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04
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大和を引き取ることを決めた柊一に、叔母は安心したと喜んだ。
柊一くんならそう言ってくれると思った、などと言う叔母を睨みつけたい気持ちを堪えて笑顔を返し、柊一は大和を車に乗せて自宅へ帰ってきたのだった。
柊一が住んでいるのは、3LDKのマンションだ。
母がいた時のままにしておきたかったのか、父は離婚してからも引っ越すことをしなかった。そのせいでこの部屋には至る所に母のいた痕跡が今も残っている。
リビングに入ると、カーテンを閉めていないせいか陽の光が入り込み、部屋は蒸し風呂のように暑かった。身体を包む熱に顔をしかめて、柊一は小走りでクーラーの電源を付けた。
「あっついな…その辺座ってて。着替えてくるから」
「…わかりました」
リビングに残された大和は、クーラーから吹く冷たい風にほっと息をつく。それから失礼とは思ったが、部屋をじっくりと見渡してみた。
父の住んでいた部屋。
台所の床にはビールの缶が大量に並んでおり、溜まったゴミ袋の中もそれでいっぱいだ。
電話台の横に置かれた写真立てには、なんの写真も入っていない。
テレビの真下に置かれたリモコンは、なぜか二つに割れて放置されている。そしてテーブルの上に置かれた灰皿にはガムテープが巻かれており、なぜそうなったのか、大和はそれを想像して胸が痛んだ。
いや、もしかしたら落として割れただけかもしれない。
それでも、この光景を見ると、父と柊一はかなりの頻度で喧嘩をしあったのではないかと思わずにはいられなかった。
「ふぅ…やっとラクな格好ができる」
「…今日はお疲れ様でした」
「お前もな。…それで、服とかは家にあんの?」
「はい。今取りに行った方がいいですか?」
制服のままではくつろげないだろうとは思ったが、柊一にはもう運転する気力は無かった。高校生だし電車で取りに行かせてもいいのだが、服の他にも荷物があるだろうし、一度に全て持って帰った方が効率がいい。
仕事もしばらくは忌引きで休める。明日取りに行けばいい。
そう思うと、柊一はすぐさま寝てしまいたい衝動に駆られた。
「いや、今日は俺の服を貸してやる。明日まとめて運ぶから」
「…ありがとうございます」
「サイズは…まぁ、少し小せぇかもしれないけどな」
俺が小さいんじゃない、こいつがでか過ぎるんだ。
そんな言い訳を心の中でしながら、柊一は自分の服を持ってきて大和に渡した。
「…そんで、腹減ったか?」
「…少し」
「あー…そうか、冷蔵庫の中のもん適当に食ってて。俺はちょっと…寝たいから寝る」
「えっ……」
微かに聞こえた大和の声に、振り返る。
だが大和はハッとして口をつぐみ、なんでもないと言うように微笑んだ。
「わかりました。おやすみなさい」
「……ああ、おやすみ」
面倒臭い。
何か言いたいことがあれば言えばいいのに。
大和の中で自分のイメージが良くないことはわかっている。でもそんなに何でもかんでも怒るほどのキチガイではないというのに。
柊一は大和のことを内心気にかけながら、自室のベッドに倒れ込んだ。気軽に入ってこられるように扉は開けておいたが、自分の寝顔を見られるのは嫌だな、なんて今更考える。
だがそれよりもベッドから起き上がる方が嫌だったので、柊一はそのまま枕に顔を埋めて目を閉じた。
耳を澄ますと、リビングの方から椅子の軋む音が聞こえた。
それから、トントン、と規則的に床を足で叩く音。
柊一は笑いそうになった。なぜなら、父もよく椅子に座って貧乏ゆすりをしていたからだった。
大和は、父に似ていない。
けれど、ちょっとした仕草や態度は、俺よりも似ているかもしれないな、と柊一は薄れていく意識の中で思った。
*
ピンポン、というチャイムの音で目が覚めた。
体の上にかけた薄い掛け布団は、いつのまにか床に落ちてしまっている。窓の外に目をやるとすっかり暗くなっており、思ったよりも寝てしまったことに柊一は自己嫌悪した。
緩慢な動作でベッドから起き上がると、玄関の扉が開く音がした。それから、誰かの話し声。
どうやら大和が対応してくれているらしい。
思い切り体を伸ばし欠伸をすると、リビングの椅子に座った。何気なく時計を見ると、時刻は午前二時。
こんな時間に、誰が?
「あ…おはようございます、柊一さん」
「なぁ、今の誰だったの?」
こんな時間に訪ねて来るなんて、自分の友人ではないだろう。もしも危ないやつだったら大和に出させるべきではなかった。
しかし柊一の心配をよそに、大和は誤魔化すように笑った。
「なんでもありません。住人が酔っ払って、間違って押してしまったみたいです」
「……本当か?」
「はい」
「…ならいいけど。これからは知らない奴は勝手に出るんじゃねぇぞ、電話もだ」
「わかりました」
柊一はいつもの癖でテーブルに置いた煙草に手を伸ばした。だが、大和の存在が気になりそれを下ろす。
「吸ってもいいですよ、母親も吸ってましたから」
「…いや、やめとく。それよりなんでこんな時間まで起きてんだよ。テレビもつけねぇで…退屈だったろ」
「携帯いじってましたから。それに…あんまり眠くなくて……」
「……そう。飯は?」
「食べました。冷蔵庫にあったおにぎりをひとつ…」
それじゃあ足りないだろう、と柊一は表情で大和に示した。
大和は、俺に気を遣っているのか怯えているのか――恐らく前者だろうが、遠慮が多すぎる。このままじゃぎこちない雰囲気に耐え切れなくてこっちが発狂しそうだった。
「んじゃあ飯作ってやるよ、何がいい?」
「え…いや、いいですよ」
「うるせぇ、作ってやるって言ってんだ。好きなもん言え」
まずは、大和にリラックスしてもらわなければならない。それにはまず腹を満たす、それが一番だと柊一は単純に考えた。
大和は正直に言うとかなり空腹の状態だったので、柊一の提案に遠慮がちに乗ってみる。
「じゃあ…炒飯とか」
「炒飯ね、了解」
料理には自信があった。
早くに母がいなくなり、父も仕事をしていたため幼い頃から家事は柊一の役目だった。父が仕事を辞めた後もたまに作ってはいたが、父は滅多にそれを食べなかった。
久しぶりに自分以外のために作る料理に、柊一の気合が入る。
「大和、苦手な野菜とかある?」
「特に…ないです」
「よしよし」
嬉しそうに頷く柊一の後ろ姿に、大和は肩の力が抜けていくのを感じた。
柊一が寝ている間、本当は携帯なんていじっていなかった。ぼうっと部屋の中を眺め、物思いに耽っていた。
父と柊一がどんな生活を送っていたのか想像した。そして自分がこれから柊一と上手くやっていけるのかを考えて、大和の頭の中は不安で埋め尽くされていた。
トイレでされた八つ当たりを、怒ってはいない。寧ろ、自分が葬儀に来て追い出されなかったことに感謝したくらいだ。
だからせめて柊一の重荷にはなるまいと、もう会うのはこれで最初で最後にする覚悟でいたのに。
柊一は自分を受け入れてくれた。
どんな思いでそうしたのかわからないが、今の大和には柊一しか頼れる相手はいなかった。このチャンスを逃すわけにはいかない。
仲良くしよう。
彼に気に入られなければ。
「柊一さん、手伝います」
「いや、いいって。座ってろ」
「でも……」
背後からぬっとこられて少々驚いたが、柊一はそれをおくびにも出さずに大和を振り返る。
「安心しろ。俺の料理は絶品だから」
「……はい」
自分で言うか、というツッコミを期待していたのだが、大和は柊一の機嫌の良さを不思議に思うだけだった。
とんとんとん、という包丁の音。フライパンの上で油が跳ねる音。
大和は携帯をいじる振りをして、柊一の後ろ姿を眺めていた。
人が料理する姿を見るのは初めてだ。
母はいつもインスタント物や冷凍食品で済ましていた。たまの外食だけが、大和の楽しみだった。
「あ、大和。胡椒取って、今手放せなくて」
「っはい」
名前を呼ばれて、ドキッとした。自分が見ていることがバレたのではないかと。
大和は柊一の指示を受けて棚から胡椒を取り出すと、柊一の前へ差し出した。だがそれと同時に柊一が手を伸ばしたことで手がぶつかり、大和は誤って胡椒をシンクへぶちまけてしまう。
「わっ、ゲホゲホッ…煙やば」
「す…すいません」
辺りを舞う茶色の煙を手で追い払い、咳払いをする柊一。
申し訳ない思いで大和は落とした胡椒を拾うと、三分の一ほど減ってしまったそれをもう一度柊一へ差し出した。
「お前…気を付けろよな、慌て過ぎ」
バカだな、とでも言うような柊一の笑みに、大和は再びドキッとした。
なぜならその時初めて、柊一の作り笑い以外の笑顔を見たからだった。
「あーもう、これ片付けんの面倒くせえなぁ」
「じゃあ俺、片付けを……」
「ああ、料理食った後で頼むわ」
「…わかりました。他に何か手伝うことは……」
「ないよ。もうすぐできるから待ってて」
自分に呆れて溜息をつきたい気分だった。
胡椒の粉で汚れたシンクを気にしながら席に着き、再び携帯を手に取る。何をするでもない。ただ持っているだけ。
大和は未だ咳き込む柊一の後ろ姿に謝罪の言葉を頭の中で呟きながら、さっきの笑顔を反芻した。
彼を”笑わない人”というカテゴリーに位置づけていた大和は、そこから柊一を取り出した。
「お待たせ」
どん、とテーブルに置かれた炒飯は湯気を立てており、香ばしい匂いが鼻をかすめる。
美味しそう、と大和は外食の時と同じ感想を抱いた。
「ありがとうございます。いただきます」
「どうぞ」
美味しい、柊一さん料理上手いですね。
大和は炒飯を一口食べた瞬間、食べる前から言おうと決めていた台詞を忘れた。
暖かい。パサパサしてない。少し胡椒の味が強いけど、お店の数倍は旨い。
炒飯を掬う手が止まらない大和を見て満足した柊一は、そっと席を立つ。
「風呂入ってくる」
「え…柊一さんの分は?」
「後で食うよ。おかわりしたかったらしていいから」
「…ありがとうございます」
自分の料理をあんなに旨そうに食べてくれた。
それだけで柊一はもはや大和を受け入れられそうな気がした。
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