アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
胸に咲いた温もり
-
頭がガンガンしている。不快に思って唸り、小さく身を捩った。
『なんや、起きたんか?』
ふわりと温かな手のひらが落ちてくる。そっと頭を撫でてくる優しい手つきに、リュカは薄く目を開けた。
『ほんま、髪サラサラやん。羨ましいわー』
自分は鳥の巣みたいな頭をしているから? 中身と一緒でクルクルパーだもんね。
――そう意地悪く毒づきたいけれど、身体がだるくて口を開くのも億劫だ。
『さっきな、巽から連絡あってん。洸季は見つかったて』
ああそう。結局、生きてたんだ。
白々と胸中で呟き、唇を噛み締める。これでもう、ボクの居場所は完全に無くなったんだ。そう思い知った。
心が消えてなくなりそうだ。痛みに押し潰されて、もうこれ以上ないくらい小さく小さくなってしまっている。
やっと、見つけたと思ったのに。自分を理解してくれる人間を、やっと。
けれどその人は、とっくに別の男のものになっていた。タツミには相応しくないような、あんな弱い男のものに。
『……ヒロキなんて、死ねばよかったのに』
『口が悪いなぁ。ほんまは、そんなこと思ってへんくせに』
恨み言を呟けば、苦笑が落ちてくる。普通は怒るところだろ。なんでヘラヘラ笑ってんだよ。
(ムカつく……)
あんな暗い過去を持ってるくせに。それを視られたくせに。この男はどうして自分を抱き締めたりしたのだろう。
〝何も悪くない〟なんて。タツミの言葉を真似するみたいに。
(……どうせ口先だけじゃん)
もう、そんな甘い言葉は信じないと決めた。タツミだって、結局自分を助けてはくれなかったんだから。
優しい手なんて、この世界にはない。ほんとはそんなこと、とっくに知ってたんだよ。今さらなにを期待しろって言うの?
リュカは歪に笑い、自分を見下ろしてくる穏やかな視線に気づいて顔をしかめる。なんで、そんな目でボクを見るんだ。
同情なんか、もう要らないのに。
『……いま何時?』
ムスッと顔を背けてどうでもいいことを訊いた。
『八時ちょい過ぎやな。腹減らんか?』
『全然』
本音を言うとかなり腹ペコだ。タツミのためにお昼を作ったのに、結局食べてもらえなかった。
もうあの家に戻れなくて、二度とシンジにも会えないのだという事実が、とても痛い。
(温かかったのになぁ……)
陽だまりみたいで。とても温かな場所だった。でももう、戻れない。自分の居場所は、この世界のどこにもないような気がした。
食欲なんてこれっぽっちも湧いてこない。お腹はグウグウしてるのに、変な感じだ。
『なんで素直に腹減ったって言わんのや。腹の虫めっちゃ不機嫌やん』
『食べたくないんだよ。黙っててくれない? 頭痛いんだからさ』
『あんだけ大泣きしたら当然やろなー』
なんとなく、今さら恥ずかしい。なんて。
そんな胸中を知られたくない自分は反撃で誤魔化す術を身につけている。
『泣いてないし。幻覚でも見たの? 病院行けば? ついでにその変な頭も治してもらいなよ』
『いくら病院かて天パは治せんわ』
『中身のこと言ってるんだよ。ほんとにバカなの?』
口汚い言葉に、チカゲはくしゃくしゃした変な顔で笑う。
『ほんま、口の減らんやっちゃなー。いっそ可愛えわ』
チカゲはくすぐったそうな笑い方で肩を揺らし、こちらの髪までくしゃくしゃにしてきた。
なんだろう。子ども扱いされている気がする。
けれどその手のひらがあまりに優しいから、振り払うのがもったいなくて。
『……やめてくんない?』
なんていいながら、されるがままでいる自分はバカみたいだ。
『ま、とにかく腹ごしらえや』
そんな言葉に引きずられて、ついていく自分もどうかしている。
外はすっかり暗かった。東京はひっきりなしにクラクションが鳴り響いていて、すごくうるさい。
隣を歩く白スーツは、なぜか自分の手を引いていた。
子供じゃないんだから、やめてくれないかな。とか、内心思ってみても、温かい手を離せずにいる。
『なに食べよか?』
能天気そうな笑顔を向けられ、あまりの鬱陶しさに辟易しながらそっぽを向いた。別になんでもいいし、どうでもいい。食欲は皆無だ。
『ラーメンとか、食えるんかいな?』
『嫌い』
食べたことないけど。なんか、響きがしょぼくて嫌だ。
『なら、ラーメンやな』
『なんでっ!? 嫌いって言ってるじゃん』
他人の話を聞けよ。
勝手に頷いてどんどん歩いていくチカゲに、ただ振り回されるしかなかった。
そしてラーメンは美味しかった。少しだけ。
満腹になってますます気だるい。とぼとぼ足を引きずるようにして歩いていると、チカゲが口元を緩ませてこちらを覗きこんできた。
ああ、なんだろう。この男の距離感は、ちょっと苦手かもしれない。
『なぁリュカ、風呂行こか? この近くに銭湯あんねん』
『やだよ』
大衆浴場なんて。ありえない提案を一蹴する。
『なんで他人に裸を見られながら風呂に入らなきゃなんないの。絶対やだ』
『せやけど、わいの家に風呂ないで』
『……最悪』
選択の余地もないのか。小さく舌打ちを零して毒づきながらも、腕を引かれるままチカゲについていくはめになった。
『なに固まっとんねん。はよ脱ぎ』
そういうチカゲは既に恥じらいもなく全裸だ。チカゲだけではなく、周りにいる男たちはなにも隠そうとしていない。
目のやり場に困りながら俯き、顔をしかめる。
連れてこられたのはものすごく古びた大衆浴場だった。初めて目にする空間は新鮮だけど、居心地は最悪と言っていい。
あっちこっち、真っ裸の男がうろうろしているなんて、ちょっと異様だ。自分の国にも銭湯はあるけれど、大抵は水着を着るのが義務で、つまり免疫がない。
『なんや、恥ずかしいんかいな。男同士やん』
あけすけなチカゲにからかわれると、反抗心が湧く。ちらりと睨みつけて、やはりすぐさま目を逸らした。チカゲは案外、筋肉質だ。とか、そんなことはどうでもいい。
諦めて服を脱ぎ始め、背中にチラチラした視線をいくつも感じて俯いた。
自分の身体に残る傷痕を、よく知りもしない他人に見られるのは屈辱だ。
さりげなく物陰に身体を隠していると、
『気にせんでええ』
別になにも言っていないのに、チカゲは自ら盾になってこちらの背中を隠してくれた。
そんなふうに気遣われることに慣れていないリュカは、ふと胸中を軋ませて歪に微笑む。自分の胸に咲いた温かな感情を鼻で嘲笑ってしまいたかったのだ。
〝嬉しい〟なんて、思っちゃいけない。期待しちゃいけない。
自らの心さえ否定し、チカゲを見上げて熾烈に微笑んだ。
『背中、気色悪いでしょ? 昔パパがね、〝悪魔祓い〟だって言ってさ、』
熱湯をかけてきたのだ。何度も、何度も。だから焼け爛れて、痕になった。
『痛むんか?』
『全然? 痛いのなんか、すぐ慣れたよ』
笑顔で否定すれば、チカゲはふと眉をひそめてしまう。古い傷痕だから、痛まないのは本当なのに。
また、同情されているのか。そう思って、瞳を歪めた。
(そんなの、要らないってば)
優しくなんて、して欲しくない。どうせ最後には突き放すくせに。
『……っ、ちょっと、』
スッと長い指先で傷跡をなぞられ、くすぐったさからチカゲを睨みつける。
『風邪引くで、はよ入ろか』
チカゲはそっと自分に笑いかけて、手を引いた。
(だから、子供じゃないんだってば)
胸中で嘆息するのは、今日だけで一体何度目だろう。
『なんや、疲れてもうたんか』
『……当たり前じゃん』
リュカは力なく答える。
長々と湯に使ってしまったせいで、だるさは急上昇していた。もう身じろぎ一つしたくない。
『ちゃんと休み? 寝坊したって誰も叱らんしな』
ソファにうつぶせた自分に、チカゲがそっと毛布を掛けてくる。ずいぶんくたびれた毛布だ。柔らかな肌触りは案外心地いい。
『ほな、わいは仕事行ってくるで。留守番よろしゅう頼むわ』
ポンポン頭を叩かれ、ああそうかと目を伏せる。チカゲは夜も仕事があるのだった。
行ってしまうのだ。一人ここに残されるんだ。
そう知っただけで、どうしても顔が上げられなくなった。
チカゲの気配がスッと離れ、パチンと灯りが消える。
――行かないで。
そう言いたかったのに、もう足音はドアの向こう側だ。
(なんだよ……)
ソファの上で丸くなり、小さく鼻を啜る。泣いたって無駄だ。分かっている。だけど寂しいと思う心の悲鳴は、切々と強まるばかりだった。
もう眠ってしまおう。目が覚めるころには、チカゲも帰ってくる。
自分に言い聞かせ、諦めとともにきつく目を閉じた――その時。
パチン、と軽い音を立てて明かりがつく。
『アカン、忘れもんしたわ』
硬い靴音を響かせてチカゲが戻って来た。反射的に飛び起きて、その顔を見上げる。
チカゲは穏やかな視線を自分に向けていた。そっと頬を撫でてくる優しい手に、きょとんと首を傾げる。
忘れ物をしたんじゃないの?
そのはずなのに、なにを探すでもなく、チカゲはまじまじと自分を見下ろしている。
『なに――、』
問いかけを口にするまでもなく、スッとチカゲが顔を寄せてきた。思わず息を飲んだ瞬間、柔らかに唇が重なる。
『……っ!』
瞠目するだけで、思考は真っ白だ。あっけなく顔を離したチカゲを呆然と見上げる。
『ええ子で待っとき? ちゃんと帰ってくるさかい、な?』
楽しげな微笑に、カッと耳が熱くなった。パクパク口を動かす自分を満足気に見つめ、チカゲは気障なウィンク一つ残して去っていく。その背中を唖然としたまま見送った。
結局チカゲは、なにも持っていかなかったことに気づく。
(え、じゃあ〝忘れ物〟って――)
まさか、このキスのことか。
そう思い至って、今さらのように唇を押さえた。心臓が激しく脈打っている。頬が熱い。
リュカは慌てて毛布を引っ被り、ソファに丸まった。暴れる心臓をきつく押さえつけて目を閉じる。
(なんだよ……っ、なんだよバカっ)
胸に咲いた小さな温もりが、いつまでも消えなかった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
30 / 32