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頭が働かない。
有坂に手を引かれて外に出たが、顔はもうずっと熱いままだ。
ちょうど昼時ということもあって、天文同好会の教室には誰も来ていなかった。
有坂は俺を適当な椅子へ座らせると、視線を合わせるように顔を覗き込む。
「…開演まではまだ少し時間がある。台本を持ってくるからここで待っていてくれ」
そう言って一人でどこかへ行こうとしたから、慌ててシャツを掴む。
頭がぼーっとしていて話をよく聞いてなかった。
「お、俺も行く」
こんな状態で一人にしないでほしい。
慌ててそう言うと、有坂はあやすように俺の髪を撫でる。
「…そんな顔を誰かに見せるわけにはいかない。すぐに戻るから待っていてくれ」
一体俺はどんな顔をしてるんだ。
人に見せたいと自慢されることはあっても、見せたくないなんて言われたのは初めてだ。
宥めるように髪を梳かれて、仕方なくシャツを離す。
有坂が教室から出ていったのを見ると、手で顔を覆って俯いた。
「…なんだこれ」
心臓がまだバクバクしている。
熱く息を吐き出して頭を振ってみるが、どこかふわふわとしていて白雪姫の内容どころか何も思い浮かばない。
ただ、有坂の事しか考えられない。
さっきの暗闇での光景が、目に焼き付いたみたいに離れなかった。
俺を真っ直ぐに見下ろす有坂の視線と、満天の星空。
愛しむように押し付けるキスと、ドロドロに溶けてしまいそうなキスを何度も繰り返しされた。
思い返せばゾクゾクと背筋が甘く痺れて、居ても立ってもいられないようなむず痒さが込み上げてくる。
「結城。待たせたな」
しばらくの後すぐに有坂が戻ってきて、台本と一緒に冷たい飲み物を手渡される。
礼を言って慌てて台本に目を通したが、いまいち文章が頭に入ってこない。
「まだ顔が赤いな」
不意に有坂が俺の頬に手の甲を押し付ける。
心臓がバクリと大きく跳ねて、余計に内容が吹っ飛んだ。
「どうだ。思い出したか」
「…やばい。マジでダメかも」
いつもの俺のあり余る自信は一体どこに行ったんだ。
だけど今はセリフどころか自分の立ち位置だって思い出せない。
ただ顔が熱くて、有坂が買ってきてくれた飲み物を冷ますように頬に当てる。
さすがに当日になって台詞忘れたとか、マジで笑えない。
乗り気じゃなかったが俺はやると決めたらやるタイプだし、クラスだってこの日のためにずっと準備をしてきた。
まあぶっちゃけ他人のことはどうでもいいが、何よりこの俺がセリフを忘れるとかクソダサい姿を見せるなんてありえない。
そんなことは自分が一番許せないし、だったらやらない方がマシだ。
でも今更やらないとか言う方がビビったみたいでクソダサい。
いつもの俺ならセリフくらい忘れてもいくらだってアドリブ効かせてやると思えるのに、なぜだか今はそんな強気にもなれない。
気持ちは焦ってるはずなのに、頭はまだふわふわしたままだ。
ふと有坂が視線を合わせるように椅子の前に跪く。
目が合うと、どうしてもさっきのキスを思い出してしまう。
再びカッと顔に熱が昇ったが、有坂は構わず俺を見つめた。
「もしも結城が出来なければ俺が役を代わる。家来役であればセリフも少ないし、今からでもすぐに覚えられる」
「…そ、そんなこと出来るわけねーだろ。第一有坂だって全然練習してないし――」
「大丈夫だ。人数が足りず廃止になってしまったが、去年演劇同好会にも所属していた。だから結城は何も不安にならなくていい」
淡々と言われたが、いやコイツマジでどんだけ同好会入ってんだ。
絶対それも人数足りないからって言われて入っただけだろ。
たいして学んで無いやつだろ。
だけど有坂の優しさに、ギュッと胸が詰まる。
どう考えたってこれから王子の台詞や動作を覚えるのは厳しいし、用意された衣装だって俺と有坂じゃ全然体格が違う。
それでも交代してくれって縋ったら、有坂ならマジでなんとかしてくれそうな気がする。
こういう奴だからいつも人が寄ってきて、無愛想なくせに人気者なんだろう。
有坂ならなんとかしてくれるんじゃないかって、そういう気持ちになって寄ってくる邪魔者の気持ちが分かってしまった。
それに仏頂面で淡々と王子の台詞を言う有坂を想像すると、ちょっと面白い。
有坂の王子はめちゃくちゃ堅そうで、魔女見つけたら正座させて説教しそうだ。
なんて想像したらどことなく張り詰めていた気持ちも少しだけ緩む。
だけど朝宮さんとのキスシーンまで考えて、イラッとして想像をやめた。
「朝宮も含め役者には俺から話をつけておく。だから結城は何も気にせず――」
「バーカ。仏頂面の王子なんて需要ねーんだよ」
目を細めて有坂の額を小突く。
どことなく心配そうだった黒い瞳が、少し驚いたように瞬いた。
しっかりしろ俺。
マジでボケてる場合じゃない。
大事な奴にここまで気遣わせて、それでも出来ないなんて言う方がどう考えたってクソダサいだろ。
「家来役なんて俺の柄じゃねーんだよ。有坂は俺の隣で跪いていればいい」
そう言って俺は立ち上がる。
まだぼやける頭をなんとか振り払って、余裕を見せるように腰を落としたままの有坂にフンと鼻で笑ってやる。
俺のやせ我慢なんか、正直有坂には見え見えな気はするけど。
「…それはまた随分な暴君だな」
「ひ、必死に今気持ちを落ち着かせてんだよっ。誰のせいだ誰のっ」
「俺のせいだな。だが謝りはしない」
そうだろうよ。
有坂なら後ろめたいと思えばそもそも俺にあんなことはしない。
つまりそれは友人関係でなく、本気で有坂は俺と恋人関係を望んでいるんだ。
そんなことは分かってる。
分かってるけど、それはともかく後だ。
まだ顔が熱い。
有坂を見ると正直頭がふわふわする。
だけどもうそんなことは言ってられない。
自分の役は自分でやる。
格好悪い姿なんて、他の誰より有坂にだけは見せてたまるか。
「王子は俺だ。だから俺が詰まったら手を貸せ」
腹に力を込めて、ぶっきら棒にそう言ってみせる。
そうしないと一気に不安が溢れてきてしまいそうだ。
有坂は一度面食らったような顔をしたが、跪いたまま胸に手を当てる。
黒い瞳が、優しげに俺を見上げて微笑んだ。
「仰せのままに」
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