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瑪瑙―agate―
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そこそこ勉強をして、そこそこの高校を受験して
やりたい事も特にないから、どうせその辺の大学にでも行くんだろうと
進学コースを選択した。
僕の人生は”そこそこ”楽しくて充実したものだろうと
そんな風に思っていた。
4月某日
晴れて高校生になった僕らの入学式。
ごく普通の体育館
ごく普通の校長先生の長話
そして、担任紹介―。
「1年C組担任の、宮原瑪瑙(メノウ)です。よろしくお願いします。」
瑪瑙なんて珍しい名前…と、式典に参加している生徒の殆どが思っているであろう事を僕も思う。
でもそこで、何故か一瞬ぐらっと視界が揺れた。
どこかで、聞いたことのある名前。
メノウ…石の名前…。英語では……agate?
突然、今まで経験したことのない程の頭痛に襲われ、すぐ目の前に立っていた同じクラスらしき男に寄り掛かった。
「え、ちょ、おい…大丈夫か?!」
心配そうに受け止めてくれる男。
マジで悪いと思う。初日から大迷惑だよな。
でもこの痛み、どうにも我慢できそうにない……。
話したこともない男の焦った声と
沢山の人たちの少し大きな声を聞きながら、あまりの頭痛のひどさに僕は意識を失った。
───それは、ずっとずっと昔の記憶だった。
いや、僕からしたら昔でも、君からしたら違うのかな。
僕がまだ、僕じゃなかった頃
僕はメノウを知っていた。
メノウは前世の僕の恩人で、相棒で、親友だった。
たった1か月の、親友。
「俺、メノウ!」
「にゃー(めのう)」
「あげーと!ただいま!」
「にゃおー?(あげーと?)」
「メノウは英語でagateだから、君はあげーとね!」
「にゃ、にゃう~…にゃ!(めの…え、いご?あげ……わかんねー!)」
「俺と、あげーとは親友だよ!」
「にゃん、にゃーーっ(メノウと僕は、しんゆうなのか!)」
温かい声が声が僕を包み込む
体温の高いメノウの手で抱っこしてもらうと気持ち良くて、ぎゅーの力、強すぎたけど大好きだったなあ。
あの日お母さんと逸れてしまった僕は、知らない道を歩いてた。
すると、大きな怪物が僕めがけて突っ込んできた。
咄嗟に逃げたけど、怪物はびっくりするくらい足が速くて、黒くて太くてゴロゴロ回る足が、僕の尻尾と右の後ろ脚を踏んでいった。
しばらくその場で意識を失っていたんだと思う。
気付いたら脚は変な方向向いて動かないし、
尻尾も全く上がらなくなっていた。
その時は痛みなんて感じなかったけど、休める場所を探そうと歩いているうちに、足の付け根がどうしても痛くて、大きな木の陰で少しだけ休もうと目を閉じた。
そこで出会ったんだ。メノウと。
「なんだ?お前!怪我してんのか!
かーちゃん獣医だから大丈夫!ウチこいよ!」
なんだかわけのわからないことを言う僕より随分大きな、怪物。
確かこれ、人ってやつだ。
お母さんが危ないって言ってた。
…逃げなきゃ!
頭ではそう思うのに、痛む体は言うことを聞かなくて
怪物に簡単に持ち上げられてしまったら、もう逃げることもできない。
あぁ、僕もう一度お母さんに会いたかったな、とか
たまに見かけるシロさんとかサバトラさんみたいに、友達が欲しかったなとか考えながら
これから死んでいく覚悟を決めて、耳を目いっぱい後ろに突っ張りながら怪物に抱かれていった。
家と呼ばれる怪物の住処に着くと、怪物はすぐに怪物の親分みたいな、怪物よりももっとでかい怪物を連れてきた。
いまから何をされるんだろう。
お腹からガブリってされるのかな、
僕最近何も食べれてないからおいしくないよ?
どうせなら、お母さんが鳥を狩る時みたいに首に一発パンチでもくれたら、気絶してこの恐怖から逃れられるのに…。
プルプルと身体は震えてきて、涙は出ないけど代わりに髭も耳も何もかも引きつって、こんな事しても無駄ってわかってるけど全身の毛を逆立ててしゃーって出来る限りの威嚇をした。
そしたら怪物たちは怒るでも、叩くでもなく僕の足を触った。
「しゃーっっ(痛い!)」
「やっぱ轢かれてるねー。」
「治るの?」
「んー、これだけいっちゃってると…。
1か月が限界かしらねー…。」
怪物は怪物の言葉を話しながら、僕をふかふかの毛布に寝かせてくれた。
もしかして、僕を食べるわけじゃないの?
でも、僕には怪物たちの言葉、あんまりわからない。
「おい、猫!」
「しゃーっ(いきなりデカい声出すな!)」
「ねー!かーちゃんこいつ怒るよ!」
「そんなの当たり前でしょ!ゆっくり、小さな声で話しかけるのよ。…猫さん初めまして。ゆりえです。
ってこんなふうに。」
「………くぅーん(ゆりえ…?)」
「そっか。ゆっくり……ね。わかった……。
ねえ、猫。お前は…この家で暮らしたい…?」
「………にゃ?(何言ってんだ、お前。)」
「俺と、友達に……なってくれる?」
「………にゃー(どうせ死ぬんだろ、僕。それなら好きにしろ)」
先が長くないことくらい、こんな脚なんだからわかるよ。
高くは跳べないし、歩くこともままならない。
だったらこの怪物と少しくらい時間を共にしたって、きっとお母さんは怒らない。
僕を色んな所に連れて行っては、好きな事をしなさいと遊ばせてくれたから。
それから毎日、メノウは僕と一緒にいた。
何だっけ、学校?とかいうものに、メノウは不貞腐れながら行っていた。
「あげーとー!お前もついてきてよー!」
「にゃ。(却下だ)」
「あげーと行ってきますのちゅーしてよー。」
「しゃーっ(歯磨き粉臭いんだよ!近寄るな!)」
毎日、メノウやゆりえが僕に話しかけてくれるお蔭で、怪物の言葉も少しずつだけど理解し始めた頃。
脚が再び激痛に襲われた。
今度の痛みは脚だけじゃなくてお腹の方まで広がってきて、ご飯はもちろん食べる余裕なんてないし、抱っこされるのもあんなに好きだったのに、痛みのあまりメノウの顔を引っ掻いて、血まで出させてしまった。
だけど、メノウは怒らなかった。
トイレじゃないところでおしっこしちゃうと怒るのに、柱で爪を研ぐと怒るのに、この時だけは、悪い事をしたって僕だってわかってるのに、瞳に涙をためながら
「あげーと、痛かった?ごめんね」
って謝るだけだった。
それから何日もたたないうちに、僕の身体は動かなくなった。
メノウ、本当なら今日は学校の日でしょ?家に居てもいいの?
声にならない声でメノウに問いかける。
「あげーと、痛いね、大丈夫だよ、そばに居るね。」
ってそればっかり。
僕はそんな悲しそうな顔をするメノウが見たいわけじゃないよ。
日当たりのよい場所で、僕はメノウと外の景色を眺めた。
この季節は、「春」と言うらしい。
お母さんが、草むらをぴょんぴょん跳ねてる緑の虫が美味しいって教えてくれた。
黄色と黒の、ブーンって空を飛ぶやつは、攻撃して来るから逃げなきゃダメよって教わった。
そしてひらひらと舞い落ちるピンクのハートを頭に乗せて、似合うでしょって笑いあった。
僕の大好きな暖かい季節。
お母さんとの思い出が詰まった季節。
最期に、メノウとゆりえと色んな幸せを知れた
忘れられない季節。
メノウはきっと僕の他にも、同じ人間の友達がいて
毎日僕を気遣って、その友達と遊ぶのを我慢してたんだよね。
僕には、メノウとゆりえしかいないもん。
ゆりえが僕と同じような、病気や怪我をした奴らを看病する仕事をしてる間は、僕がひとりぼっちにならないようメノウが一緒に居てくれた。
今じゃ毛繕いも出来ないから僕の自慢の毛はぼさぼさで、腕を動かす気になれなくて顔すら洗えないから多分目やにもついてて、なかなか口も閉じれないからヨダレが出てきてすっごく汚いはずなのに
メノウは僕の顔に自分の顔を摺り寄せた。
抱っこをさせなくなってから、こんなに近くにメノウを感じる事なんて無くてすごく嬉しかった。
安心したし、幸せだった。
人はなんにも怖くないんだよって、お母さんに教えてあげたかった。
だってこんなに、メノウは、ゆりえは、僕を愛してくれた。
あの美味しいお魚、なんだっけ。
ちりめんじゃこだ。
お母さんにも食べさせてあげたかった。
カリカリした満腹になるやつも、くちゃくちゃして食べやすいおやつも、人と仲良くなれなかったらこんな幸せ味わえなかったんだよって、教えてあげたかったなあ。
胸も息も、だんだん苦しくなってきて
目を開けているのもしんどくなってきて
かすかに息をしたまま目を閉じる。
メノウのわんわん泣く声と、ちょうど仕事が終わったのか扉がばたんって開いて走ってくるゆりえの足音を聞きながら
すうっと消えていく意識の中
もしも願いが一つ叶うなら
もう一度メノウと触れ合いたいと思ったんだ。
──ぼんやりと、目を開くと、何故か僕はフカフカに包まれていた。
「………っ!!」
ここは…どこ?
見たことがあるようでない白い天井と、薄いピンクのカーテン。
「お、起きたかー?」
誰かが僕の隣の椅子に座っている。
誰か…。
いや、匂いと雰囲気、それに少し低くなったけど聞き覚えのある声。
僕が、間違えるはずないんだ!また会えた。
僕を助けてくれた君。たくさんの愛をくれた君に!
「メノウ!!」
がばっと起き上がり、まだ若干残る眩暈に頭を押さえる。
でもこんな痛み、あのときの全身が悲鳴あげてるようなものに比べたらたいしたことなかった。
メノウに会えた嬉しさで、痛みなんてかき消された。
でも、メノウは―
「……おい、入学初日に担任呼び捨てかよ。いい度胸してんなぁ。」
……あれ?
もしかして、メノウは僕に気が付いてない…?
「僕、僕だよ?あげー…」
「あぁ、安芸だな、安芸斗真(アゲイ トウマ)。」
んー、そうじゃないんだけどなぁ。
くそう、僕が死んでる間になかなかの堅物になりやがったな、メノウ。
まぁ、昔ほんの一瞬飼ってた猫が、
人に生まれ変わって自分の前に現れるなんて、
普通じゃ考えられないもん。
気付いてくれなくて当然だなぁ。
仕方ないね。
それなら
「すいません、メノウ先生!」
ちょっとだけ悲しいのは心の奥底にしまっておく。
そんな事より、ずっとずっと聞きたかったメノウの声がまた聞けたんだから。
「お、おう…まぁいいや。」
昔より低くて、深みを持った、男らしいその声にドキッとした。
あの頃は、猫年齢からしたら僕のがおにーさんだったのに。
今は僕の方が完全に年下で、よごれたTシャツに短パン穿いてたあのメノウがピシッと漆黒のスーツを着こなして、ワックスで整えた髪が似合っているだなんて……なんだか信じられない
僕からしたら、感動の再会。
でも、メノウからしたら、ただの出会いに過ぎない。
入学初日にぶっ倒れて、あろうことか呼び捨てをぶちかました世間知らずの阿呆新入生といったところだろう。
それでもかまわない。
あの時、もっと早くに心を開けばよかった
もっと一緒に遊べばよかった
本当は嬉しかったのに、恥ずかしくて嫌がったり怒ったりしなければ……。
意識の途絶える間際にたくさんたくさん後悔したのを覚えてる。
だからこうして巡り会えた今世では、絶対に後悔したくない。
これくらいでへこたれてたら、また生まれ変わるところから始めなきゃならない。
そんなことがあったらどんなに運が良かったとしても
メノウは確実に足腰不自由なおじーちゃんだ。
だから、今日から、一から、また始めよう。
メノウと、親友になるために!
「もう体調、大丈夫そうか?」
大きな手が僕の頭をくしゃりと撫でる。
なんていうか…心臓が、ちょっと煩い。
あの頃より、メノウの手は絶対に大きくなったはずなのに
僕が人になったから、逆にメノウの手が小さく感じる。
まだまだ対等な立場とは言えない教師と生徒の関係だけど、同じ人として彼ともう一度触れ合えた事が
嬉しくて嬉しくて、
ドキドキして
お花が咲くくらい温かくて…。
あれ?これは………親友になりたいって感情で
あってるよね?
僕の何十倍も大きかった手が、今は僕より少し大きいだけだ。
けれど、その撫で方は昔と何も変わらなかった。
僕の毛を梳くように、耳をかすめるのはあの頃より少し骨ばった感触。
思わずすり寄ってしまって、我に返った。
だめだ、僕はメノウの生徒だ、人間だ…。
「……安芸…なんか昔飼ってた猫に似てるな。」
「…え?」
「あ、いや、悪い…変な意味じゃなくて…その…。」
少し顔を赤らめて、僕を撫でていた綺麗な手で、今度は口元を覆っている。
メノウは僕から目線を逸らせて暫く黙っていた。
「ねえ、メノウ先生。その猫ってどんな奴だった?」
僕は、メノウにどう思われていたんだろう?
もしかして、嫌われてた?!
……なんて事は、流石に無いと思ってるけど
脚と尻尾のせいで、動きもトロ臭かったから
面倒だと思われてたかな
恥ずかしくて、本当に身体が辛くなるまであんまり傍に行かなかったから、可愛くないと思われてたのかな…?
「んーー、めちゃくちゃ可愛かったよ。大好きだった。
いつも全然寄ってこないし、ちゅーしよって近付いても肉球でグイグイ顔面押さえつけて拒んでくるような奴だったけど
かーちゃんに怒られた時はずっと隣で慰めてくれたし
言葉なんてわからない筈なのに、まるで理解してるみたいに話聞いてくれて、返事してくれて…。
………ってお前顔真っ赤じゃん!どうしたんだよ?」
「っへぁ?!」
慌てて頬を両手で押さえる。
そんな風に、思ってくれていたなんて…。
照れるよ、恥ずかしい…、
大人になったメノウの不安そうな瞳が
格好良くなったメノウの切れ長の目が
僕を捕らえて離さない。
意味がわからないくらい、恥ずかしくて、熱くて、幸せで、堪らない。
「熱あるんじゃないのか…?」
何度も僕を撫でて、抱いてくれた手が、ぴとりと額に当てられる。
ハッと息を呑んで固く目を瞑ると、メノウが可笑しそうに笑う声がした。
「安芸?何照れてんだよ、変なのー。ははっ。」
ぺしっと軽く頭を叩かれて、僕に触れていた手が離れてしまう。
それを惜しむように頭に自分の手を置くと、メノウは僕の大好きな、昔と何にも変わらないあったかい笑顔で呟いた。
「……可愛いな、お前。」
……………もう、ダメぇ。
そのままベッドに倒れ込むと、あーぁ、とか言ってメノウが苦笑い。
それから完全に茹でダコ状態の僕の頬をツンツンしながら、席を外していたらしい保健室の先生が戻って来るまで隣りに居てくれた。
「じゃあ、親御さんも迎えに来たみたいだし、今日は帰ってゆっくり休めよ。明日改めて安芸はクラスで自己紹介してもらうからな。」
ですよねー。
何言うか考えておかないと…。
遠くから、お母さんが誰かと話す声が聞こえた。
足音がだんだん近づいてきて、それはメノウとのお別れの時間が迫っていることを知らせるようだった。
でも、大丈夫。
今日が最後じゃない。
ガラガラと保健室の扉が開いて、心配そうな顔したお母さんが走り寄ってくる。
「斗真!!あんた大丈夫なの?!倒れたって聞いたから心配したのよーっ」
「んー、ごめんごめん。大丈夫だから。」
「まったく……。」
そこでようやくメノウの存在に気が付いたお母さんが、慌てて僕の身体から離れてメノウと向き合った。
「初めまして。お子さんの担任を務めさせていただきます、宮原と申します。」
「あ…斗真の母です……。すみません、ご迷惑をおかけして…。」
「いえ、そんなことは―」
やばい、メノウが敬語使って僕のお母さんと話してる…。
なんか大人の男って感じだ。
見惚れちゃう。
「…斗真?顔赤くない?」
「え、うそ。」
お母さんにもメノウと同じこと言われるなんて。
やばいなー、メノウ見てたらまたほっぺ熱くなってる。
…親友……。
またあの関係に戻れたらいいなって
それだけだったはずなのに
おかしいな。
何だろ、この気持ち…。
「宮原先生が格好いいからって~。
あんた男でしょ?あんまり見惚れてちゃだめよ~。」
からかうようにお母さんに言われて咄嗟に枕で顔を覆う。
メノウとお母さんは笑ってたけど、僕の中の今までにないこの胸のドキドキモヤモヤはもしかして―…?
「さて…そろそろ校舎も施錠の時間ですので。
…安芸、明日からよろしくな。」
優しく笑うメノウに、僕も精いっぱいの笑顔を向けた。
「うん!また明日ね!メノウ先生!
……あ!!!ゆり……えっと、お母さん、元気?」
「かーちゃん?別に元気だけど…。」
「そっか!よかった!!じゃあまた明日!」
お母さんにもメノウにも、もっと言えば保健の先生にも、何言ってるんだ?って目を向けられたけどそんなのどうだっていいもん。
ゆりえも元気にしてるんだ、よかった。
全力で手を振ると、メノウも振り返してくれた。
これから始まる高校生活。
メノウの生徒として始まる新しい人生。
メノウは僕の事を生徒としか思ってないだろうけど、今はそれでいい。
これから、毎日毎日、おはようと言って、いろんな話をするんだ。
メノウが疲れていたら癒してあげたいし、
メノウが偉い先生に怒られたら、寄り添ってあげたい。
メノウに頭を撫でてもらうために成績が必要なら、
大嫌いな勉強だって、毎日やってみせる。
生徒の僕に出来る事なんてほんの些細なことかもしれないけれど
いつか、それ以上の特別な関係になることを願って
僕の3年間が始まる。
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