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そっと顔を離せば、彼は口元を抑えた。
『嫌……だったかい…?』
「そ、そんなわけ…って、言わせないで下さい!!」
彼の両手を掬い握り締め、額を合わせる。
『訂正しなければならないね…』
「?…何を、です?」
『臆病な人なんかじゃ無い、君はとても強い人だ。』
「………。」
『逆境に立たされても…生きようと術を身に着け、常に背を正していた。』
「そんな事…」
一人きりだったあの日々で、君はどんなに挫けそうになっても…強く生きようとしていた。
不慣れである事ばかりなのに…それでも努力していた。
『俺は君を見習わないと、だな…』
除け者にされようとも…
邪険に扱われようとも…
君はそれでも血に足をつけて、生きている。
「…俺は、生きようと思っていた訳じゃないですよ。ただ、食料があって…住むところがある。だから今は生きていようと思っていただけです。死ぬ時は……それらが無くなる時だなぁ、って漠然と。」
『それでも、色んな事をしていたじゃないか。布団を干して、料理だってしていたんだろう?』
「よくご存知ですね……まさか、相楽さんが?」
『ははははっ、違うよ…とある日に、布団を取り込む君を見たんだ。』
手の中にある彼の指先を、親指で撫でる…
包丁で切ったのだろう…小さな傷から指先の至る所にある。
『君は本当に…良く頑張っているよ。』
「………。」
『今度は俺の番だから、ゆっくり休もう…ね?』
「……はい…」
君が頑張ってくれたから。
君が生きようとしているから。
今度は俺が頑張るよ…
掌と額から伝わる彼の体温に、そっと目を瞑る。
「あの数カ月は、少しだけ……寂しかった。」
『………。』
「貴方が恋しくて、一人を実感して……尚更…」
『……うん。』
「相楽さんが戻って来てくれて、本当に嬉しかったんです。」
『うん。』
「貴方の姿を見られて、嬉しかった…」
『うん…』
「こうしてまた、触れ合える事が…とても嬉しい。」
『うん…』
会えなかった日々と、今日の出来事について…
俺達はずっと手を握りながら同じ布団へと入り、話し続けた。
時折彼の心境似耳を傾けては、そっと肩を寄せ合った。
静かに降り積もる雪を眺めながら…
互いの体温に安堵して…
彼は俺と共に居られる様に、妹との婚約を進めた。
"家族"となり、見守る為に。
それを知って少し驚いたけれど、嬉しい気持ちもあった。
彼は…俺との繋がりをまた一つ増やそうと試みていたのだ。
『君に説明も無しに進めようとして、本当にすまなかった…』
「……いえ…」
『不誠実だと罵ってくれて構わない…けれど、俺は…』
「そんな事しませんよ……どうしてもと言うのであれば、今日はずっとこの手を離さないで下さい…。」
『…そんな優しい罰で良いのかい?』
「貴方を苦しめる道理が、俺には無いじゃないですか…それとも、苦しめて欲しいのですか?」
『ふふっ…君から与えられるのであれば、どんな事であろうと受け止める所存だよ。』
「……しませんよ。」
『おや残念。』
「反省してませんね…?」
軽口を叩く彼を見やれば、何故か嬉しそうに微笑まれた。
握られた掌が痛い程強くなり、腕を引かれればより一層距離が近くなった。
『しているさ………けど、嬉しい気持ちが勝ってしまうんだよ。』
「……?」
『こうして君と話せて…手も握れる。この距離に居ても咎められない……嬉しく思わない訳が無いだろう?』
確かにそう言われてみれば、俺達にしてはとても貴重だ。
同じ床に入り、手を握り…肩が触れ合う程近くに居られる。
それに……先程初めて彼と口付けをしてしまった。
こんなにも穏やかや状況など、後にも先にも無いかもしれない…
「そう、ですね…」
『……君のその笑みを見ると、より一層嬉しいな。』
「えっ…」
『ゆっくり休もうと言った矢先だが、今夜は夜更かしをしてしまおうか!』
「わ、っちょ…!」
腕を引かれ、彼と共に横へ倒れる。
俺の上半身が彼の胸板へとぶつかり、顔に熱が集まった。
こ、こんな体制…!
『誰に見られてる訳でも無い、今夜は存分に味わって…また明日からお互い頑張ろうじゃないか。』
「……でもっ」
『駄目かい?』
「…っ…」
『君が駄目だと言うのであれば…俺は無理強いはしないよ。』
背中に回された腕が離れ、俺が身を引きやすい様に空間が開けられた。
狡い…
俺が駄目なんて言う訳がないのに。
露骨に不機嫌さを顔に出し、俺は彼の胸板へと額を押し付けた。
「意地悪…っ…」
『…〜〜〜っ……君はほんっとに…』
「?」
額を抑え、天を仰ぐ彼。
重かった…だろうか?
そう思ったのも束の間、彼は強く俺を抱き締めると少しだけ顔を赤らめて俺を見た。
『敵わないなぁ……』
困った様に眉を下げ、そう言って笑う彼を見て…
胸が苦しくなってしまった。
慌てて顔を伏せて目を逸らせば、旋毛辺りに柔らかい感触がした。
『……愛しているよ、心から。』
「…はい、俺も…」
そっと背に回った指先で、優しく撫でられる。
まるで何かをなぞるような……
「………。」
嗚呼…この動きは、俺の痣を撫でているのか。
『この背も、俺は愛しい…』
「…っ…物好き、ですね。」
『おや、何て事を言うんだ…この背に描かれているのは、一等綺麗な翼だろうに。』
「……翼…?」
『初めて見た時、そう思ったんだ……片翼を持つ美しい背中だとね。そこから君に堕ちたんだよ、それなのにそんな事言うだなんて…』
泣き真似をしだした彼を見て思わず笑えば、頬に触れるだけの口付けを落とされた。
酷く甘い雰囲気を醸し出す彼に当てられ、俺はそれを受け入れながら目を瞑る。
再び額に口付けられ、目元に移動し…鼻先へ。
そしてそのまま……口元。
「ん……」
離れた気配を感じ、そっと目を開ければ…
愛おしそうに見つめてくる瞳が見える。
嗚呼…この甘い時間が、ずっと続いて欲しい。
ずっと…
ずっと…
「…もう、お終いですか?」
『………君にそれを言われたら、応える以外の選択肢は無いじゃないか…』
「………。」
『でも、俺はこうして戯れる時間も幸せだよ…』
「…ええ、俺もです。」
『また落ち着いた頃に…誘ってくれるかい?』
「誘っ…?!」
『うん?違った?』
「………違、わないですけど…その言い方は嫌です。」
『はははっ…それは申し訳無いな。』
こんなにも幸せな時間があって良いのだろうか。
こんなにも…暖かな時間が…
「………。」
『どうし……っど!?えっ、な、何か気に触る様な事言ったかい!?』
「い、え…いえ、違うんです…っ…」
『なら何故泣くんだ…?』
「幸せだと思えるのが……嬉しくて…」
『………。』
今迄、どんな事があろうとも気が付けば朝を迎えていた。
生きているのか死んでいるのかさえ分からない日々…
人形の様に同じ事を繰り返し、夜になれば暗闇の中へ身を投げ出したくもあった。
それでも死なずと生きていたのは、彼が心の拠り所となっていたからだと思っていたけれど…
姿を見るだけで幸せだと思っていたのがバカらしく思える程、この時間が有り難いと思える程…
俺は今幸せを実感している。
それが何よりも嬉しくて、それが何よりも意外だった。
彼と出会い、話をするようになってから全てが動き出した。
嗚呼…俺の心はまだ死んではいなかった様だ。
それを痛感した瞬間、涙が溢れてしまった。
漠然と生きていた日々では、その瞬間さえ次第に見落としていたのか…
自分を卑下しても、彼は否定する。
周囲と同じ様に忌み嫌えば、彼は更に愛情を注ぐ。
願っては振り落としてきた事も、彼はいとも容易く成し遂げる。
『君は幸せを得ても良い人間だ…』
「はい…っ…」
『周りの声など、俺が蹴散らしてやるさ。』
「…っ…」
『だから如何か、ずっとこの手を離さないでくれるかい?』
「…はい…!」
離へと隔離され何十年…
俺はようやく、心からの笑みを零す事ができた。
「………。」
どれくらい彼と身を寄せ合っていただろう。
特に会話をするでも無く、ずっと…
見つめていた庭先は、ぼんやりと明るくなり始めていた。
遠くで火事を報せる鐘の音が聴こえる。
『…最近、火事が多いね。』
「そうですね、冬場は乾燥しますから…」
『君も火の元は、充分気を付けるんだよ。』
「はい…」
髪を梳く様に撫でられる内に、次第に眠気が襲って来た。
嗚呼…まだ寝たくないのに…
寝てしまったら、夢だと思ってしまう。
そんな俺を見ていたのか、彼は優しく笑った。
『大丈夫…起きても側に居るよ。』
「ほんと、ですか…?」
『ああ、君に嘘など吐かないさ……ああほら、もう瞼が落ちかけているじゃないか。』
「でも…」
『大丈夫だから、安心しておやすみ…』
「………。」
背中を優しく叩かれ、全身に感じる彼の体温…
自身の鼓動が背中の音と、彼の鼓動に波長を合わせ始め…そっと指先に力を込めて衣類を握った感触の後、俺の視界は暗くなった。
寝息を立て始めた彼に安堵し、少し身をずらす。
起こさぬ様慎重に、彼の身体を布団へと導いた。
『……おやおや…ふふふっ…』
きつく握り締められた襟合わせ。
握っている相手を知っているから尚、笑みが溢れる。
そんなに掴まなくとも、此処に居るというのに…
『可愛い人だ…本当に…』
涙を流し過ぎて赤くなってしまった目尻…
幸せだと紡いだ唇…
離さまいとする細い指先…
全てが愛おしくて、胸が張り裂けそうだ。
ごろりと隣へ横になり布団を掛け直してやれば、俺の胸板へ頬を寄せる。
『……離れないさ、ずっと。』
彼に届いたのか定かでは無いけれど、少しだけ彼の表情が和らいだ気がする。
優しく、それでいて強く抱き締め…俺も目を瞑った。
彼よりも早く起きて、おはようと言ってやろう…
朝餉を共にして、時間が許すまで此処に居よう。
目が覚めたら…夢だと思わせない様に。
鳥の囀りが聴こえ、意識が浮上する。
欠伸をしながら隣を見やれば、まだ夢の中の彼。
顔に掛かっている髪を優しく払い除け、微笑む。
ふ、と誰かの気配を感じ、彼に触れていた手を布団の中へと戻し振り向く。
そこに立っていたのは…相楽だった。
『おはよう。』
〘おはようございます、随分と……いえ、何でもありません。〙
『お陰で和解したよ…まぁ、何もしてないがな。』
〘……昨夜は申し訳ありませんでした、深く事情を知らなかったもので…その…〙
『ははっ、彼にも言われたさ…俺もすまなかったね。』
暖炉に薪を焼べながら、相楽は眉を下げている。
申し訳無いと言うのべきはこちらの筈なのに…
身を起こし布団から這い出て、暖炉に近づく。
『お前にはもう少し情報を与えるべきだったな……』
〘いえ…昨夜、楓から聞きましたから。〙
『そうか…』
〘はい…〙
小さな火が焼べられた薪に燃え移り、小さな破裂音が響く。
〘お茶、お淹れしますね。〙
『ああ、頼むよ。』
〘………。〙
『そうだ、この後時間がある時に話そう。今後についてと…害虫について。』
〘承知致しました。〙
『既に何人かは、気の早い猫にやられたみたいだが…』
〘そうですねぇ……紙の森の中に一匹と、食材の中に居ました。〙
『そうか……鼠は随分と頭が良いらしいが、他の仲間には気付かれてなかろうな?』
〘ええ勿論、この間見かけた時鼠は相変わらず丸々と太っていて思わず嘔吐きましたよ。〙
『はははっ…ま、今の内に肥やしておけば良いさ。』
となると、相楽が手に掛けた奴らは…小説家を名乗る者と、銀行員の社長か。
中々隠蔽を得意とする厄介な奴らだと思っていたが、相楽が始末してくれたお陰で今後は素早く終わらせられそうだな。
『………。』
差し出されたお茶を啜り、話そうとしていた計画の道筋を立て直す事も考えないとな。
「…ん…」
『おや、起きたみたいだね…』
「…?……???」
『…ふふ、此処だよ。』
俺の所在を確かめるべく彷徨っていた手を掴み、声を掛ける。
起き抜けで強張った表情は、俺を見つけた瞬間綻んだ。
それが堪らなく嬉しく、つい笑みが溢れた。
『おはよう。』
「おはよぅ…ございます…」
『ふふふ、寝癖が付いているね…良く眠れたかい?』
〘さぞ良い夢を見られたようですねぇ。〙
「はい………ぅえっ?!相楽さん?!」
〘おはようございます…ふふふっ。〙
「いつから其処に?!」
相楽の存在に気付いていなかったのか、彼は思い切り仰け反って布団の中へと隠れてしまった。
茹で蛸の様に顔や耳、項まで赤く染まっている。
それを見た相良はより一層楽しそうに口元を歪ませ、彼の分のお茶を湯呑みへと注いだ。
『夢じゃ無かっただろう?』
蓑虫となってしまった彼にそう声をかければ、頭だけ姿を見せた彼は照れ臭そうに微笑んだ。
「ええ、夢じゃありませんでした。」
そう言って笑った顔は、仏すらも霞んでしまう程…
一等綺麗で、神々しく思えた。
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