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崩壊を止める手段
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「どういうことですかっ!」
澄朔は思わず声を荒げ、拳で机を叩く。
「まあまあ、落ち着かんかね」
宥めるような元沢の声に却って苛立ちが増した。
「どうして今、契約を解消されなければならないんですか」
「それはさっきも言ったはずだ。これ以上、雨宮氏の警護を続けてもらう必要はない。……これは君の命にも関わるんだ」
どうして今さらそんなことを言い出すのか。そんなの、最初から分かりきっていたことではないか。
きつく奥歯を噛み締めていると、元沢は鷹揚に腕を組んでこちらを見据えてきた。
「今回の事件は全て雨宮晴透の自作自演だと、我々はそう考えている。先ほどの強襲についても同様だ」
その言葉に、硬く拳を握り締める。
「……そんなわけありません」
「どうしてそう思うのかね? たった数日共に過ごしただけで、雨宮氏の全てを理解したつもりかな?」
嘲るような声を耳にして、カッとなった。
「少なくともアンタより理解してる! 晴透さんは絶対に犯人なんかじゃありません!」
「……ほう?」
反射的に元沢を睨みつけると、心底意外そうな顔をされる。
「君の上司――なんと言ったかな。ああ、篠原氏か」
「……篠原さんがなんです?」
「いや、彼が君のことをこう評価していたのだよ。『柏田澄朔は、警護対象者に対して悪戯な感情移入はしない』とね。だから君に警護を任せたのだが……」
嫌味な苦笑を向けられようが、別にどうでもいい。
「とにかく、今このタイミングで警護を終了するなんてとんでもない話ですよっ!!」
まだ犯人が捕まったわけでも、事件が解決したわけでもないのに。
まして晴透が犯人だなんて。馬鹿馬鹿しいにもほどがあった。
気色ばむ自分を諌めるように片手を振り挙げ、元沢が嘆息する。
「君がいくら駄々を捏ねようと構わんが、我々からの依頼はここで終了させてもらう。もう君が雨宮晴透を守る必要はない」
「そんな……っ」
「悪く思わんでくれ。これは私ではなく、上の方針なのでね。……早いところ彼の傍から離れなさい。次の被害者にならないうちに」
話は終わりだといわんばかりに立ち上がり、元沢が部屋を出て行く。他人の背中をこれほどまでに憎らしく思ったことはない。
(クソっ! 勝手なことばっか言いやがって)
澄朔は内心毒づき、怒りに震える拳を自分の太腿に打ちつけた。
自分の依頼主はあくまでも〝モノクロ〟だ。だから彼らが契約解除を申し出てくれば、警護期間は終了となる。
晴透と自分を繋ぐ糸は、この瞬間に切れてしまった。
(どうする……)
〝必ず守る〟と約束したのだ。どうあってもその約束は違えられない。
「いやー、ほんとに残念ですよー。だいぶ好きだったんですけどねぇ、貴方の小説。ホラー作品ならほとんど全部読みました」
運転席から能天気な声がかかる。
「恥ずかしながら自分も十代の頃は作家志望でしてね。貴方のデビュー作は衝撃的でしたよ。『死者の悔悟』でしたっけ。あれを二十歳そこそこで書けるのは才能ですよねぇ」
水野の車で晴透の自宅まで送ってもらっている最中だが、やたらとよく喋る刑事は鬱陶しいだけだ。
「もう貴方の新作が出なくなるなんて、すごく残念です」
しかも所々に聞き捨てならないネガティブな言葉を挟んでくる。まるでじきに晴透が捕まると確信しているかのような。
後部座席に収まった澄朔は、そっと隣の晴透を窺った。
晴透は先ほどから一言も喋らないまま、ごっそりと生気の抜け落ちた横顔でぼんやり窓の外を眺めている。左腕が痛むのか、無意識の動きで撫で続けていた。
「――あ、着きましたかね?」
晴透のマンションが見え、エントランスの真正面に車が停まる。
「ではここで。しばらくの間は我々が辺りを巡回しますから、不審な行動は取らない方がいいですよ」
ニコニコした水野の言葉に反応することなく、晴透は無言で車を降りた。周囲を警戒する素振りもない、どこか自暴自棄な足取りでエントランスをくぐっていく。
「ま、待ってください」
慌てて車を飛び出すと、
「充分気をつけてくださいね。二人きりになった途端、殺されるかもしれませんよ」
背後から水野の声が聞こえてきた。
「ああいう虫も殺せないような顔をしている人間が一番危険なんです」
不快に思って振り向き、ハイエナのような瞳を睨みつける。
「ご心配には及びません。護身術は一通りマスターしていますから」
「ああ、そうでしたねぇ。これは失礼しました」
軽薄な口調で言い残し、水野は車を発進させた。
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせたいところだが、そんな暇はない。澄朔は駆け足でエントランスをくぐり、エレベーターを呼び出す。既に晴透は別のエレベーターで上がってしまったようだ。
エレベーターに乗り込み、少し迷ってから携帯を取り出した。
『柏田か。なんだ?』
「あの、〝モノクロ〟から依頼を打ち切られました」
できる限り簡潔に現状を報せる。晴透が警察に疑われていること、今日襲われたときの状況と警察の見解――。
「それでも、俺はあの人が犯人だとは思えないんです」
ここで警護を中断するのは、むしろ犯人の思う壺ではないか。そう言うと、電話の向こうで篠原が嘆息した。
『警護対象者に無駄な感情移入をするなと言ったはずだ。依頼主が警護を取り消したなら、もうお前の仕事はない』
にべもない言葉は予想通りだ。別に落胆しはしない。
「だから、篠原さんにお願いがあるんです」
『なんだ。厄介事ならごめんだぞ』
「いえ。ただ休暇をもらいたいだけです。……事件が解決するまで」
ここから先は、自分が個人的に晴透を守る。それしか方法がないのだ。
澄朔はノロノロと変わっていく階表示のパネルを見上げて、篠原の返答を待った。長々とした沈黙に、渋る気配がありありと伝わってくる。
『……本当にそいつはシロなのか?』
「間違いありません。あの人は無実です」
『なんの確証がある? お前は騙されているんじゃないのか?』
篠原まで、警察と似たようなことを言い出した。だがそれはこちらの身を心配してくれているからこその疑いだと分かる。
確かに、晴透の無実を証明する確証なんてなにもない。それどころか、自分は事件の概要すらまともに知らないのだ。殺された四人の被害者と晴透がどういった関係だったのか、なにが殺害の動悸と考えられているのか、まったく知らない。
でも、分かるのだ。
「あの人は犯人じゃありません。絶対に」
たった数日一緒にいただけだが、もう知っている。晴透は優しくて繊細な男だ。飼い犬にしか心を許せないような臆病さも、独りきりで全てを抱え込んでしまう悪い癖も、もう知っている。
だから。
「俺はあの人を守りたいんです。……もう独りにしたくない」
ポツリと口にした言葉は、切実な感情を孕んでいた。こんなにも他人を想うことなんて、今まで一度もなかったことなのに。
『完全に公私混同だな』
「すみません……」
呆れた声に自然と肩が落ちる。これでクビになったとしても後悔はないが、尊敬する上司に失望されるは少し堪えた。
『一週間だ。それ以上の休暇は認めない』
「え、……いいんですか?」
『どうせ、お前は言っても聞かないだろう。……せいぜい頑張ってみろ』
突き放すような声とともに通話が切れる。唖然としながら携帯を眺め、ふと苦笑が漏れた。篠原は自分の部下をよく分かっているらしい。
エレベーターを降り、駆け足に2502号室を目指す。
預かっていたスペアキーで玄関を開け、真っ暗な廊下を目にして気持ちが沈んだ。いつもならすかさず駆け寄ってくるはずの生き物が、今ここにいないことを思い出す。
溜め息をつきながら廊下を進み、明りのついたリビングに足を踏み入れた。
「晴透さ……」
シンクの前にへたり込んだ晴透を目にし、束の間言葉を失う。
晴透はオーブのえさ入れを握ったまま、呆然と床の一点を見つめていた。虚ろな瞳からポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
〝大丈夫ですか〟なんて、とても言えなかった。誰がどう見ても大丈夫じゃない。
鋭利な痛みを胸に感じながら、そっと晴透の傍に膝をついた。青白い頬に伝う涙を手のひらで拭う。
「オーブは……?」
途方に暮れたような声で呟き、晴透は小さくしゃくりあげた。
「どうしてここにいないんだ……まだ夕飯も食べていないのに」
「晴透さん……」
茫洋としたまま嗚咽を洩らす晴透を腕の中に引き込み、きつく抱き締める。それが今の自分にできる精一杯だ。
「すみません……俺がもっとちゃんと警戒していれば、こんなことには」
あの路地で発砲音を聞いたとき、とっさに身体が動いたがオーブのことまでは気が回らなかった。自分にとって最優先なのは晴透の命を守ることだったから。
ほんの数日前なら、〝たかが犬一匹〟だと思っていただろう。けれど、今はもう違う。
晴透にとってオーブは家族も同然なのだと知っている。それを失いかけている上に、警察の人間に心無いことばかり言われたら。
「もう全部終わりだよ……」
全てを投げ出してしまいたくなって当然だ。
それでも。
「諦めたらダメです。オーブは頑張っているのに」
怯える子供のように頼りなく震える身体をきつく抱き締めて、静かに口を開く。
「ここで貴方が負けたら、誰があいつを守るんですか」
晴透は引き攣れた吐息を零しながら背中に指を食い込ませてくる。
「澄朔……っ、お願いだ……」
〝僕を助けてくれ〟と。
縋るような声を耳にして、堪らず口づけた。
どうしてそんな行動に出たのか、自分でもまったく分からない。けれど――。
こうでもしないと、晴透の心が壊れてしまいそうで。
「っ……ん、」
柔く唇を食みながら、そっと背中を擦る。晴透の身体から力が抜けても、感情が溢れて止まらなかった。
守りたい。守りたい。晴透を守りたい。ずっと傍で、決して離れず守り続けたい。
いつから自分は、こんなにも過激な庇護欲を抱いていたのだろう。
「んっ、……んんっ、すざ、」
気づけば晴透を床に押し倒し、加減もなく口腔を貪っていた。熱い舌先を絡め取って軽く歯を立て、頬の内側を舐る。最初は微かに抵抗していた晴透も、次第に恐る恐る反応を返してきた。
しばらく淫靡に唾液を交わし合ってから、そっと唇を離す。
「晴透さん、俺――」
口にしかけた言葉は、晴透の右手に塞がれた。晴透は伏し目がちに視線を逸らし、「どいてくれないか」と掠れた声を出す。
言われるまま身体を起こすと、晴透はどこかホッとしたように小さく息をついた。億劫そうに右手を突いて起き上がるが、一向にこちらを見ようとしない。
「……すまなかった」
どうして謝ったりするのだろう。晴透はなにも悪くないのに。
動揺しているうちに、晴透はふらふらと立ち上がってリビングを出て行ってしまう。
その背中を追いかけることもできず、ウロウロとリビングを動き回る。たっぷり五分ほど躊躇ってから、晴透の寝室に向かった。
音を立てず部屋に入る。晴透はベッドの上にいた。小さく丸まった姿に胸が痛み、掛ける言葉も見つからないまま椅子に腰を下ろす。
「……犯人は希壱だ」
「え?」
背中越しに聞こえた呟きは思いの外しっかりとしていた。
「希壱って、もしかして晴透さんの元恋人ですか?」
ほとんど確信を持って問いかけると、晴透は微かに頭を揺らして頷く。
「あいつは僕を恨んでいる。今までの事件は多分、全部あいつが……」
自分を嵌めるために仕組んだことだと、晴透は言った。振られた腹いせに、晴透を犯人に仕立て上げようとしているのだと。
「あいつは僕たちの秘密を知っていたから、それを利用したんだと思う」
「秘密?」
辛抱強く問いかけると、晴透は微かに肩を震わせた。
「……僕たちは、鐘原雷蔵という作家のゴーストライターだったんだ」
「ゴーストライター?」
予想もしない言葉に、澄朔は思わず身を乗り出した。晴透は今、とても重要なことを話そうとしている。
恐らく、今まで警察にも話さなかったような〝秘密〟を――。
「鐘原さんのベストセラーは、ほとんど彼の作品じゃない」
「……どういうことですか?」
詳しく話を聞くと、鐘原雷蔵は十年ほど前から自著の大半をゴーストライターに代筆させていたらしい。彼の娘と殺された他の二人、そして晴透がそのゴーストライターだった。
「それって、完全に詐欺じゃないですか」
鐘原の代表作として映画化までされた『亡者の憩い』、『雪の水音』といったベストセラー作品を実際に書いたのは晴透らしい。
(有り得ないだろ……)
他人に書いてもらった作品を自分の名前で売り出すなんて。一体どういう神経をしているのか。
「プロの世界じゃ、八百長なんてよくある話だ。作家だって例外じゃない」
憤慨してみても、晴透の反応は淡白だった。
自分が知っているプロの世界はもっと崇高で神聖なものだ。重篤なルール違反は倫理に悖るし、何より美しくない。
喉元まで出かかった反論を強引に飲み下し、別の問いを口にする。
「……その鐘原氏とはどうやって知り合ったんですか?」
「ネットだよ。僕は父からこの家をもらって独立したあと、ずっと引き篭もってネットに小説を投稿していたんだ」
晴透は自身がプロの作家としてデビューするより以前のことをポツポツと話してくれた。
ネットの掲示板に感想を書き込む場所があり、操作を切り替えると第三者には閲覧できない裏チャットの形式にできたらしい。そこで鐘原と知り合い、鐘原が当時著書のほとんどを映画化するような大物作家だったこともあって、「実際に会ってみないか」という鐘原の誘いに晴透は喜んで頷いたという。
「鐘原さんの作品は、僕にとって最高の手本書だった。〝いつかこんな作品が書けるようになりたい〟って、ずっと憧れていたんだ」
けれど、現実を知って落胆した。鐘原の作品中で、晴透が好んだもののほとんどが彼の手で書かれたものではなかったのだ。
「だけど鐘原さんは、僕の作品を初めて認めてくれた人だ。〝素晴らしい〟って言ってくれた。〝プロになるべきだ〟って。……それが嬉しかったから」
ゴーストライターになって欲しいという彼の頼みを、晴透は了承したらしい。以来、ずっと鐘原の〝亡霊(ゴースト)〟を演じてきた。
「……そういうことだったんですね」
澄朔は重苦しい溜め息を零して軽く眉間を揉む。
やっと、四人の被害者と晴透の関係が分かった。犯人が残した意味深なメッセージも、これでようやく腑に落ちる。
〝亡霊は皆殺し〟――その宣告通り、鐘原に続いて彼のゴーストライターが三人も殺されたのだ。
晴透は小さく息を震わせる。
「これは誰にも話してはいけないことだったんだ……鐘原さんのためにも、僕自身のためにも……」
ベストセラー作家として大成していた鐘原にとって、この事実が露見するのは致命的だったのだろう。原稿料の他に口止め料まで渡されたという。
「なのに、僕は――」
恋人だった荒川希壱に、それを話してしまったらしい。
無理もないことだ。誰だって自分が信用している人間には口が軽くなる。
澄朔は同情しながら、そっと晴透の髪に触れた。
「鐘原さんたちは、僕のせいで殺された……」
「それは違います。貴方のせいなんかじゃない」
「僕がもっと早くあのメッセージの意味に気づいていたら、他の三人は殺されずに済んだんだ。オーブだって、あんな……っ」
もう聞いていられなかった。澄朔は立ち上がって、ベッドの反対側に回り込り込む。
「晴透さん」
冷たい手を握り締めて、真っ直ぐに晴透の瞳を見つめた。
「もう自分を責めるのはやめて下さい。貴方はなにも悪くないんです」
傷つき果てた瞳から零れる涙を指先で拭い、目蓋に軽く口づける。
もうこれ以上、誰もこの人を傷つけないで欲しい。たとえそれが晴透自身でも。
晴透の隣に横たわり、震える身体を深く抱き包んだ。
「澄朔……僕は、これからどうすればいいんだ……?」
こちらの胸元に額を擦り付けてくる晴透は、きっと今、とても怖いのだろう。自分の未来を最悪な形で想像しているに違いない。
「諦めないで戦ってください。ずっと俺がついていますから」
なにがあっても、無実の晴透を逮捕させるつもりはなかった。必要であれば警察の敵に回ってでも晴透を守る。
それに――。
(犯人は本当に荒川希壱なのか……?)
事情はおおよそ理解できたが、どうにも納得がいかないのだ。
確かに、鐘原を含めた他の被害者たちと晴透の間にある〝秘密〟を知っていなければ、この連続殺人は起こせないだろう。〝ゴーストライター〟を〝亡霊〟という言葉に置き換えてメッセージを残したのは、犯人からのアピールのように思える。『お前たちの秘密を知っているぞ』という。
そして現状、その秘密を確実に知っているのは荒川希壱だ。
けれど。
澄朔はちらりと眉をひそめつつ、内心小首を傾げた。
(おかしいよな)
振られた腹いせ、復讐のためというには、あまりに手が込みすぎているような気がする。無実の人間を連続殺人の犯人に仕立て上げるなんて、よほどの計画性がなければ出来ないことだろう。どうしてわざわざ、そんな回りくどいことをする必要があったのか。
荒川が晴透を憎んでいるにしても、何かがおかしい。
その〝何か〟がどうしても分からなかった。
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