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03
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火葬炉へ着くと、親戚はすでにみんな集まっていた。
その中心には、台に乗せられた立派な棺。
「…お顔をご覧になられますか?もし思い出の品などがあれば……」
「いえ…俺は結構です」
思い出の品か、強いて言うならビールの缶だろうな、と心の中で笑う。
すると後ろにいた大和が一歩足を踏み出し、開かれた棺の前に立つ。親戚たちが見守る中、大和は棺の中にいるであろう父の顔を眺めていた。
沈黙の中、大和は静かに目を閉じる。すると、一粒の雫が頬を伝い落ちた。
「………」
柊一は、その横顔を目に焼き付ける。
父のために泣いた奴がいる。改めてそう思うと、心の隅にあった自分が泣けないという罪悪感が少し薄れていく気がした。
「…柊一くんは、本当に大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
叔母の隣に立つと、柊一の隣に大和が並んだ。
それから台車は職員の手によって押され火葬炉に入り、音を立てて扉は閉まる。
「火葬が完了するのに一、二時間かかりますので、それまでお休みになられてください。昼食はこちらで用意させていただきます」
そんなに待たなければいけないのか、と柊一は小さく溜息を吐いた。
親戚たちに続いて控え室へ戻ろうとすると、トントンと叔母に肩を叩かれる。
「…ちょっと大事な話があるから、来てくれない?」
「……わかりました」
親戚の列から外れて叔母に着いて行くと、人気のない場所へ出た。
薄汚れた窓をチラリと見てから、椅子に並んで腰掛ける。叔母は葬儀が終わったこともあり、今までの疲れを吐き出すように息をついた。
「色々と準備していただいて助かりました。ありがとうございます」
「いいのいいの。柊一くんは、私の孫みたいなものだから。妹も来れたら良かったんだけどねえ……」
「……それで、話というのは?」
話をそらすようにそう問いかけると、叔母は大袈裟に柊一に向かい合い、周りに誰もいないにも関わらず声を潜めて話し出した。
「……大和くんのことなんだけどね」
「…はい」
「本人から聞いたんだけど…大和くんの母親……柊一くんのお父さんが亡くなったって知った途端に、逃げたらしいのよ」
「……逃げた?」
逃げたって、どうやって?
息子の大和がここにいるのに?
「もうお金が貰えないと思ったんじゃないの?遺産も何も、あの人からは出ないし……あ、気を悪くしたのならごめんなさい…」
「いえ、その通りですから……それで、逃げたってどういうことですか?じゃあ、大和は…?」
「それなんだけど……柊一くんが、大和くんを引き取るっていうのはどうかと思ってね」
叔母は、それがどういうことか知っていて、言っているんだろうか。
自分が不幸になった原因である大和と暮らす。毎日寝食を共にし、二人仲良しこよしで……そんなことが出来るわけない。現に、柊一はもう何度も大和に八つ当たりをしてしまっている。
柊一にもわからなかったのだ。
行き場のない怒りをどうすればいいのか。自分の不幸の原因をどれに定めればいいのか。
「お父さんの隠し子と暮らすなんて難しいことはわかっているけど……彼はもう高校二年生だし、お金が貯まれば独り立ちもできるでしょう」
「その独り立ちするお金はどこから出てくるんですか?ここら辺は物価も高いし、バイトじゃ日々の生活で精一杯ですよ」
「でも、児童養護施設に連れてくのは可哀想でしょう?」
「……だからって…」
なんで俺がまた誰かの世話をしないといけなくなるんだ。
でも、大和のことを叔母に頼むのは筋違いだし、他に頼れる親戚もいない。いるとしたら母親だけだが、離婚してから一度も会っていないことを考えるとそれこそ難しいだろう。
それから柊一は、叔母と大和の今後について話し合ったが、結局話は平行線のままだった。
「永田様でいらっしゃいますか?」
「…あ、はい」
話が途切れたところで、黒いスーツを着た職員が二人に声をかける。
「御遺体の焼却が終了しましたので、一階にお集まりください」
「ああ、わかりました。すぐに行きます」
柊一は朝から何も食べていないため昼食をとりたかったのだが、お腹が鳴らないせいで時間の経過に気付けなかった。
職員が去った後、叔母は立ち上がると、ポンと柊一の肩に手を置いた。
「大和くんのこと…考えておいてね」
「…………」
すぐに頷けるわけもなく、柊一は曖昧に苦笑を返しただけだった。
アレがまだ中学生以下の子供なら、考えただろう。
しかし高校生ともなれば、もはや大人みたいなものだ。自分で考え行動することができる。気を遣えるし、我慢もできる。
そうなると素直である子供の方が気が楽だし、自分もこんなに大和に当たることはなかっただろう。
俺は悪人ではないが善人でもない。大和には申し訳ないが、施設で暮らしてもらうことにしよう。
「こちらです」
親戚たちと合流し、職員に案内された部屋へ入る。すると、その部屋の中心には台車が置かれていた。
台車の上には、人の形をした白い骨が生々しく転がっている。
柊一は初めて見るその光景に、思わず口を抑えて俯く。
「……遺族の方は、順に箸渡しでお骨上げをお願い致します」
叔母から遠慮がちに箸を手渡され、大丈夫かと聞かれて小さく頷く。しかし正直、手は震えて骨を拾うどころか視界に入れることもできなかった。
人間は、こうも簡単に骨になってしまうものなのか。
父の、動いていた心臓や肺、髪の毛、爪一つ残っていない。たった一、二時間の間に火に焼かれて、これしか残らない。あんなに長い時間生きていたのに。ついこの前まで、偉そうに説教をしていたのに。
「柊一さん……」
「っ……ぁ、」
隣で、大和が骨を箸渡しして来るのが見えた。
少しも汚れてなどいない。驚くほど真っ白な父の骨。触れれば白い粉が手につきそうだった。
ぐっ、と奥歯を噛み締めて、柊一はその骨を箸で掴んだ。思ったよりもずっと重かった。まるでオモチャみたいな骨なのに、その重さに本物であることを柊一は痛感した。
「…骨壷は、どなたがお持ちになられますか?」
「…柊一くん、持てるかい?」
「あ……はい」
中身が見えないのなら平気だった。
職員から立派な箱に入った骨壷を受け取る。
「お疲れさまでした。帰りはバスで斎場までお送りいたします」
緊張が解け、親戚たちとともに帰りのバスに乗り込み小さく息を吐いた。
気を抜くと心臓が押しつぶされそうになるのを堪え、膝の上に乗せた父の骨壷を握り締めて静かに耐える。
「隣に座ってもいいですか…?」
「……ああ」
大和が柊一の隣に腰を下ろすと、バスは緩やかに火葬場を出た。
大和が隣に座ったことで、柊一の気が引き締まる。それは大和より自分が年上で、大人でなければいけないというプライドからなのかはわからないが。
そういえば、大和はあの骨を見て、平気だったんだろうか。
自分があんなに取り乱したのだから、大和はもっと大きな衝撃を受けたはずだと思い、柊一は横目で大和を観察してみた。
しかし、彼はさっきのように泣くそぶりもなく、ただ真っ直ぐ前を見ていた。その横顔は自分よりも大人と思えるほど、落ち着いて見えた。
「……大和、お前…これいるか?」
「……え?」
「親父のこと、俺より大事に思ってたみたいだからさ…親父もお前のところの方がいいんじゃねぇかなって、思って」
手に持った骨壷を大和の方へ少しずらしてやる。
どうせ自分の家に置いたって、埃をかぶるだけだ。それならこいつと一緒にあった方がいいだろう、という柊一なりの配慮であった。
「…どうする?仏壇が欲しいんなら買ってやるけど……」
「……俺のせいですか…?」
「……ん?」
「俺のせいで……柊一さんは父が嫌いになってしまったんですか?」
大和の真っ直ぐなトゲのある言葉に、柊一は答えに詰まった。
その通り、なんて言えるわけがない。それに、柊一が父を嫌いな理由はそれだけではなく、様々な要因が積み重なった結果だった。その多くが大和に関係していることは事実だが。
「…そんなわけねぇだろ、色々あったんだよ。親父と俺には…」
「……夢が、あったんですよね…柊一さん」
「………」
「夢諦めて、お金を稼いだって……」
トイレでした八つ当たりの言葉を覚えていたらしい。変なところをピックアップされて、柊一はまた言葉に詰まった。
すると、大和はおもむろに呟く。
「…俺、恩返し……いや、罪滅ぼしがしたいんです」
「……は?お前が何をしたんだよ」
「あなたの幸せを、壊した」
「……くだらね」
悲劇のヒロイン気取りか、と柊一は大和の言葉を鼻で笑った。
「俺の家族を壊したのは、親父だ。お前じゃない。お前に罪滅ぼしとか言われても迷惑なだけだ」
「……でも…」
ああ、そうか。こいつにはもう帰る場所がないんだっけ。
大和の”罪滅ぼし”という言葉が、急に柊一の中で安っぽくなっていく。
母親に逃げられて、父親も死んで、頼る当てもないから葬儀に来たんじゃないのか?ここなら誰かが助けてくれるって、そう思ったんだろう?
「……じゃあさ、大和」
俺には夢があった。それはそれは立派な夢。
両親の離婚がなければ、俺は順調に大学へ進み、今頃は論文やレポートに追われる毎日を送っていたはずだった。
それが今は、ただの新人プログラマー。バイトの延長線上で雇ってもらったとはいえ、仕事は決してラクではない。自分の夢とは随分かけ離れた仕事だった。
今まで親父のために金を稼いでた。
それが、この青年に変わるだけ、そう考えれば少しはマシだ。
「俺と一緒に暮らすか」
ずっと頭の隅にあった罪悪感を、消したかったのかもしれない。柊一の出した答えは、意外にもそれだった。
大和は大きく目を見開き、思わぬ提案に喜びを押し殺して柊一を見る。だが、柊一の作り笑いに気付いた大和は、一瞬了承しかけた返事を押しとどめた。
「……柊一さんは、いいんですか?これから夢を追いかけることだって…」
「ああ、その話はもういいから」
「……はい」
行き場のない子供を助けるヒーローにでもなりたかったのか。
柊一は、あまりに似合わない自分の偽善的な姿にヘドが出た。父親の前では、優しい息子を演じることさえできなかったというのに。
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