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今日はもうそれを伝えてしまおうと、伊織は居間まで引き返す。目的の人物に聞こえるようドアをノックしてから、ゆっくりと居間へ入る。味噌汁の香りに嗅覚を刺激されながら、台所に立つ義母の美奈に目を向けた。
「おはようございます」
口角を上げて当たり障りなく挨拶すると、美奈は少しだけ顔を上げた。伊織を一瞥し、眉を寄せるとすぐに視線を戻す。
相も変わらずわかりやすい反応だな、と伊織は心中でひとりごちた。
「……おはよう」
実にそっけない態度だが、平常運転である。
伊織はそれを聞くと笑みを深めて、食器棚からグラスを一つ取り出した。美奈の横に並ぶ前に「すみません」と一言入れてシンクへ向かう。水道水をなみなみに注ぎ、その場で飲み干した。使用したグラスは洗って水切りカゴに置き、視線は美奈を捉えないまま口を開く。
「それじゃあ、学校に行って来ます。今日はバイトがあるので、そのまま友達の家に泊まります」
淡々と言い終え、伊織は居間を出ようと歩く。
返事に関して期待も何も望んでいない。これはただの報告で、美奈を、ひいては彼らを安心させるための言葉だ。
彼女はどうしてか、伊織に恐怖心を持っている。嫌悪からではないようだったが、初めて会った時からだ。
伊織の外見は言うほど派手ではない。髪は染めてもダークトーンであるし、ピアス穴の拡張はしていない。顔つきが厳ついこともないし、表情なんかは特に気をつけて話しかけている。
なんとも解せない反応だが、なぜなのかと踏み込むことはない。そんな事をすれば、父と兄の心象を悪くするのは目に見えてわかる。自らが忌避する結果に、わかっていながら沿うはずもない。
「朝ご飯は、いらない?」
居間の扉を僅かに開けた時。微かな震えを伴う声が、背後から聞こえた。手を止めたと包丁の音が消えたことでわかった。
伊織は動揺して、目を見開きながら慎重に背後へ振り返る。そこには少しだけ怯えた様子の美奈がいた。
「あ、いえ……いり、ません」
いつ以来か久しぶりに合った目、初めて言われた言葉に、伊織は歯切れ悪く返す。どんな返答をするのが正解なのかわからず、もしも四人で食卓を囲んだらと考えて顔色を悪くした。
美奈は怯えたままだろうし、父だってきっといい顔はしない。兄は一線を引いて、伊織同様に当たり障りなく接してくるのだろう。
どんな気持ちの変化なのか知る由もないが、伊織にそれを推し量ることなど不可能だ。父が再婚して一年、まともな会話を美奈や兄としたことがなかった。初対面の人よりかは見知っている程度の関係である。
「そう……」
それは味噌汁の沸騰する音に、ともすれば掻き消えてしまいそうだった。蚊の鳴く声とはこのことだろうか。
盗み見るようにさり気なく美奈を見れば、やはりどこか安堵していた。返す言葉は間違っていなかったと思い、それから複雑な気持ちになる。
彼女は本当に、わかりやすくて素直な人だ。その性格は美点であって、弱点でもあった。
「せっかく声をかけていただいたのに、すみません。お気遣いありがとうございます」
美奈と向かい合えば、自然と顔は笑顔を貼り付ける。習慣づいた動作と表情だ。けれど今回ばかりは歪な微笑となった。
天敵に襲われる小動物のように、彼女は縮こまり会話はそれきりとなる。伊織は瞬きをして、居間を出た。
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