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懐かしの学び舎
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確か、ここを去った日も桜がひらひら、降っていた。
ゆるやかな坂道がまっすぐまっすぐ伸びる。
両脇に満開の桜並木をたずさえて。
近くのグラウンドから賑やかに聞こえるのは部活動の声。
その声に八木晴翔(やぎはると)の身体は少し緊張して、肩から下げたドラムバッグのストラップをギュッと握った。
「ただいま、でいいのかな?」
はるか真正面に建ち並ぶ、西洋建築の校舎群を眺めながら
ポツリと呟いた。
この校舎に通っていたのは小学4年生の時まで。
正確に言えば、目の前に並ぶのは高等部の校舎で、当時通っていたのは初等部の校舎だったのだから通っていたわけではないのだけど。
でも、たまに忍び込むようにしてここで隠れんぼして遊んだのだから、懐かしいには変わりない。
あの日から6年経って、明日から始まる高校生活をまたこの学園で過ごすことになる。
かつて一緒に勉強していた子達はまだいるのか。
隠れんぼで使った奥の庭園は今もあの時のままなのか。
6年。
そう、あの日から6年経ったんだ。
と、満開の坂道を一人の男性が駆け下りてきた。
「悪い悪い、お待たせ!」
そう言いながら男性は晴翔に向かって鍵をチャカチャカと掲げた。
「車は下の駐車場だから。寮までちょっとあるからな。」
男性は晴翔を追い越すと、校門の方へとずんずん降りていく。
「ねぇ、おじさん」
「ん?」
晴翔も男性の後について行く。
「今から行くのって…?」
「寮だよ。初等部の時とは違うから、また新鮮だな」
「うん。第2寮だっけ。なんか緊張するなぁ」
「確かに、寮が変わると結構周りも変わるからな。でも第2は一番駅に近くて周りも栄えてるから、中々の優良物件だぞ」
「そうなんだ」
車に到着すると、男性は「ほら、貸せ」と晴翔の荷物を後部座席に突っ込んだ。
「ていうか、連絡くれりゃ駅まで迎え行ったのに」
「おじさん、学校いるっていうし」
「そもそも第2寮は駅の向こうなんだから、校舎まで来ることなかったろ。大荷物で遠回りなんて」
「なんか、見たかったんだよね早く。どんな校舎だったかなって」
「さいですか」
おじさん、と呼ばれた男性はヘラっと笑うとアクセルを踏んだ。
下谷壮平(しもたにそうへい)。
晴翔の母親の弟。晴翔のおじさん。
壮平は「ちょっと吸うぞ」と晴翔に断るとタバコに火をつけた。
「どうだ?久々の友達に会えんの楽しみか?」
壮平の質問に晴翔は少し目を伏せる。
「うーん、どうだろ。みんな覚えててくれるかな?」
不安そうな晴翔。
そんな晴翔に壮平はケラケラと笑いながら、
「大丈夫だろ。晴翔、小4の時と全然変わってないから」
「なっ!?」
「身長だって見た目だってそのまんまだし。みんな一目で気づくって」
確かに晴翔は、高校生というには少し幼く、むしろ「これから中学生」と言われた方がしっくりいく容姿だった。
そのことを今まで散々からかわれてきたからか、晴翔は身長のことを言われる度にムッとしていた。
「あれから20センチは伸びたし…」
「そうだ」
「なに?」
タバコの煙から逃れるように車の窓を開け、外に顔を出しながら晴翔が返事した。
「学校じゃ『おじさん』禁止な」
「分かってますよー下谷せんせー」
春の、まだ少し冷たい風が晴翔の前髪を、頬を、鼻先をくすぐりながら通り過ぎて行く。
のどかな街並みが続く。
空は広く、遠く、山には緑が広がる。
学校まで歩きながら、踏みしめた懐かしの土地。
6年という歳月はその懐かしさも真新しさに変えていて、なんだか慣れない心地がした。
またここから、晴翔の生活が始まろうとしていた。
6年前。
新学年が始まった、まさにその日。
母が倒れた。
その知らせを教室で聞いた晴翔は、当時から働いていた壮平に連れられて、急いで新幹線に乗り込み、地元へと駆けつけた。
親元から離れ、寮生活をしていた晴翔。
春休み中は実家に戻っていたが、その間は特に母に異変は感じていなかった。
なのに。
学院へと戻ってきた矢先の突然の知らせだった。
晴翔がそれから、学院に戻ることはなかった。
容体の安定しない母のそばを離れたくない。
女手一つで育ててくれた母親を一人にしたくない。
そして晴翔は学院を辞め、地元の学校へと転校した。
それから。
晴翔をこの学院に戻したのは、母の一言だった。
「晴翔は、もっと広い世界を知らなきゃ。いつまでも私の周りをうろちょろされたら私だって落ち着かないわ」
ひんやりとした風がカーテンを揺らす秋のこと。
母が意地悪に笑いながら放った言葉。
それが晴翔の心に重く刺さった。
ベッドに横たわりながら、すっかり痩せてしまった母が自分に気を遣っている。
「別に俺は、お母さんの隣でだって大丈夫だよ。そんなこと言わないで、さ」
ちょっとでも安心させてたくて、晴翔は母の少し冷たい手を握った。
骨ばった、皮膚の少し柔らかい感触の手を。
「ううん、実は壮平にももう頼んであるんだ。来年の春から学院に入れるように」
「なんで?俺が近くにいるの嫌?」
「そんな訳ないじゃない。でも、晴翔ももう高校生でしょ?お母さんとしては、晴翔を次のステージに進めてやりたいの」
「何、それ」
「消毒液の匂いばっかじゃない、別のステージに」
母は窓の外に視線をやった。
そこには、生命滾る緑から徐々に衣更えしていく木の葉たちが風に揺れていた。
それから。
それから。
「やっぱいいね!春って!」
晴翔は無邪気に笑うと、窓の外に手を伸ばした。
「こら、危ねーぞ!」
「大丈夫だって!」
晴翔は伸ばした手を「よっ。ほっ」とバタバタさせると、何かを掴み拳を閉じた。
伸ばした手を引っ込め、胸の前でゆっくりと指を開く。
そこには、淡いピンク色の桜の花びらが1枚、ちょこんと乗っていた。
「やった」
「え、花びら掴んだの?すげーな」
「まぁ、その道のプロですから」
晴翔は得意げに笑顔を浮かべると、捕らえた花びらをまた窓の外に放った。
風に乗り、一瞬で姿を消した花びら。
他にも無数の花びらたちが、晴翔たちを乗せた車をかすめて通り過ぎて行く。
「うん。元気出てきた」
あれから6年。また春が動き出す。
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