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★★★★★★ 君が悲しみに泣き叫んだあの夜も、どこかの誰かは愛に癒されていたんだって、 ☆☆☆☆☆☆
★爪先に海を閉じこめるような彼なら、或いは
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★爪先に海を閉じこめるような彼なら、或いは
救いが欲しい。
…………救われたい。
「美作(みまさか)さーん、岡山から連絡入ってまーす!」
「電話中って言ってくれ折り返すー!」
頼むから。もう誰も俺の名前を呼ばないで欲しい。鳴るな電話。ああうるさい。
目の前の仕事が終わらない。文章作って画像付けて。ひとつひとつの手順は簡単。なのに邪魔が入るからちっとも進まない。
「美作さーん、昨日の請求なんすけどー」
わかってる。これはお仕事です。好きでやってることです。べつに金のためだけじゃない。それなりに楽しい。楽しいけど今は、このパソコンをぶん投げて嫌いな相澤を一発殴って帰りたい。
「美作さーん」
「はーい!」
救われたい。
家は静か。
ひとりだ。ワンルーム。倉庫。寝る場所。ただそれだけ。家に帰ると飯食って風呂入って寝る。風呂に入るのもだるい。
休日はひたすら寝て過ごす。でも楽しくない。模様替えをしてみる。秋の私服を買ってみる。早朝ランニングをしてみる。美味しいランチをだらだら食べてみる。楽しくない。
楽しくないんだよ。
誰か。
誰か救ってくれ。
そんな人物がこの世界にいるわけないことを俺は知ってる。憂鬱なのは自分の視野が狭くなってるからだ。身体にいいものを食べて適度に運動してぐっすり眠れば治る。……はず。でも、それをやる気が起きない。仕事はかろうじて出来てる。みんなとふだん通り話せる。風呂だって入るし飯も食う。転びそうになるのを必死で走ってるみたいなんだ、今。もう駄目だとあと少しを繰り返して毎日をやり過ごす。
誰か。
………………自分を救えるのは自分だけだ。
久しぶりに近所の足湯に行ってみた。無料なのに、あまり人も来ない。じいさんばあさんぐらいだ。わりと清潔に管理されている。
なんかこう、癒されるかな、と思ってきたんだけど、あんまそうでもなかった。俺、こんなことしてていいのかな。もっと他に、やるべきことがあるんじゃないのか?
あー駄目だ。頭の中がごちゃごちゃしている。布団の中にひきこもりたい。
「お兄さーん、大丈夫?」
声をかけられた。隣にしゃがんでる、若い男。知らん奴。あーすごい。こいつはキラキラしてる。若いし、髪の毛染めてるわパーマかけてるわ、服もイマドキなお洒落さんだし。
「あはっ、ごめん。なんか死にそうな顔してたからさー」
笑う。女にモテそうだ。いいなあ。こんなんだったら、人生楽しいに違いない。
「……死なない。なんか用?」
ちゃぷ、とお湯がはねる。足が熱くなってきた。そろそろ出ようかな。
「……………、……っ!」
若造は言葉を発しようとして、これ難しいやつだ、と思い直して、俺に手を合わせた。お願いごと。……いちいち、わかりやすい奴。
「あのさっ、とらせてくんないっ!?」
取らせて。なにを。若造が首からさげてるものを見る。ああ、撮らせてか。カメラ。
「企画で使いたくてさ! 足をね、撮りたいんだけど。あの、ちゃんとお礼はするんで」
奴はきらっきらした目で、俺の足を見る。なにがいいんだ、こんなの。ごつごつしてて、でかくて、臭そうな俺の足。
「…………めんどくないことなら、いいよ」
なんかこう、非日常を。味わったら、少しはこの退屈から抜け出せるんだろうか。そう思ったから、了承した。
近くの休憩用のベンチに腰かけて、奴がしたのは、まあ普通にカメラを構える。おっさんの汚ぇ足なんか、なにに使えるんだろう。毛も生えてるし。
「……あんた、プロの人? 学生?」
「んー。アマチュア抜け出し、ってとこかな。大学生によく間違われるけどさー」
あそこにね、と可愛らしい笑顔で、彼は俺の目をまっすぐ見て、右を指した。長くて白い人差し指。
この施設の受付。ログハウス。壁に写真がベタベタ貼ってある。
「写真あるじゃん。あれ、俺が撮ったの。ここにくるじーさんばーさんとかー、イベントあるときとかー、タダで。代わりにここで俺が好き勝手撮るの、許可貰ってんだよね」
「……それって楽しい?」
「楽しいよー?…………お兄さんは? 楽しいこと、なに?」
「……………………」
出てこない。若造に苦笑された。カメラを置く。立ち上がり、脚を伸ばす。
「あ、で、お兄さんさ、もいっこお願いあんだけど。ペディキュア塗ってもいい?」
「……なにそれ」
「えーと、……足のマニキュア? ピールオフだから全然、すぐ落ちるし爪も痛めないしさ」
「……わかる単語で言ってくれ」
「えっとねー、…………」
また、説明が難しいらしい。手をひらひらさせたあと、おもむろに自分の片方の靴を脱いだ。靴下も脱ぐ。ふらふらしながら、俺に片足を見せた。爪がピンクだ。人工的な色。
「塗ってー、1分くらいで完全に乾くからー、そしたら写真撮って、で、これ剥がれるやつだから大丈夫」
爪のピンクをかりかり剥がす。シールみたいにずるっとむけた。
「これをアナタにしたい」
「いいよ」
なんでも。どうでも。
「マジでー! お兄さんちょーいい人じゃん。いやねー、たいがい嫌がんのよ、イットキだけなのにさー」
彼はショルダーバックのポケットから、マニキュアの小瓶を取り出す。そして、俺の足に触れた。
「俺はべつにいいと思うんだよねぇ。男がマニキュアとかハイヒールとかさぁ」
「…………気持ち悪くないの?」
「あ、うーん……なんていうの、こう。ごつい……自然に生まれたものにさ、人工的な華奢を合わせるのがいいっていうか、対比? や、噛み合わないもの、不条理、違うな。…………男の足にペディキュアってさ。『えっ?』ってなんじゃん。その『えっ?』ってなる瞬間が恋に似てる。次から『あっ』に変わる。変わってしまってもう戻れないのが初恋みたい」
「…………半分も理解できない。君、芸術家なんだな」
「ゲージュツセイねー……あればもっと売れてたかなー」
はは、と力なく笑う彼に、ああこの人にもそれなりの過去があったのかと気づく。
爪先。塗られてる感覚もないのに、金色になっていく。足が、じゃなく、そんなことをされている状況に心がくすぐったい。変な意味で。だって見ず知らずのイケイケな若造に、ひざまずかれて、足触られてんだぞ。繊細に。
金色。2/3青。爪先1/3緑。透明感があるから、下の色と混ざって透けてて綺麗。水彩画みたいだ。
というか、これは海。
「あ、わかるー? 俺それ好きなんだよねー」
写真を撮る。スマホでも撮る。スマホにはスマホの良さが、とべらべら語るが、俺にはわからない。
「…………ごめん、俺うるさい?」
困った顔で笑う。いろんな笑顔がある。動きが面白い。こいつを見てるのは、興味深い。でも見られてる側は無表情なおっさんに延々とガン見されてて、いい気はしないだろう。
「うるさくない。……君みたいな人生だったら、楽しいだろうな」
「なんかあったの?」
「なにもない。なにしても楽しくなかった」
「えー。なにしたの? 具体的に」
そこから俺は喋る。つまらない毎日。変えようと思って、いろいろやったこと。でも駄目だったこと。
んー……、と若造は考えて、俺に言った。
「あれだ、友達作りなよ」
「……いらん。ひとりがいい」
「なんで?」
「……名前を呼ばれたくない。うるさいから。疲れる」
「それは仕事でしか呼ばれてないからだよー。そんなん、嫌になるって。楽しいことと結びつけなよ。あとさ、人と話したり、触ったり、けっこう楽しいもんだよ。お兄さんが人生変えようと思ってしてきたこと、ひとりで動いてるやつばっかじゃん。……今俺と話してるの、しんどい? 疲れる?」
「……しんどくはない」
「もう話したくない? 飽きる?」
「……全然」
「ほらねー。ひとりじゃ限界あるって」
明るく笑う。こんな若造に諭されるなんて。でもそうか。そんなもんか。
横に座った彼に、手を握られた。ゲージュツセイのある奴は、ホモが多いって聞いたことある。まさかな。
「……違うよ、そういう変なやつじゃないからね?」
俺がひいてるのを感じたのか、彼は落ち着いた声で言う。
「お兄さん、人と手を繋ぐのって、いつ振り? 思い出して」
わからない。前の彼女。そんなもん、何年前の話だ。だいたい、手を繋ぐことなんてあったか。
「人に触るって、けっこう大事なことだと思うよ、俺は。だから大人は子供を抱きしめるでしょう。大人だって、ハイタッチとかさ。円陣組むときとかもさ。嬉しいことがあったときに、ハグしたり肩叩いたりさ」
あたたかい。足湯に浸かってたときより、布団にくるまってるときより、心がほぐれる。
救われる。
「あーもー、こういうことしてっから、ホモとか言われんのかなぁー」
大きく伸びをしながら、彼は言った。帰り道。すぐ近くの駅まで一緒なので、川と緑の遊歩道を、ならんで歩く。
「あ、ホモじゃないんだ」
「いやホモだけどさ」
「じゃあ、いいじゃん」
「…………違うじゃーん!」
嫌そうに嘆いて、また手を動かす。見てて飽きない。
「違うんだよ空気がー、だからそのっ、視線とかさっ? 触りかただって違うし。意識してる、としてないの差は、」
「へー、どう違うの」
「どうって、えーとね。…………っ、や、やらないけどさ」
普通に喋ってたのに、急に顔を赤くする。その様子を見て、俺は笑う。……いつ振りだろう、笑ったの。
「やー、まあ。気になるじゃん」
ふらふらしてた手をつかんで、握る。指をからめてみる。
握っても握り返してくれない。力の入ってない細い指。
「……これが意識してるってこと?」
「…………してるよ、あのさー。ホモにちょっかい出すノンケって最悪なんだけど」
「なんで?」
「からかわれてムカつかない人なんている?」
「あー、なるほど」
でも手は離さない。
「…………」
「…………写真のお礼、これでいいからさ」
「えー駄目だよ、ちゃんとお金」
「いらん。これがいい」
「……じゃあ、これと、あとなんか、もう一個ね」
「もう一個」
「なんかしてほしいことある?」
さて、駅まであと少し。
その彼と、今日だけでなく話したいし、関わっていきたい俺は、これからどう話を持っていこうかと考える。そうだな、まず手始めに、
「君に名前を呼ばれたい」
★終
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