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Las Palabras de Amor
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結局、私はせっかくロジャーがベッドや内装を新しくしてくれた隣室で眠ることはなかった。ロジャーをなんとかベッドに押し込んで寝かしつけようとロンドンから持って来た例の絵本。
「おそらにはてはあるの?」を読んでやっていると
「えらく手抜きの絵本だな。」
両見開きが黄色に塗りつぶされたページをさして文句を言う。
「これは宇宙に隙間無いぐらい星が光っていたらこうなると言うイメージだ。」
絵本ひとつ読むにしても文句の多い男だ。
「そもそも星って言うのは全部が全部光ってるわけじゃないんだろ!」
「、、光を放っているのは恒星だ。惑星はその恒星からの光に照らされて光って見えるだけだ。」
「だろう?それにしてもこの作家はサボりすぎじゃないか。」
と言ってどこからか取り出したペンで絵本の黄色だけのページに 星の形を書き込み始めた。しかも大小バラバラで形もギザギザが4つだったり5つだったりいっぱいギザギザのある形だったり、、。
「どうしてわざわざ持ってきた本に落書きするかな?」
ため息をついた。
結局は一緒になって何も描いていないページに落書きをしている間にベッドに入る前に飲んだ薬の影響で眠くなった彼を寝かしつけた。
荒い呼吸をする寝顔を見ながら何度、彼の寝顔を見ながらお預けを食らっただろうと思い出す。ロジャーはよく私のベッドに潜り込んで来た。ツアーに出たホテルや、飲み明かした彼の部屋で。
女を連れてのりこんで来た事もある。もちろん、その時は叩き出したが。
だけど大抵の場合はロジャーから色っぽく迫って来た。酔っ払ってピンク色の目元で絡みついて来られたら、いくらタバコ臭かろうが酒臭かろうが、惚れている立場としては盛り上がる気持ちを抑えられない。
捕まえてキスをして仰け反るうなじに唇を這わせて、、、あやしく乱れる体を抱きしめて。とうとう今度はほんとに体で愛し合えるか!と思ったところで”いざ!”となると”待った!”をかけられる。
そのまま出て行けばいいものを、”待った”をかけたまま本人は大口を開けてその場で寝てしまうのだ。無邪気な寝顔を見ながら、何度寝込みを襲ってやろうと思ったことか。そうしなかったのはあくまでも合意の上で体を重ねたかったからだ。
私は、あの時代に”忍耐”と言う物を学んだ様な気がする。そんな私の我慢をあざ笑うようにロジャーは私の前で眠っていた。
翌日ロジャーはギリギリでスタジオ入りを許可された。
ただし血圧計付のホルター心電計を装着して。縁なしメガネをかけた如何にもインテリ然としたシュミットは私に使命を課した。今朝のロジャーは先週ほど体調が悪くなさそうに見えるが油断はできない。ディディーによると毎回スタジオに入ると倒れるまで止めないようだ。
「ディディーが来ないうちにやっておかなきゃいけなことがある。」
「勝手に演奏して録音していないと怒るんじゃないのか?」
「練習とは何にでも必要なアイテムだ。君はこれに目を通しておいてほしい。」
数曲分の譜面を私によこした。1曲はスローバラード、もう一曲は、、、、
「タンゴ?」
「君はからっきしだったな。」
昔を思い出しておかしそうに言った。
フレディはタンゴが好きだった。自分のルーツはロマだと言い。曾祖母はロマの女王だった。と言うのが彼の持論だった。彼は当初自分の恋人のジムにタンゴを躍らせたがったがジムはまったくダンスのセンスに欠けていた。
それと同じく私も運動神経と言うものから見放された生き物だった。何度教えられても複雑なステップがまったく覚えられず、体も全然着いていかなかった。 あきれた顔でフレディは
「あなたは伴奏だけしてしてくれていたらいいわ。」
と私を見放した。
かわりにフレディの相手役を任されたのがロジャーだ。
タンゴの教師も舌を巻くほどの上達振りで全くの素人の私が見ても見事だと分かるほどの素晴らしいステップを踏んでタンゴを踊った。フレディによるとアルゼンチンタンゴは男同士で踊るのが本来のスタイルだと言う。
波止場で働く男たちが気晴らしで踊ったのがタンゴで、現在でもちゃんと男性同士で踊るジャンルのタンゴがあるそうだ。ただフレディがロジャーと踊るとどうしても男性同士と言うよりも完全にフレディが女性化してしまって普通の男女のタンゴに見えた。
「君はタンゴの名手だったな。」
フレディが死んでからは踊っているロジャーを見たことはないが。
「名手ってほどじゃないさ。
レディに無理やり習われたから踊っただけだ。でも、音楽は好きだったな。」
ロジャーはいよいよヴィオラを持ち出してきた。
「ピアノを頼んでいいか?細かな部分は君の感覚で弾いてくれていい。」
つまりアレンジを入れろと言うことだ。これなら弾けるだろう。と言われたからには弾かなければ!私はヴィオラをチューニングするロジャーを背後から抱きしめた。彼の髪に唇を押し当てる。振り向いたロジャーの顎を救って後ろを向かせて口づけをする。
「このままベッドに行く?」
昨夜のジョークを持ち出してくる。
「魅力的なアイデアだけど、、また寸前でお預けを食らうんだろ。」
「そうだったな。君って本当に馬鹿がつくぐらい真面目だったよな。」
「どういう意味だ?」
ロジャーは何を言おうとしているんだ。
「えっ。だってさ、君って全然俺に手を出さなかったよな。」
「なんだって?私は君が拒むから必死で我慢していたんだぞ。」
ロジャーは一歩下がると、ため息をついた。
「俺がさ、わざと酔っ払って君の部屋に行って、、、。君に抱いてもらおうと思って、、、迫っただろ?」
「わざと酔っ払った、、?」
今更聞く当時のロジャーの真実に耳を疑った。
「でも、いいところまで行くんだけど俺がビビッって”ストップ”って言ったら、君は馬鹿正直に止めてくれるんだよなあ。」
「、、、、馬鹿正直、、、、?」
私の死ぬような我慢を馬鹿正直で片付けるか?
「なんだよ、そんな顔で睨むなよ。俺だってヴァージンなんだぜ、それでも酔っ払った勢いで死ぬ気で迫って行ってるのに君は俺がちょっとビビッて”やめてくれ”って言ったらマジでやめちゃうんだから、、。」
「、、、、、、、、。」
「俺ってどんだけ魅力ないの?ってせつなかったぜ。」
私の我慢、、私の自制、、私の禁欲。。。
「きみ、きみは、、ほんとうは、、?」
「さあ、本当はどうだかなあ。本当は君に捨てられたくなくてさ、必死だったんだぜ。バンドでは喧嘩ばかりして、、、君は結婚するし。
不安で不安で仕方なくて、、ドミニクに相談したら、、”寝たら”って言うんだ。」
ドミニクに相談?自分の妻に私のことを相談したのか?
「俺はセックスはしない。ってブライアンに言ってるんだから自分からは誘えない。って言ったら、
”ブライアンに襲わせるように仕向けるのよ?”って教えてくれて、、
どうやって襲わせたらいい?って聞いたら”隙を作るんだ”って。」
ロジャーはさっきから何度もヴィオラのチューニングを確かめている。もうとっくにチューニングは整っているはずだ。私はと言えばフォローの言葉も出ない。
「”隙”の作り方も聞いたぜ、、。
”例えばお酒を飲んで酔っ払うとか、、”って教えてくれたぜ。さすが女だな。」
ロジャーは私を見た。片眉を上げて”どうだ?”って表情。
「でも、でもいつも君は最後には”いや”って。”NO"って言ったじゃないか!」
「OH!MyGod!初めての時は女だって3回はNOって言うぜ。そこをなんとか宥めて最終的に持って行くのが男だろ。君って諦めがよすぎるんだよ。」
あいた口がふさがらない。というのは正に今だろう。
君は、君は、待っていたのか?私が君を抱くのを!?
「ロジャー、、、私は、、。」
「君らしかったよ。俺は寝込みを襲われる覚悟で君のベッドで眠ったのに
君は俺にまったく手を触れていなかった。」
ちょっと待て!つまりはロジャーは私に襲われたくて私のベッドで寝ていた。だのに馬鹿正直にロジャーの”待て”を聞き入れて何もしなかったということか?。
「なんてことだ、、!40年前にもどって自分のケツを蹴り上げてやりたいよ。」
「ははははは。俺も当時に戻ったらいい加減素直になれよ。って言ってやりたいよ。でも、仕方ないだろ。俺って君に関してはバリバリシャイだったんだからさ。」
ロジャーは試し弾きをした。澄んだ透明なヴィオラの音。
ああ、彼がヴィオラを選んだ訳が分かる。ヴィオラの音はロジャーの歌声のトーンに似ている。歌っているのだ。ヴィオラを通して。
「君は優しかった。いつも、いつでも、、、。
無理にでも抱いてくれないことがもどかしかったけど、でも同時にそんな君だから好きだった。真面目でやさしい君が、、。」
しかし私は納得できない!
せっかくロジャーが覚悟を決めて据え膳を差し出したのに指を銜えて何もしなかった私!。 いや、、待て、たしか、、、理由があったはずだ。
「フレディに相談したんだ。」
これは初めて語ることだ。
「相談?」
ロジャーはとうとう楽器を置いて私に向き直った。
「誰に何を相談したって?」
真剣な表情で私に詰め寄ってくる。
「フレディに。」
私は語った。
「君とのことを、、、。」
「俺とヤれないって、レディに相談したのか?」
呆れた声で聞き返す。
「君が、、、どうしても、、最後は逃げるから、、、
ほら、二人だけで録音した時があっただろう?君の曲でたしかベースもギターも君が演奏した、、。」
ロジャーは記憶を手繰り寄せようとする表情で考え込んだ。
「5枚目、、、6枚目のアルバムの時かな、、、?ジョンにベースを借りて、、、ジョンは俺のベースが間延びしてるって言ったんだよな。」
「私は好きだったよ。ジョンのタイトな音とは違って、、、
なんて言うかユニークな低音だった。」
あんまりほめ言葉になってないかな。
でも、本当にいつもと違うイメージで楽しかった。
「そう、楽しかった。
録音が終わってエンジニアもスタッフもいなくなって二人きりで、終わった開放感で酒を飲みながらギターを弾いて遊んだよね。」
例によって酔っ払ってピンク色の目元で壮絶な色気を振りまきながら私に絡んで来るロジャー。二人で交互にフレーズを弾きあい。
同じリフを弾いて二人でギターのネックを揃えてチャック・ベリーを気取ってノリノリで演奏していた。やがてギター越しにキスを交わし、どんどんいいムードに盛り上がった。
お定まりに二人で床に転がってギターを抱いたまま体を絡め合う。普段はスタジオでは酒は飲まなかったが、その日は珍しくウイスキーをラッパ飲みして、すっかり出来上がったロジャーの体を抱きしめて唇を這わせた。
ロジャーは噛みつく様に私に口付けて来る。彼のシャツをずり上げて筋肉で盛り上がった胸の乳首に口づけてもまだロジャーは拒否しない。今日こそは絶対イケる!と、ついにロジャーのジーンズの前に手を触れた。
ロジャーに変化が現れたのはその時だ、急に彼の体が固くなった。しかしまだ拒否の言葉はない。私はそのまま自分の手をロジャーのジーンズの前に差し入れた。
ロジャーは小刻みに震え始めた。顔を上げて彼の顔を見たら両手のひらを自分の顔に押し当てて何かに耐えるように歯を食いしばっている。私は体をずりあげてロジャーの耳元で囁いた。
「大丈夫だ、最後までしないよ。」
彼はまだ少し震えながら私を見た。瞳が戸惑いを浮かべている。
「愛している。君だけだ。」
私はロジャーを抱きしめた。
「一緒に気持ちよくなろう。」
もう一度彼のジーンズの前に手を入れようとすると、、、。
「だめだ!」
突然ロジャーが私を突き飛ばした。
「だめだ!ダメなんだ!」
叫びながら飛び起きる。
「ロジャー!」
私は、またか、、、。と思い切り脱力した。
「ごめん。ごめんよ。」
私も起き上がった。
「ロジャー、、?」
私が差し伸ばした手を避ける様に立ち上がるとロジャーはギターも投げ捨ててスタジオから走り出して行った。
「そんなことがあったっけ?」
現在のロジャーにその時の顛末を話すとケロリとした顔で聞いてきた。
「忘れた?」
私はもう一度脱力した。
あの時の私の絶望感とやっちまった感をどう始末をつけろと言うのだ。
「まあ、私も若かったから性急だった。
君と一度行くところまで行ってしまえば、君も慣れると思ってしまった。」
性急だった。確かに、
「本当は君を抱きしめるべきだった。心配ない。と、慰めて君の気持ちを和らげてあげるべきだった。」
「、、、、、、、。」
ロジャーはバツが悪そうな顔をした。
「それでレディに相談したのか?」
そうだ、それが本題だった。
「そうだよ、君の様子があんまりおかしかったから、、、相談できるのもフレディだけだったし、、。」
ロジャーは黙り込んだまま、私の話を聞いていた。
「フレディは、トラウマがあるんじゃないか?と言った。君に、、過去に、、。」
「過去に、、ねえ。」
ロジャーは他人事の様に言った。
”あなたは男子校出身なんでしょう?。アタシも寄宿学校だったから、、経験はあるのよ。”
学校で、、何があったか?
「あなたは優等生だからそういう事は身近では無かったかも知れないけど
噂ぐらいは聞いたことあるんじゃない?」
当時の私は考えこんだ。男子校であったこと?
「ロジャーはあなたに会った18歳の時でも女の子間違われるくらいかわいかったんでしょ?」
それはもう飛び切りのかわい子ちゃんだったよ。と言うと。
「じゃあ、もっと若いころのロジャーはもっとかわいかったでしょうね。
その頃のロジャーに会いたかったわあ。」
とはしゃぎながら
「でも、良いことばかりじゃないのよ。」
どんなことがロジャーに起きたのか?
「まあ、どんなことが彼に起きたのか?わからないけど。
ロジャーの取り扱いは気をつけた方がいいわね。」
フレディは楽しそうだった。
同性愛者であることを公言はしないものの、けっして隠しはしなかったフレディ。
「ははははは、そんなことがあったんだ。悪かったな。いや、俺ってサイテーだよな。あやまるよ。ダーリン。」
本当に忘れていたのか?
「う~ん、何があったのかな?あまりにも昔過ぎて思い出せないや。
いろいろあったのはあったんだけど、その時何が原因でそうなったんだろうな?」
ロジャーは腕を組んで頭を傾げて考え込んでいる。
「ロジャー、思い出さなくていいよ。
辛い思い出なら忘れてしまったほうがいい。」
私はただ、バカ正直に据え膳を食べなかったと言う事実の言い訳ができれば良いだけだから。
「いや思い出した。たぶんあれだな。ジュニアハイの時に、、、。」
ロジャーは語り始めたジュニアハイスクールと言えば13~4歳だろうか?
ガキの頃の俺は超絶かわいくて、、、と、自分を称して言う。
男も女もみんな俺にほれたね。女にもてるのはいいんだけど、男まで、、。
”好きだけど”って告って来るのはかわいいほうで、年上の上級生は俺をどっかに連れ込んでキスを強要したりそれ以上をしようとしたり、教師も果ては牧師まで俺を口説いてきたさ。おれはみんな片っ端からぶん殴って来たけどね。ロジャーは笑う。
何でもなさそうに言っているがそれなりにたいへんだったんだろう。
「一番やばかったのは姉貴と妹が彼氏をうちに連れて来るんだよ。
そいつが俺に惚れて、、、 二人とも”私の彼を取らないで!”って怒るんだよな。俺のせいじゃないって。もっとしっかり男を捕まえとけよ。って言ったけど聞かなくて、、!俺だって災難だったよ。」
「それは本当に大変だったね。」
私はつくづくロジャーに同情した。私は一人っ子だったから兄弟の関係はわからないが、肉親に美貌を苛まれるなんて辛すぎるだろう。
「で、いつだったか。俺が過去にぶん殴った上級生が5~6人で集まりやがって、、、ある時俺を取り囲んだ。タイミング悪く回りに人もいなくて、急を狙ってきたから俺も油断してて。どこか倉庫の裏か何かに連れ込まれてさ。」
「ロジャー、もういいよ。いやな体験を思い出させてすまない。」
「うん、たぶんなそいつらも突っ込むまでは勇気がなかったんだろう。俺にそいつらの汚いのをしゃぶらせようとしたんだ。そんで俺のも、、、。」
轟然と怒りが湧いて来た。腹の底から。今更何十年も昔のことなのに。
13~4歳のロジャーに数人がかりで乱暴を働いたガキどもに、、!
「でも、おれもやられっぱなしじゃないぜ。俺に咥えせさせようとしたやつのは噛み付いてやったさ。血が出るくらい。噛み千切りはしなかったけど。
悲鳴を上げていたな。そいつは。」
痛快そうに笑いながら言う。
「俺のを咥えようとしたやつは膝であごを砕いてやった。」
ロジャーの膝蹴りは経験がある。
「だから大丈夫だったんだけど、当時の俺はトラウマだったのかな?ほんとに今じゃ覚えていないんだ。とにかく悪かったよごめんよ。
ブライアン。俺ってやらずぶったくりだよね。」
「ほんとにごめん。」
彼は笑いながら明るく謝るが、逆にロジャーの幼い頃の辛い体験を思い出させてしまったことが申し訳なかった。またロジャーを抱きしめた。
「私こそすまない。その時に君を助けてやれなかった自分が腹立たしいよ。」
「気にするな。もう今じゃ懐かしい昔の思い出さ。どうしているかな?俺がぶん殴った連中、、元気でいるだろうか?」
昔を懐かしむロジャー、故郷のコーンウォールにはまったく戻ったこともない、と言っていた。
「でも、ほんとに俺を大切にしてくれていたんだな?」
私を見上げる。
「ありがとう。」
爪先立って私の頬に軽いキスをする。
「約束するよ。今度君が迫ってきたら俺は拒まないから。」
ウィンクしながらロジャーは言った。
「言ったな。忘れないぞ。」
私も笑った。だけど、、、言質は取った。
後悔しても知らないぞ。私は君に関しては誰よりもクレイジーになる男だ。
「さあ、長くなった。一度あわせて練習しよう。」
テンポはかなりスローなテンポだ。走らないように注意深く鍵盤を叩いた。
ピアノによるイントロダクションの後にゆっくりとヴィオラが入ってくる。
そのあまりの美しさに震えそうだった。正直ピアノの伴奏など投げ出してひたすらロジャーのヴィオラの演奏を聴いていたい!
時に強く、時に柔らかくロジャーの奏でるメロディを支えながらうっとりと二人だけの世界に入って行く。一曲分終わると、ロジャーは譜面に書き込みを入れる。
「後で君のギターも入れよう。」
ロジャーはヴィオラとギターを合わせるつもりらしい。私は反対した。
「ギターは要らないだろう。君のヴィオラだけで十分だ。」
「やるだけやってみるさ。ヴォーカルも入れる。」
「それはいいな。」
二人で曲についてあれこれ意見を交わす事も楽しい。
あっと言う間に午前中は過ぎて行き。やっとディディーが起きてきた。
私はロジャーに休憩を言い渡した。まだ大丈夫だ。と言い張るが私の携帯に送られて来ている彼の健康状態のデーターは赤色点滅一歩前だ。
「言うこと聞かないと、また抱えあげるぞ。」
強く言い張って引かない私に白旗を揚げてロジャーは休憩を聞き入れた。
ディディーは私たちが午前中に演奏した曲をチェックするとスタジオに一人で残った。 部屋に戻るとコナーが待っていた。
「Mrセイラーがお元気でスタジオから戻って来られるなんて!」
コナーは真面目に感動していた。
「やあ、今日も君が日勤か。週末なのにご苦労だね。」
どうやらコナーとハリソンは付き合っているようだ。
ロジャーの看護をうまく利用して若い二人は恋を育んでいる。
「俺は恋人たちの踏み台みたいなもんさ。」
俺みたいな老いぼれでも誰かの役に立てるなら、、と、楽しそうに言う。
だが部屋に戻るとどっと疲れが押し寄せてきたらしく、カウチに座り込んでぐったりとした。ブドウ糖の点滴をと言うコナーを制止して休めば戻るから。と、目を閉じた。やはり点滴をした方がいいんじゃないのか?心配する私に
「点滴ならスコッチを入れてくれ。」
つくづく呆れたやつだ。回復して来たんだったら少しでも食事を採れと説教しているとディディーがやって来た。
「いいじゃないか。”Ave Maria”!ギターは入れないのか?」
彼は行儀悪く厚切りのパンに野菜や肉をサンドしたものを食べながらしゃべる。食事を採る時間も惜しいらしい。
「午後からやるよ。ソロも入れる。」
ロジャーが返した。
「じゃあしっかり飯を食え!ロージィ。
いちいちぶっ倒れていちゃあ何時までも曲が仕上がらないぞ。」
時間は限られてるんだろ!と荒っぽいながら檄を飛ばしていった。あのぐらい言わないとロジャーには効かないのかもしれない。振り返った私をロジャーは肩をすくめて見上げた。
午後から再開した演奏と録音は夜まで続いた。もっぱら私のギターワークが多かったからロジャーの負担も少なくすんだ。ヴィオラのソロを入れ、小波のようなシンバルを入れベースを入れた。
そのまま気の向くままにフレーズを弾くと、ロジャーも乗ってきて、、。
いけない、と思いつつ楽しくてジャミングが止まらない。だけど一杯だけ飲ませろ。と、ついにスコッチの封を切った。録音したピアノの伴奏に合わせてロジャーのヴィオラと私のギターでギグをする。咽ぶようなロジャーのヴィオラに私のギターが絡みつく。
陶然とするメロディに互いにアドリブでメロディを奏で合う。至上の時間だった。私とロジャーだけの世界。他の誰も存在しない世界。
美しい音楽だけの世界。余韻を残して最後の弦を鳴らし終わった後、崩れるように二人して床に座り込んだ。壁を背にして肩で息をしながらもたれ合った。言葉も出ない。
ああ、無くしてしまった時間が戻って来た。ロジャーを見返ると彼も私を見ていた。ディディーが居るのもかまわずに口づけを交わす。
「最高だったぜ。ダーリン。」
ロジャーが笑った。
私も笑ったが、痛烈に年を感じる。疲れた。
若い頃ならこのまま、二人倒れ込んで、昂ぶった感情をお互いの体にぶつけ合って絡みあっただろう。何度も何度も最後は拒まれるとわかっていても興奮した気持ちは簡単には収まらなかった。
だけど今は疲れ切って欲望の欠片も拾い集められない。私達はただ静かに肩を寄せ合って座り込んでいただけだった。
その夜、ただの酔っぱらいのジジイと化した私とロジャーがもつれた足で肩を組みながら彼の部屋に帰ると、腕を組んて仁王立ちしたハリソンが待っていた。
「よお、若いの!」
ロジャーが怪しいろれつで話しかける。
「そんな所で時間をつぶしていると、
あっと言う間に人生は終わっちまうぞ。」
ロジャーは片手にぶら下げたマッカランをラッパ飲みした。
「早く恋人を口説きに行け。さっさとしないと誰かにとられちまうぞ。」
「あいにく仕事中です。」
まったく表情を動かさずに答えるハリソン。
「あなたまで、、Drレイ。」
ハリソンは私に冷たい目を向けた。
「私が何だって?」
もはや知性のかけらも感じられないただの酔っ払った老人になった私はハリソンの冷たい視線などものともせずに向かい合った。
「君みたいな若造に何を言われても気にしないぞ。」
私は右手に持っていた酒瓶を掲げた。
「君も一杯やるか?」
「仕事中なので遠慮します。」
だが彼は私の掲げたボトルに注目した。
「それってグレンファークラス1955ですよね?」
「そうだったかな?ロジャーのスタジオに転がっていたんだ。」
私はボトルを目の前に持ってきてラベルを見ようとしたがグルグル回ってよく見えない。
「そんな風にいい加減に飲んでいい酒ではありません。」
「いい加減に飲んではいない。」
私はハリソンに詰め寄りながら言った。
「今夜私とロジャーは最高にクールでイカれたギグを体験した。君が一生かかっても体験できないエクスタシーを導き出したのだ。」
「その感動にふさわしいスコッチだ。」
「名言だ!相棒。」
ロジャーは彼のボトルを私のボトルに当てて乾杯した。
「それってマッカランの1939。」
ハリソンはデパートのスコッチコーナーの店員の様に いちいちスコッチの銘柄を言い当てていた。
「ブライアン、俺は最高の気分だぜ。」
「ロジャー!奇遇だな。私も最高の気分だ。」
二人はまた肩を組んで大声で笑い声を上げながらベッドに倒れこんだ。
ハリソンはしばらくその場に立ち竦んでいたが、しばらくすると立ち去った。
「はっはっはっは。君がスタジオで酒を飲んだのは久しぶりだな。」
「こんな愉快な夜に飲まずにいられるか。」
「うれしいよ。ブライアン。」
ロジャーは上半身を持ち上げて私を見下ろした。
私は条件反射の様に近づいて来たロジャーの頭を捕まえると口づけした。
今夜は二人とも酒臭い口だ。
「君のギターは世界最高だ。」
ロジャーは私の肩に頭を乗せた。
彼の髪の毛をもてあそぶ。
「君の、、、君は、もうドラムは叩かないのか、、?」
ついに聞いてしまった。酔いの勢いに任せてだが、、気になっていた。
ずっと、、。部屋の真ん中に置かれたグランドピアノ。
スタジオにもギターやベース、シンセサイザー、ヴィオラやチェロはおろかスティールドラムやガムランまであるのに、、ドラムセットが無かった。
シンバルやハイハットとスネアドラムくらいは置いてあったが、堂々たるロジャーの城とも言うべきドラムセットは組まれていなかった。
「忘れてなかったのか?」
笑いながら言う。
「君がドラマーだって言うことをか?」
忘れるとでも思ったのか?
「俺は忘れかけてたよ。」
ロジャーは笑っていたが、やがて言った。
「バースデーパーティーでちょっとだけ叩いたよ、、、。」
ボトルに残っていたマッカランを飲み干す。
「ひどいもんだった。テンポはキープできないし息が続かなくてリズムは乱れるし、、。」
彼は私のボトルを取り上げた。
「ああ、くそ。、君のも残ってない。」
私は彼に覆いかぶさるように抱きついて口づけをした。そしてそのままロジャーの上になって二人で横たわったまま
「ドラムが叩けないから、、死にたいのか?」
「。。。ブライアン。」
半分、意識が朦朧としながら語りかけた。
「もうドラムを叩くことができなくなったから絶望したのか?」
「、、、、、、。」
どんどん意識が遠のいていく。
「ブライアン、眠ったのか、、?」
遠くでロジャーの声が聞こえる。眠くて返事ができない。
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