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1 殺してやる
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「死んでやるっ!」
漆原涼はそう叫び、ベッドの上で足をばたつかせた。友人の笹竹克樹は食べかけのカップラーメンを啜るのをやめて、またかと箸を置いた。友人から物騒な台詞が出てきた割には笹竹は冷静で、むしろ返事を返すのが億劫になっている。無理もない、漆原は二日に一回はこうやって発作を起こすのだ。
「今度は何があったんだ」
聞いても漆原は枕に顔を埋めるだけで笹竹の言葉に何も返さない。普通なら、本当に気が病んでいるのではと心配するところだろうが、笹竹には分かる。ベッドに押し付けた漆原の顔は、今笑っていることが。漆原はこうやって構ってもらえるのが大好きな、少し面倒な奴なんだ。
漆原がだんまりを決め込んでから二分後、笹竹はいつも通りの言葉を口にする。
「話してくれないならもういいや。漆原にはもう構わないでおこうっと」
それが聞こえた瞬間、漆原は急にガバッと起き上がった。いつものことだ。大きな黒色の瞳はたっぷりの涙を含んでいる。これもいつものことだ。
「笹竹ごめん。ごめん、ごめんよぉ…」
漆原はおぼつかない足取りで笹竹の元まで一歩ずつ進み、その大きな体に抱きついた。媚びるように頬を擦りよせる漆原の仕草が、少しだけ可愛いと思ってしまう。
「今回は特別に許してやるよ。で、何があったんだ?」
「うん、実はね」
漆原は、本当はずっと言いたかったという本心を隠すように顔をうつむかせながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「この前始めたコンビニのバイトで、俺始めたばかりだから上手くできないのに、客に怒られて」
「どんな風に怒られたんだ」
「他の人もいる前で怒鳴り散らされたんだ。『遅い!』とか、『こっちは時間がないんだ!』とか。それで最後にはね、『このクズ店員め!』って」
毎度のことながら、そんなことかと落胆してしまう。そんなことで死にたいならこっちはもう何度自殺したか分からないぞ。そう言いたい気持ちをグッと堪え、笹竹は漆原の小さな頭を撫でてやった。
「そういうこともあるさ」
「でもひどいよ!俺が客なら、少しくらい店員が遅くたってそんな風に怒鳴ったりしない。いくら何でもあの言い方はひどすぎる」
顔を赤くさせて必死に伝えようとする漆原を見て、こいつは死にたいんじゃなくて同調されたいだけなんだと改めて思う。そんなことを言えば目の前の彼はヒステリックに叫ぶとわかっているから、言わないけれど。
そして、笹竹は漆原の死にたい病が起きた時、いつもこう言うのだ。
「とにかく、自分で自分を殺すのはダメだ。死にたいなら俺が殺してやるから」
「笹竹いっつもそう言うけどさ!殺すどころか俺のこと殴ったこともないじゃん。嘘つき」
いつもはこう言えば「分かった、死ぬのはやめる」と柔らかな微笑みを浮かべるのだが、この時の漆原はそうではなかった。よっぽど不機嫌なのか、それとも今までこうやって交わしてきたポイントが蓄積されてしまったのか。
とにかく、漆原が不機嫌であることは事実だ。頬をあざとくふくらませ笹竹に背を向けている。
「漆原」
「……」
「おい漆原」
「……」
「あぁクソ、そうだよ。俺が悪かった。本当に殺す気なんてさらさらない。俺は嘘つきだ」
(だけどお前も「死にたい」なんて嘘を二日に一回は吐くだろう)
言葉の続きは、心の中だけにとどめて置いた。
「…死にたい」
漆原は小さな声で、でもハッキリと聞こえるように言った。
「県内一の高校に受かったのは良かった。でも大学受験はことごとく失敗して、親には失望されて、勉強が怖くなってできなくなって、だからフリーターになって、でもどのバイトでも俺は邪魔者扱い。むしろ、大学に行ってないってだけで俺よりも頭の悪そうな大学生からもバカにされる。そして、シェアハウスまでしてる親友にまでバカにされてるなんて、もう生きてる希望がない。死にたい」
「俺はバカになんか」
「してる!殺してやる、なんて子供騙しの嘘ついて、毎回俺が死にたいって言うたびに内心面倒くさいんだろ。このバカ!」
叫ぶように言った漆原の声は震えていて、後半はよく聞き取れなかった。
────でもな、漆原。お前は知らないだけだ。
たった一回の失敗で実の息子を「私の子供じゃない」なんていう親の方がおかしいってことも、お前自身に学歴以上の能力があるってことも、俺がお前にどんな願いを込めてこのシェアハウスを始めたかも。
「漆原…俺は、お前に元気を取り戻してほしかった。シェアハウスを始めたのも、こんな嘘をついているのも、全部全部お前に元気になってほしいからだよ」
「……」
「死にたいって言うだけなら自由にしろ。だけどな、これだけは覚えておけ。ここに、今お前の目の前に、もしお前が本当に死んだら、ものすごい、どこまでも続く海のような深い悲しみに襲われる人間がいるってことを」
漆原は静かに泣いていた。頬に流れ星が流れているようで、綺麗だった。
「でも…ッ、でも俺、まともに仕事してもできないようなダメな人間だし、これから先もたくさん、死にたいって思っちゃうかもしれない」
「大丈夫だ。そしたら、俺に死にたいって言えばいい。殺してやるって言ってやるから」
「この嘘つき」
漆原は瞳の雫をぬぐって、流れ星なんかよりずっと綺麗な顔で笑った。
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