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二十年後の日本1
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骨董商が長い夢から覚めると、狭い部屋が目に入った。
春眠暁を覚えずというが、それほどリアルで長い夢だったので頭の中が混乱した。ペットボトルの中身を飲んで落ち着くと、此処が日本の自宅であり、あの悪夢から二十年も経っている事を思い出す。
あの晩、自分がとんでもない者に手を出してしまった事に気が付いた彼は恐れおののいた。それに高級住宅街で激しい銃撃があったのだ。流石に治安が悪い国でも、直ぐに警察が来てしまう。
どうすれば良いのか分からずパニックになる骨董商に少年は次々と指示を出し、骨董商は金を用意して少年の言うとおりにするだけで事態は強盗事件で処理された。メイドの失踪も強盗のせいにされ、まるで何もなかったかのような日常が戻ってきた。
何故、少年がメイドを殺したのか分からない。少年がウォカレラと悟ってしまったのか、強盗が引き込み役だったのか。ただ、当時の会話を思い出す限り、あの強盗達がメイドの関係者なのは間違いない。
日常が戻ってきたと言っても、骨董商の心中は別だった。何せ人間ではない化け物を買ってしまい、その化け物から情欲を向けられているのだ。男として屈辱を感じる以前に、恐怖しか感じられない。なにせ、その化け物は武装した人間を瞬時に殺傷できるだけの力を持っているのだ。本気になれば、化け物に体を割られ辱しめから逃げることは出来ない。
ここで漸く、骨董商は少年に見逃してもらっていた事に気が付いた。
耐えきれなくなった骨董商は、傷の療養の為に日本へ帰ると少年に告げた。恐らく、長期間になるだろうから、少年は信頼できる者に預ける事にすると……。
不思議な事に骨董商の心中を見抜いていたであろう少年は、何時もと変わりなかった。骨董商の言葉を聞き「当然です。あのような事があったんですから、故郷で養生なさって下さい」と言って頭を下げた。その言葉は本心からのように聞こえて、それが更に骨董商の恐怖を逆撫でにした。
ウォカレラの伝説がない土地の、信頼できる商人に少年を預けたのは最後の情だった。少年は恐ろしい化け物であったが、過ごした日々は間違いなく愉しく幸福に満ち、少年自身は懸命に自分に遣えてくれた。
少年を商人に預けた日、立ち去る彼に向かって朗らかに手を振る少年の瞳は笑っていなかった。その金属質に輝く瞳を見開き、瞬きすらも厭うかのように骨董商の頭から足の先まで見つめていた。まるで骨董商を型どりするような視線は、彼を決して逃がさないという、ほの暗く異様な執着を感じさせた。
少年を捨てて日本に逃げた彼は、罪悪感を捨てる事が出来ずにいた。
日本に帰った骨董商は、高名な厄払いの神社に駆け込んだ。神主は骨董商を見るなり「外国の神様だね」と見抜き、怯える骨董商に様々な助言をしてくれた。
今、考えるとその助言は骨董商が望んだものではないが、彼のその後の人生の心構えや姿勢に大いに役立った。神主は見抜いていたのだ、骨董商の体は既に彼方側にいってしまっていると。
炬燵に入りながらテレビを見る。何処かの国のデカい会社の取締役が発展途上国での自動売春で捕まったとか、日本に国際的テロリストが入国した恐れがあるとか物騒なニュースが流れていた。
「正月から湿気た話だなミーコ」
「にゃん」
可愛い飼い猫に語りかけながら、骨董商は煙管に火を入れる。彼は六十を過ぎた頃から、煙管やら和服やら古い物を好むようになっていた。
人生も佳境に入り、古い物の不便さを楽しむ余裕がでてきたのだろう。それに此方の方が骨董商として貫禄がある。とある理由で、業界内で軽く見られる事が多い骨董商は、そう独りごちた。
「スミマセーン」
遠くで声がした。
一階の商店に客が来たのだろう。
正月だというのに遠慮ない、イントネーションのおかしな呼び掛けに外人の客だと判断した。最近はSNSやら何やらで、観光地でもない場所に外人の客が来る。骨董商の店も、本来ならば同業者同士でしかやり取りしない半ば一見様お断りな店だったが、ディープな雰囲気で英語が堪能な亭主のいる店として何かに載ってしまったらしい。観光客の大半は写真だけ撮って帰る事が多く、下手な対応をしたらレイシストと罵られた。もう、以前騒動になった店みたいに「Japanese only」の看板を下げてやろうかと骨董商は考えていた。
「スミマセーン、スミマセン」
呼び掛けが繰り返され、弱くない力で玄関を叩く音がする。骨董商は舌打ちしながら立ち上がり、綿入れの半纏を着て急いで一階におりた。年齢のわりに急な階段をスムーズにおりた骨董商は、「正月休みだ馬鹿野郎」と怒鳴るつもりで玄関の鍵を開いた。
鍵を開けた途端、外から扉が開かれた。扉の隙間から入ってきた黒革の手袋をはめた手が、骨董商の腕を掴む。
「お久しぶりです、旦那様」
流暢な日本語であった。
骨董商の事をそう呼ぶのは、たった一人だけ。玄関の前には、眼鏡を掛けて上等なコートを着た褐色の肌の男性が微笑んでいた。
もう、あの頃のような少年らしさは微塵もない。背は高く180㎝を簡単に超えているだろうし、分厚いコート越しに見ても分かる程に肩幅は広く体には筋肉がついている。だからと言って筋肉ゴリラという訳ではなく、手足が長く均整がとれている。声も甲高いものから低いバリトンへ変わっており、彼が話す度に聞く者の全身を震わせる。顔立ちは完全に美しく精悍な男のものとなり、通った鼻筋に整った厚目の唇。例利な知性と柔和な印象を与える瞳は、今は眼鏡越しでも分かる程にギラギラとした欲望を湛えていた。
「ああ、旦那様。やっと、やっと見付けた」
「っ!?」
「旦那様、私を捨てましたね。私はずっと待っていたのに、良い子にして商会を大きくして待っていたのに。旦那様は来なかった。とても寂しくて悲しくて、私はもっと偉くなりました。ああ、私の呪いがこんなに馴染んでいる。お美しいです旦那様。旦那様が悪いのですよ、私から逃げなければ、裏切らなければこうはならなかったのに……。抵抗なされても無駄です。旦那様を【幸せ】にするお金は充分御座いますから」
ようやく見付けた。
もう逃がさない。
金と自信、欲望を隠そうともしない男の顔を無表情で見上げていた骨董商。その顔がみるみるうちに怒りに染まっていく。
「馬鹿野郎が!遅ぇんだよ。人を何年待たせやがるサガル!」
「へ?」
まるで自分を待っていたかのような言葉に、サガルは似合わぬ間抜けな声を漏らす。完全に予想外な言葉だったらしい。その鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔に更に怒りを高めた骨董商は、左手に持っていた煙管を思いっきりサガルの額に叩きつけた。
カーン
サガルの眼鏡をカチ割りながら額を殴打した煙管は、良い音と同じに中々の衝撃を逞しい青年に与える。この程度の衝撃、普段ならば揺らぎもしないが、サガルは慣性に従って地面に倒れた。
「へ?」
そして、もう一度間抜けな声を漏らした。
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