。
主役の二人は、華やかなダンスを繰り広げられ、招待客たちは二人の優雅さに魅了されていた。
ダンスパーティーの後には、菓子が支給された。その菓子は、オーギュスタンの手製のものである。
「新しい時代がやってきた!マリア・アントニア王女様、ルイ・オーギュスト王太子様、万歳!」
国民たちからの祝福があった。
そして、二人の成婚祝福して、記念メダルまで作られたほど。
また、ルイ14世時代からの婚礼の際、扇子が作られていた。
当時は女性貴族の間で流行アイテムとなっていた。
マリア・アントニアも好んで愛用していたアイテムでもあった。
*****
作者yunaより。
ルイ・オーギュストは11歳のときに父ルイ・フェルディナンをなくし、追い打ちをかけるかのように13歳のときには、母后マリー=ジョゼフ・カロリーヌ・エレオノール・フランソワーズ・グザヴィエール・ド・サクスをなくしていた。
ルイ・オーギュストは家族愛に恵まれていなかったため、寂しさを人一倍感じていたようです。
次週はヴェルサイユのしきたりに戸惑うマリア・アントニアをアップ予定です。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
11 / 71