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帰りの特急は、やはり週末らしく込み合っていた。3両ほど移動して覗いてみたところで座席の空きは無い。
これ以上歩かせるのは竹内さんに悪い…っていうのは余計なお世話だという事はわかっている。俺にとっては見るからにしんどそうな底上げされたシークレットシューズでも、竹内さんは仕事中毎日平然と履きこなしているのだから。
それでも、俺に比べたら…歩きにくさはある筈だし。
「この辺で空くまで立ってよ。」
「…ん、そうだな。」
竹内さんは座席横の手すりに掴まり、俺は近くのつり革を握った。じとっと睨む目つきが怖いよ竹内さん。別に何もしないって。
今までだって、バイト先とか人が居る所で襲った事ある?ないっしょ。……家の中の事は、言えないけどさ。
「…どしたの。」
「なんで届くんだよ。」
「え、そこ?」
素足にサンダルを引っ掛けただけの俺を見下ろし、他の乗客の誰にも聞こえない静かなぼやき。この場にいる沢山の人達の中で俺だけが知っている彼のマスクの中の柔らかな頬は、きっと空気を含んで膨れているに違いない。
この間も出張だったみたいだし、通勤は車でも仕事で電車に乗る機会は多いんだろう。
ふと、つり革を持つ竹内さんがハタから見れば足首完全に逝っちゃってる体勢で揺れに耐えている光景が浮かんだ。スラックスの下の方、本来だったら絶対曲がっちゃいけない方向に曲がってても本人は涼しい顔して窓の外を見ているんだろうなって。
知らない人が見たらどう思うんだろう。…軟体動物とか?やばウケる。
「おい、何笑ってんだ。」
「うっそ顔出てた?…うー、俺もマスクしよっかなぁ。」
本人を目の前にしながらありもしない事想像して笑うのはいくら何でも失礼だった。ちょっと反省。これは絶対、竹内さんには秘密。
「……お前は、しなくていい。」
「へ?何が?」
「…マスク。佐々木の笑った顔、が…その、……~~。」
タイミングを見計らったかのように連結部分が軋み、そもそも小声の竹内さんから発せられた“何か”が掻き消されると同時に──大きく揺れた。
座席ゲットした人すら缶コーヒーを転がして、俺と同じくつり革組の連中はみな半歩足を前に出す。それこそ竹内さんがこっち側なら確実にばいぃーんってなる衝撃。
例外でなく自らもバランスを崩し、すぐ隣で堪えた竹内さんに寄り掛かる。だが、実は重心を取りづらい足元してるこの人が俺の重みによろめくのは当たり前の事で。
結局俺が彼の細い腰を引き寄せたところで、揃ってすっころぶ惨事は防いだ。
「ごめんた…暁人さん、大丈夫?」
反射的に竹内さんって言いそうになるのはもう癖だ。でも呼んでいいって、酔ってるわけでもなく言ってくれた言葉は何よりもの宝物。
自分より年も身長も上の男を支えるなんて、ちょっと前の俺じゃ想像もしなかったけど。
声も出さずに頷く彼を不思議に思い、俯き加減の顔を覗き込む。
と、そこで俺が見たのは──。
「……なんて顔、してんだよ…あんた。」
「〜〜〜っ、こ、この先また揺れるかもしれ……から、まだ……この、このまま…っ。」
潤んだ瞳に火照る耳。首まで真っ赤で、力いっぱい手すりを握る手の甲はか細く震えて。
「…………ぅ、ん。わかった…。」
最寄り駅に着くまで、その後俺達が会話を交わすことは無かった。ただずっと、互いの煩すぎる鼓動の音を確かめ合いながら。
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