アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
Who Needs Yuo
-
と、ロジャーが脱ぎ捨てたウインドブレーカーから振動音が聞こえる。
「何だよジェイムズ、ご主人様の貞操を心配してるのか?」
ウィンドブレーカーから彼の携帯を取り出して投げてやるとめんどくさそうに通話に応じる。
「どうしたジェイムズ。俺達の邪魔をするなんていい度胸だな?」
しかし次の瞬間彼の表情が変わった。
「本当か?もう来てる?そこに居るのか?
わかったすぐに戻る。
待たせておいてくれ。」
体を起こしながら慌てて立上がろうとした。
「帰ろうダーリン、客だ。」
よろめく体を支える。
「客?」
二人の時間を台無しにしてまで会う必要のある客とは、、、。
しかし、もしあのまま抱き合っていたら、、
ジェイムズの電話にも出なかっただろう。
そう思うと我ながら情けなくも、未練がましくてたまらない。
どうしてこう邪魔が入るのだろう。もしかしてこのまま抱き合うことはできないのだろうか?
のろのろと立ち上がる私に少し苛つきながら
「荷物は後で取りに来させるから置いておいていい。」
イエローの上着だけを掴むと
カートに乗り込んだ彼の肩に羽織らせる。
「誰が来たって?」
私はまだ不機嫌に聞いた。
「ザックだ。今週はドイツで録音だって言ってたのに、、。」
「ザック、、、?」
「会ったことなかったっけ?」
「どのザック?」
ミュージシャンなのか?どのバンドだ?
「イツァーク・バウザーだよ。
チェリストの。」
「チェロのバウザー。」
聞き覚えはある。
「確か盲目の、、、
天才チェリストって有名な?」
「全盲じゃないけどな。
光や色やぼんやりとおぼろげに形は見えるらしいが弱視って言うのかな?文字や人の顔はわからないが。」
カートを運転してる間もプレゼントを開ける前の子供のような顔をしている。 実際、仕事から引退したとは言え、まだまだ彼に連絡を取りたがる人間はたくさん居る。 売り出し中のミュージシャンやアーティスト、映画や舞台監督。資金がほしい企業家や発明家、冒険家。寄付を求めるNPO団体など引きも切らない。
たいていは専門の窓口が処理するが、中には古い付き合いのある人間などロジャー自らが対応する場合もある。しかしバウザーはそう言ったロジャーにスポンサードを求めるミュージシャンではなさそうだ。
「いつからの付き合いなんだ。」
少々恨みがましく聞いた。
私たちの時間を削ってまで会う必要のある人物なのか?と。
「妬いてるのか?ダーリン。
怒るなよ。いつから、、?何時だったかな?
そう、、、確か去年だ。
ロンドンでコンサートを聴きに行った。
まだアッデンに入院していて、、、でも外出許可が出てリリーと出かけたんだ。」
去年ならまだそれほど深い付き合いではないのではないか?屋敷に到着するとカートを乗り捨てて急いでリビングに向かう。私の腕を掴んで引っ張っているのでなんとか仏頂面を作ることを抑えられた。
「ザック!待たせたな。」
リビングに入るなりロジャーは両手を広げて部屋の真ん中のピアノのそばにたたずむ男に歩み寄った。その男は立って待っていた。ブルーグレーの上着を着てノーネクタイでダークブラウンの髪。
無精髭がむさくるしいが、色の薄いサングラス越しに見ても中々の美形だ。
「ロジャー、、、!突然来てすみません。」
彼が1,2歩近づく前にロジャーがその体を抱きしめた。
「びっくりしたよ。まだレコーディング中じゃないのか?」
「そうです。まだ終わってないのですが、どうしても会いたくて、、
たまらなくて。朝から連絡したのですが、、通じなくて、、。
直接来てしまいました。」
少し外国語訛りだが流暢な英語を話す。
確かクロアチア出身だったか?
「すなまい、釣りに行っていたんだ。
電話を持って行くのを忘れていた。」
ロジャーは私を振り返るとにこやかに彼に紹介した。
「ブライアン、ザックだ。君も見知っているだろう?」
私はうなずいた。
「ザック、ブライアンだ。
君に話しただろう。俺のパートナーだ。」
その男は私の方を向いた。
しっかりした足取りでこちらに歩み寄ってくる。彼が差し出した手を私から握りしめ
「初めまして。ブライアン・レイだ。ロジャーのパートナーだ。」
強く力を入れて握手した。
「おお!」
バウザーはサングラス越しにぼんやりと顔の向きを私の周囲に見回すように動かした。
「あなたがDrレイ、怒っていますね。ボクが邪魔をしたのですね。申し訳ありませんでした。」
私はロジャーを見た。彼は笑っている。そう言う事か?バウザーは私達と同類なのか?
「座れよザック。もうちょっと待っててくれ。着替えてくる。俺たち葉っぱだらけなんだ。」
ロジャーは彼に木の葉を一枚手渡した。そして一旦自室に戻った。気が利くと言えばこれ以上気が利く男はいない、ジェイムズ。すでに部屋にはロジャーの着替えがコーディネイトされて吊るされていたし、私の部屋でも同様だった。
「ブライアン、ザックは繊細だ。機嫌を直してくれ。」
私のシャツの襟を直しながら言う。
「見えないんだろ?襟が折れてるぐらい。」
治まった様子のない私にロジャーは”まあまあ”と宥めた。
それでも私も努力はした。リビングに戻ると聞き覚えたクロアチア語で挨拶をした。
「Dobar dan、先ほどは失礼な態度だった申し訳ない。」
リビングでバウザーに再会するとまず謝意を伝えた。
「いいえ、失礼だったのはボクです。突然押しかけました。」
今はソファにゆったり腰掛けて紅茶を飲んでいる。
「いったいどうしたんだ。レコーディングをほおり出してまでここに来るなんて。」
ロジャーはジェイムズにシャンパンを開けさせる。
「胸騒ぎがして、、どうしても今日、あなたに会わなくてはいけないと、、
ロジャー。あなたに。」
これは、、、不穏な気配を感じて私は立ち上がった。
「バウザー君、それは、、、。」
気色ばむ私に怯むこともなく
「どうぞ、ザックと呼んでください。Drレイ。」
穏やかに言ってのける。
「まあ、ブライアン。落ち着つくんだ。」
「それならば私の事もブライアンと呼んでくれ。」
もう一度ソファに座りなおす。
「ありがとうございます。ブライアン。」
私はさっきから彼が傍らに携えている赤いバラの花束が気になっている。
確かにロジャーは赤いバラが気に入りだ、部屋にも屋敷全体にも絶対赤いバラ以外は飾らない。
「ボクはあなたがうらやましいです。ブライアン。さっきの様にロジャーから”パートナーだ”と紹介されるあなたが、、。」
ロジャーは薄く微笑んだまま何も言わない。
「でも、かと言って本当にシビル・パートナーシップの関係を結んでいる訳ではないですよね。」
いきなり核心を突いてきた。
「どう言う意味だ。」
喧嘩を売られているような気がする。
「お二人は正式に結婚もパートナーシップを結んでもおられませんよね。」
「俺は形式にはこだわらない。
ブライアンも俺も自立している。経済的にも支えあう必要はない。
気持ちがつながっていればそれで十分だ。」
やっとロジャーが口を開いた。
「ええ、ただボクにもまだ権利はあると言うことですよね。」
「権利!?」
私は尖った声を出した。
彼は立ち上がるとまっすぐにロジャーに向かいバラの花束を捧げて跪いた。
「結婚してください、ロジャー。心からあなたを愛しています。」
「待て!何を言っているんだ!」
私は抗議の声を上げた。
しかしロジャーは落ち着いて
「プロポーズなら去年も断ったじゃないか?」
鷹揚に答える。
「あの時はまだ奥様と結婚しておられました。
それを理由に断られました。」
「そうだったかな?」
ロジャーはシャンパンのグラスをテーブルに置くとザックに向き合った。
「あの時も言ったが、君の好意はうれしいよ。」
そして私を見る。
「だけど俺はブライアンを愛している。」
胸が熱くなる。
誰かの前ではっきりとロジャーが私を愛していると堂々と言ってくれたのは初めてだ。それが聞けただけでもザックに感謝しなければ。
だがしかし、去年?
「だから悪いが君の気持ちには応えられない。」
ロジャーにしては何の比喩もなくストレートに断った。
「私もだ。ロジャーを心から愛している。
誰にも彼を渡す気はない。」
私は左手を伸ばして隣の椅子に座るロジャーの右手を握った。
「おお、、。」
ザックはガックリと肩を落として跪いたまま床に手を着いた。
芝居がかって見えるが彼は本気で落胆しているのだろう。
サングラスを外して涙をぬぐった。
「分かっていました。
でも、もう一度確かめたかったのです、、、。これは、、。」
驚いた事に彼は指輪を持参していた。ダイアモンドだろう。
プラチナの男性用の幅広のタイプだが。
「これは貴方の森の池に捨ててください。」
「何を言うんだ。」
「そんな物捨てたら池から女神が出て来るぞ。」
ロジャーと同時に返した。
「女神?」
ザックは一瞬首を捻った。
「真実の泉だ。」
「ああ。」
合点が行ったらしい。
しかし今の彼にしゃれが通じる余裕はない。
「指輪は持って帰れ。
いつか本等に君を愛してくれる人間が現われる。
その時にプレゼントすればいい。」
「貴方以外にボクが心を捧げる人はいません。」
私は立ち上がって彼を椅子に座らる。
「ザック、年はいくつだ?」
肩を叩いて慰めのつもりで聞いた。
「年ですか?ボクの?ええと、確か33才だったでしょうか?」
30台だったのか?若々しく見えるが、
精神的にはもっと幼い、18歳ぐらいに感じる。
おぼろげな視界で、、幼い時から音楽的才能を見せて、
おそらくは音楽的に特化した環境で育って来たのであろう。
通常の人間関係を経ずに育ってきた者特有の無垢で純真な人柄が見える。
「君は我々の半分の人生も生きていない。
君の人生はこれからだ。君の未来には無限の可能性がある。
これから巡り会う人々との出会いを大切にしていれば、、、
きっと、、、君の心を揺さぶる人物が君の前に現れるだろう。」
ザックは私の手を握り締めながら、、
「あなたの光も美しい、、、」
うっとりとした表情で、、。
どう返せばいいのか?
「ロジャーから聞きました。
貴方の音楽はダイアモンドダストの様に煌いて美しい。と」
どこか焦点の定まらないぼんやりした視線で、夢に漂うにしゃべる様を見ていると確かに不思議な保護欲が轟然と斯き立てられる。
咳払いをして彼から離れた。
ロジャーはザックにシャンパングラスを持たせた。
注意深くシャンパンを注いでやりながら
「君のこれからの出会いに乾杯しよう。」
「貴方以上の人に出会えるとは考えられません。
どうか、ボクの失意のハートに乾杯してください。」
ザックは一気にグラスの中身を飲み干した。
「ロジャー、せめて一緒に演奏をお願いします。
チェロは上達したのでしょう?」
そうか彼の影響でロジャーはチェロを練習し始めたのか?
「すまんなザック、最近はあまりチェロを弾けてないんだ。まだまだ練習が足りん。」
「では今日はみっちりとレッスンしましょう。」
「ははははは、せっかく再会して乾杯したのに、、
レッスンなんて勘弁してくれ。今夜はゆっくり飲もう。
君の好きな”TURUNOKO"も”TANBAGURO”もあるぞ。」
そうか納豆ネットワークのメンバーでもあるのか。
「おお、”TURUNOKO”!ではせめて、歌ってください。」
ザックは持参したチェロのケースを置いた場所にしっかり歩んで行った。
楽器を取り出すと入念にチューニングする。
「ブライアン、ピアノの伴奏をお願いします。」
やや命令形の指示にむっとしながらも
「曲は何を?」
「Ave Mariaをお願いします。」
私は黙って立ち上がるとピアノの鍵盤を覆うふたを開けて椅子に座った。
「どのバージョンをやる?」
「カッチーニを。」
うなずいて、指慣らしに鍵盤の上に指を滑らせる。
「あ~あ、仕方ないか?
だけど最近歌ってないからあまり声は出ないぞ。」
ロジャーはジェイムズに言って
ザックがチェロを演奏しやすい椅子を持ってこさせた。
確かにあの喀血以来、彼はあまりスタジオに入っていなかった。
この所は作曲に余念がなく部屋でピアノやギターで曲作りをしてばかりだ。
ロジャーは立ち上がると、私のピアノのそばにやって来た。発声練習をする気もないらしい。だけどさすがにザックはチェロを構えて弓を当てると 天才チェリストの名を擅にする風格を見せた。
彼はもちろん譜面は見えない。私もこれだけは暗譜している。ザックはロジャーの方を見て頷いた。
「頼むよダーリン。」
8月にスタジオで演奏したスローテンポでイントロを弾き始める。
たっぷり8小節待ってピアノの変調とともにロジャーとザックは同時に入って来た。掠れた小さな声、だけどヴィオラの弦の掠れた音の様に不思議な層を重ねた伸びる声。
ザックはロジャーの声を邪魔しないように控えめに音を鳴らしていた。
正直、私はチェロをそれほど魅力的だと思って聴いたことはなかった。
ハーモニーの一つとして捕らえていただけで、チェロの音がほしかったら自分のギターで楽に出せる存在だと捕らえていた。しかし、ザックのチェロは違った。彼の音は深い森の中を流れる静かな風の様な、、、。 神秘的で密やかでいながら力強く響く、、なんと美しい音色だろう。
滑らかなヴィブラートを利かせながら低く時に高く。今はロジャーの声を支えるように優しく、そして哀しい音を響かせていた。目を閉じてうっとりと、、自身の世界に陶酔している様に首を振りながら、、閉じたまぶたからは涙が流れてる。美しく流れるAve Mariaのメロディは空間を包んで我々を遠い幻想の世界に送り込む。
最後の音の響きが消えた後も口を開くことができない。
「おお、、。」
その静寂を破ったのもザックだった。
「美しい、なんと美しいのでしょう!ロジャー。」
「美しいのは君の方だよ。」
ロジャーは苦笑いをしながらザックに近づいて肩を抱いた。 私も今はザックを賞賛するのに言葉を惜しむつもりはない。
「その通りだ素晴らしかったよ。ザックさすがだ。」
「いいえ、、、ロジャーあなたの声は奇跡です。
いいえあなた自身が奇跡です。
なんと言う美しいきらめきでしょう。」
豊かな感受性で素直に感動を表現する。
肩にかけられたロジャーの手を取って唇に押し当てる。新たな涙を流しながらいとおしげにロジャーの手を押し頂いている。
「奇跡は君のほうだ。ザック。
こんな名演奏を聞かせてもらえるなんて俺たちは幸運だぜ。
なあブライアン。」
私はいつまでもロジャーの手を離さないザックに近づいて行った。
「私もそう思うよ。こんな体験をさせてもらって体が震えたよ。
ありがとうザック。」
握手を求める振りをしてザックの手を取った。
「ブライアン、あなたの光も美しかった。
ギターだったらもっと何倍も美しいのでしょうね。
またぜひ聞かせてください。」
「君の前で堂々と演奏できるほど、今の私は厚顔ではないよ。
昔の録音でも聞いておいてくれた方がまだマシかな?」
私はロジャーのそばに行って見せ付けるように腰に手を回した。
もっともザックにそこまで見分けられるのかは解らない。
「お二人の演奏に今のボクの演奏がかなうはずはないとわかっていますが、、今日はもう一曲お二人のために弾かせてください。」
「もちろん!ぜひ聞かせてくれザック。」
私はロジャーを抱いたまま二人で並んでソファに腰掛ける。
結局、その後はザックのチェロの独奏を数曲聴いたあと彼の失恋を慰める酒盛りとなった。ジェイムズの厳選して取り寄せた納豆や豆腐、湯葉、ワサビにいちいち驚嘆の声を上げながら感激しつつ驚くべき食欲と酒豪振りを見せてザックは早々と出来上がった。
涙を流しながらロジャーにすがりつき私にロジャーを譲れと迫ってくるが、
駄々をこねる子供の様でかわいくて怒る気になれない。
大いに酔っ払った私たちはまたピアノやギターを持って、でたらめな曲をセッションしては大笑いした。気がつけば私とザックはタンゴを踊っていたし、ロジャーとザックも踊る。ロジャーがヴィオラを弾きザックがチェロを弾いて”納豆に捧げるセレナーデ”を作曲した。
そしてその場にロンドンから帰ってきたルーカスが乱入して来て、別れたくないと泣き叫ぶザックを引きずって西翼に連れて行った。今夜は彼の失恋を慰めて一晩中飲み明かすために。
「ルーカスとも懇意なのか。」
「まあ年も近いし。」
そう言えばザックの精神的幼さとルーカスののほほん気質は似ている様だ、きっと気が合うのだろう。
部屋に戻ってブラックコーヒーで酔いを醒ます。ロジャーはまだスコッチを飲んでいるが、もうやめろと説教する体力もない。
「ザックとはどうやって知り合ったのだ。」
「向こうから声をかけてきたのさ、コンサートの後、、、ロビーで。」
コンサートの直後に?ザックが?
「なんか知らないけど興奮して叫ぶから困ってたらマネージャーみたいなのが、とにかく一緒に来てくれ。って楽屋に連れて行かれて、、、話をしてくれ。って。」
「、、、、、、その時が初対面?」
「そうさ、イカれた奴だったな。その場でいきなりプロポーズして来た。」
「初対面で、、プロポーズしたのか。」
天才とはそう言う突飛な行動が平気でできるものだろうか?
「言っとくけどその時は俺、まだ抗がん剤の影響で頭はつるっぱげだったし、帽子やサングラスとマスクで顔は全然見せてなかったから、
俺を見分けてスポンサードを狙って来た訳じゃないと思うぜ。」
第一あいつはもうスポンサーなんか必要ないくらい売れてるしな。と言い足した。
一般的に考えたらロジャーの権力や財力目当てで近づいたと考えるのが容易だ。しかし、ザックの態度を見ていたら真剣に彼がロジャーに恋をしているのがわかる。
「結婚は無理だけど友達なら。ってそれから数回遊びに来たかな?
俺もチェロの音が気に入って教えてもらったけど、断っても断ってもプロポーズしてくるし。まあタフな奴だぜ。」
では指輪も、もう何個も池に捨ててあるのかも知れない。
「ロジャー、、もう誰にも会わないでくれ。」
彼を抱きしめながら懇願する。
「無茶言うなよ。でももう新しい出会いはないと思うぜ。最近の俺は完全に隠棲生活送ってるだろ。」
不安だ、ロジャーを一人にできない。もしかして研修医たちの中にも彼に恋をする者達がいるのかも知れない。くれぐれも気をつけなければ。
私はその時ロンドンにいた。
自宅の楽器類や蔵書類など荷物を移動保管させるために、、、は表向きの理由で本当はロジャーの治療をロンドンの病院で受け入れ可能な所があるか調べるため。
そこへ”ティムが倒れてアッデンブルックに運び込まれた。”とロジャーから知らせが来た。
「できれば様子を見に行ってくれないか?」
所用を片付けて病院に向かう。
アッデンブルックにはティムの現在の妻と孫のデヴィッドがいた。
「肝臓がん、、、、!」
ティムは肝硬変になっていたそうだが、一向に酒を控えることができずにいたらしい。医者から何度も注意されていたそうだがついに癌を発症した。
しかも長い間検査を受けなかったらしくかなり進行しているらしい。つい10日ほど前に再会したばかりなのに。あの時はすでに発症していたのだ。
暗澹たる気持ちでサリーに戻る。私たちの年齢になれば癌やそれ以外にも重い病気を患う仲間は多い。しかしティムは長年の付き合いだし、つい先日そのやつれた様を見たばかりだったので特に気持ちに重いものが圧し掛かる。
「やっぱり肝臓癌か?進行状況は?」
私の報告を聞いたロジャーはティムの容態を気にした。
「多発性の大型肝細胞がんで切除がすでに不能とのことだった。」
「あいつ長い間ほっといたな。」
苦々しい表情を浮かべるロジャー。
カウチに腰掛けている彼の隣に腰を下ろして抱きしめる。
「ティムは困窮しているのか?」
ミュージシャンとしては爆発的なヒットはなかったが そこそこの実績を残して、そのまま収入に見合った生活をしていればよかったものを慣れない事業に手を出してお定まりの失敗、借金の転落コースをたどったらしい。
ロジャーもかなりの金を融通したようだ。
「馬鹿な奴だ。早く手を打てば何とかなったものを。」
自分のことは棚に上げてティムの態度を責める。
「ああ、しみったれた話はいやだ。ダーリン曲はできたか?
俺が痺れて思わず君に絡み付いていきたくなるような刺激的な曲は!」
「私はいつでも君に痺れているんだが。」
正直、先日のザックの演奏を聴いて創作欲が俄然と沸いて来た。
今の私はミュージックボックス状態だった。作曲しなければ!と言う焦燥感はあったのだが、どうにもロジャーの病状や治療方法が頭を占めていて曲作りにまで気持ちに余裕が持てなかった。
「もう少しだ。今、いい感じの曲が沸いて来ている。」
しかし、ここに来てティムのことを聞いてはまたトーンダウンしそうで怖い。
「ダーリン、君も体に気をつけろよ。」
その通りだ。私もティムと同じ年齢だ。
「君に言われたくないけどな。ハニー。」
笑いながら。
「ブライアン、ティムだけど、、、
例のジャパンの大学の治療法を受けさせられないかな?」
「分子標的薬を使った治療法か。」
”レンバチニブ”ジャパンの製薬会社が作った密やかなスーパー分子標的薬だ。私がここ数日、ロンドンとサリーを往復していたのはまさに”レンバチニブ”の効用と治験のためだ。甲状腺がんの他6種のがんに適応が認められてはいるが肺がんにはまだ適応が認められたケースは発表されていない。ロジャーを日本に連れて行ければ話は早いのだが、本人は頑として動きたがらないし、体力的にもできれば国内の病院で治療できれば理想的で、アッデンブルックを始め公立、私立の病院を回って件の薬で治療できないか相談をしていた。
私立の病院の中には積極的な姿勢を見せる物もあったがいかんせん専門的な知識が足りなかったりとうまくいかない。しかしここにティムの肝がんが加わった。
「私も調べてみたんだが”レンバチニブ”は投薬された対象患者の20%に
明らかな効用が認められているし、TACE(冠動脈塞栓療法)との併用でかなりな実績を見せている、画期的な分子標的薬だと言えるだろう。」
「国内で治療は?」
ロジャーも一番気になるのはその点だろう。
「まだイギリスでは承認されていない、アメリカでは承認済みなのだが。」
「ティムをジャパンに連れて行けば。」
「ロジャー!君も一緒に行くんだ。」
彼の肩をつかんで訴える。
「俺はいい、、。」
「君が治療を受けるならばティムも治療を受けさせよう。」
「なんだかティムを人質にとった様な言い方だな。」
彼の目を覗き込みながら、、、
「では、こう言おうか?君が治療を受けないならば私を殺すぞ。」
ロジャーは吹き出した。
「いいなそれ。君のそのぶっ飛んだところ、好きだぜ。」
「ロジャー私は真剣だ。
君が治療を受けずにそのまま死ぬのならば私も死ぬ。」
彼の体を抱きしめて逃げられないようにしながら
「君の体を抱いて森の池に沈む。」
「女神が出てくるぞ、、、。」
力なくジョークを言おうとするが、、。
激しく口づけてその先を塞いでしまう。
「なぜだ、なぜそうまで頑なに生きることを拒むのだ。ティムは助けようとするくせに。 なぜ自分自身の命を救おうとしないのだ?」
うつむこうとするロジャーの顔を無理に上げさせて、今度ばかりはごまかされない。
「なぜ私から君を奪うのだ?私は許さないぞ、決して君を手放さない、、
もう二度と、、二度と、、!」
「やれやれ、やっかいな男だぜ。」
彼はわざとクールを装っている。
「何度も言っただろう。俺はもう十分生きた。
子供たちもみんな成人したし、別れた妻たちもさしあたっては幸せだ。
事業もうまく行ってるし、何の心配もない。俺がいなくったって何の問題もない。
だけど、ティムはまだ孫息子がいるだろう。あの子には支えになる祖父が必要だ。父親が事故死してすぐに祖父まで病死したら気の毒すぎるだろう。
せめて大学を出るくらいまでは生きていてやらなければ。」
「何の心配もない、、?」
ティムのことは理解できる。私もそう感じた。
「私は、、?私のことは、、、?何の心配もないのか?」
ロジャーは視線をはずした。
「誤算だったぜ、、。」
「誤算?」
「まさか君がこんなに熱くなるなんて思わなかった、、、。」
「ロジャー。」
「君はいつも、、、俺の言うことを聞いてくれた。いつだって、、。」
「、、、、、、。」
「別れよう。と言った時も、何も言わずに受け入れた。」
「それは言っただろう。本当に君に嫌われるのが怖かったんだ。バンドのメンバーとしてそばにいられるのならば、それで我慢しようと。」
「抱かれたくない、と言えば、ただキスをするだけで俺を愛し続けてくれた。」
ロジャーは私を見ずに言葉を続ける。
「俺が他の女と次々に関係を持っても何も言わずに黙ってそばにいてくれた。」
それが駄目だったのか?そうしたいと言ったのは君じゃないか?
「だから、、、看取ってくれと言った時も、、、
何も言わずに看取ってくれると思った、、。」
「何も言わずに、、、君が死んでいくのを、何も言わずにただ黙って、、私が、、、黙って君を死なせると思ったのか?」
「思ったよ、、、。」
だから連絡したんじゃないか?と嘯く。
「ずいぶん見くびられたもんだな。」
轟然と怒りが湧いてくる。
「そこまでつまらない人間と思われていたとは、、、!」
掴んでいた彼の肩を激しく揺さぶる。
「死なせるものか!!君が何度、殺してくれと叫ぼうと絶対に死なせない。」
そのまま彼の身体を担ぐとベッドへ向かう。
「ダーリン、、、俺歩けるぜ。」
「黙っていたまえ。」
乱暴にロジャーの身体を投げ出した。
「、、、乱暴だな、、、優しくしてくれよ。」
肩で息をする彼に容赦なく詰め寄って首に巻いたストールを剥ぎ取る。
抵抗する暇を与えずにシャツの合わせを引っ張るとボタンが外れて飛び散る。
「ブライアン、落ち着け。」
後ずさって逃げようとするが許さない。
シャツの下に着ていたダウンベストに手をかけた。
「やめろ!やめてくれ。」
蒼白になりながら真剣に拒否する。
「私の愛を見くびってはいけない。」
彼のすべてをさらけ出させて
それでも揺るがない私の愛を思い知らせてやる。
激しく抵抗しようとするロジャーに余計に嗜虐心が湧き上がる。
「ロジャー、私にすべてを見せてくれ!」
「いやだ。ブライアンやめろってば!」
しかし合わせ目に掛けた手に力を入れるとあっけなく生地は裂けた。
息の上がったロジャーは激しく呼吸を乱しながら、それでも両腕を体に巻き付けてまだ身体を隠そうとしたが、、とうとう力尽きたのかその姿勢のままズルズルと崩れ落ちた。
「、、、見たいのか、、。」
荒い息の合間に小さく言った。
「そんなに、、見たいのか、、。」
まるで狩られた獣の様な、
しかしいまだにうなり声を上げて獰猛な青い眼差しを向けて来る。
そんな彼を見下ろして私はやっと冷静になりつつあった、、、。彼の首から剥ぎ取ったストールを手に取ると、
「すまなかった、、、。」
ストールを広げて彼の胸元を覆い隠そうとした。しかし。
「離せ!」
私の手を払い除けてロジャーは立ち上がった。まだ荒い息をしながらも
「、、スタジオにいる、しばらく一人にしてくれ。」
そのまま窓を開けてテラスからスタジオに向かう。後を追おうとしたが、私も頭に血が上っている。お互いに少し時間を開けたほうがいいだろう。
またやってしまった。どうもロジャーのことになると私は歯止めが効かない。温厚な私はどこへいってしまったのか?今の私はキレやすい短気な老人だ。
ちょうどロンドンの病院から電話が入ったったのでしばらくそちらに意識を切り替える。
ティムの発病は私には都合が良かった。こう言っては語弊があるがおかげで大っぴらにガン治療の話ができる。煮えきらなかった私の態度も旧友にガンの疑いがあったから、、。で、説明がついた。
何よりもジャパンのK大学の開発した治療方を試すチャンスだ。
2〜3 他にも電話をしたりメールを送ったりしている間に気がつくと夜中だ。
ロジャーはまだスタジオにいるのか?もういいだろうと私も向かう。
しかしスタジオに人気はない。明かりが着いているだけ。
ギターを弾いていたのか一台のギターがアンプに繋がれている。
アンプの電源も入ったままだ。
しばらく待ったが人の気配はない。
携帯を鳴らしたらスタジオの片隅に置き去りにされていた。
もしかしてどこかで倒れているのでないか、、!?
不安に掻き立てられて周囲を探すが、見当たらない。
キッチンにでも行ったのか、
戻って2階の元の私室やメディカルルームを覗いてもロジャーはいなかった。
夜勤の研修医や看護師にも探させる。
「ジェイムズ、ロジャーがいない。」
もう仕事の時間は終わっていたが彼も呼び出した。
ルーカスにも確認したが西翼にもいなかった。
胸騒ぎがする、、、。私が、私が彼を追い詰めた。
外は風が強くなってきた。流れる雲が早い。
「低気圧が接近しています、今夜は嵐になるかも?」
誰かが天気を予報した。
「Drレイ、カートが一台ありません。」
起き出してきたジェイムスはパジャマの上にスーツの上着をはおっていた。
森に行ったのか?
たった3km四方の小さな森でも夜中に人一人を探すとなると、、、
「ルーカス!犬を放せ!」
ロジャーの飼っていた二頭のジャーマンシェパードを放して、彼らの主人を探させる。
今は感染症を恐れて身近に置くことを禁じられ、ルーカスが預かっているが彼らはロジャーが主人だと分かっている。
「ジェイムズ、君は家の周辺を頼む、私は森を見てくる。」
不穏な気配を漂わせて流れる雲の切れ目から月が姿を現したり隠れたりして森を照らしてはまた暗闇に包んだりを繰り返す。ガレージに向かいカートを引き出すと森に向けてハンドルを切った。ライトに照らされた前方の森はただただ暗く、木々が大きく枝をしならせてザワザワと音を鳴らせているだけだ。
”もしかして、、池?”
恐ろしい予感が胸に浮かぶ。
「君を抱いて池に沈む」
自分の発した言葉が禍々しい予言の様にグルグルと頭の中を回る。
この森に大型の動物はいない。と言っていた。昼間は管理人によって一般人や動物が入り込まないように管理されている。森のほぼ中央にある池まで約1km、カートの速度はせいぜい20kh、池に通じる轍の後を辿りながらカートを降りて走り出したい衝動に駆られる!だがどうせ途中で力尽きるのが関の山だ。風がますます強くなり木々を揺らす。木の葉や小さな小枝が飛んで来てはぶつかって行く。
風が冷たい。早く見つけないと嵐になるかも知れない。それよりも、、。忌まわしい考えが頭のなかに浮かんでは打ち消し、焦る気持ちに拍車をかける。やっと前方が開けて水が岸に打ちつける音が聞こえてきた。
果たして見回すと池の畔に人影がうっすらと見えた。
たまたま雲が切れて満月が照らす。
紛れもないロジャーの金髪が風に吹かれて靡いていた。
「ロジャー!」
強い風で木々が騒ぐ音に消されて自分の声が聞こえない。
「ロジャー!早まるな!」
カートを降りると草地を駆ける。
気配を感じたのか?やっとこちらを振り返った。
だがなんと彼は岸ではなく水の中に立っていた。
「ロジャー!待て、待つんだ!」
声を限りに叫びながら水の中に走りこんだ。
「君も来たのか?」
予想外にのんびりした声で答えた。
バシャバシャと水音を立てながら近づくと
「静かに、、、魚が逃げる。」
水面を気にした。
気がつくとロジャーは手にしたライトで水面を照らしている。
吹き付ける風に波立つ水面。
しかし私はロジャーにすがり付いて脱力した。
「よかった、、、。無事だったか、、。」
「ダーリン、用事は済んだのか?
忙しそうだったから声をかけなかった。」
そう言ったが、わざとだろう。
だが今の私にそこまで洞察する余裕はない。
「見ろよ。池の女神が出てくるぞ。」
「、、女神、、、?」
よく見ると水面に魚影か?何か浮かんでいるのが見える。
「あそこだ。見えるか。」
ライトを向けた先に目を凝らすと大きな金色のシルエットが見えた。
「carp”鯉”?」
「そうだ伝説の鯉だ、この池の女神。
こんな風の強い夜には池の深い場所も波が立つ、
普段は浮かんで来ない魚も水面近くに来る。
木の葉の裏で休んでいる虫が風に飛ばされて池に落ちるからな。」
「魚を見に来たのか、、?」
「俺の森だ、、。俺の森の池だ。俺の森の池の魚だ、、、。」
私の顔を見て笑った。
「俺が池に飛び込んで死ぬと思ったのか?」
「、、、そうでないように祈っていたよ、、。」
風が強くなって声も切れ切れになる。
「それもいいかもな。そうしたら正直な君のために、
女神が若くて健康な昔の俺をプレゼントしてくれるかもね。」
「、、、昔の君、、?」
「そうだ、、若くて病気でない俺、、。」
ロジャーは波立つ水面を眺めた。
風が一層と強くなる、ぽつぽつと雨粒も降って来た。
「そんな君はいらない。私が愛しているのは今の君だ。」
横殴りの風、遠くで犬の鳴き声が聞こえる。
「今の私は、今の君を愛している。
ザックの前で堂々と私を愛していると言ってくれた君を。」
「ブライアン、、、」
「ジェイムズの前でもキスをした、ハリソンやキャンベルの前でも、、
誰に隠そうともせずに私に愛を表してくれた君を、、今の君がほしい。」
突然、主人を見つけた犬たちがけたたましい鳴き声をあげながら駆け寄ってきた。
「”HAYABUSA"!”TAKA”!」
主人の呼び声を聞いた犬たちは躊躇なくロジャーに飛びついた。
約40kg近い体重の2頭の犬に準備なく抱きつかれて、あっけなく私たちは水しぶきを上げて池に尻餅をついた。
「はははははは、お前たちご機嫌だな。」
「口を舐めさせるな、、!感染症が、、、!」
と叫ぶが、興奮した犬たちはペロペロと私やロジャーの顔を舐める。
思いがけない深夜の運動に上機嫌で、久しぶりの主人の存在にうれしげに尻尾を振りもっと散歩に行こうと、しきりにロジャーの上着のすそを咥えて引っ張ろうとする。激しく水しぶきが上がりおかげですっかりずぶ濡れだ。
「おいおい、もっと散歩したいのか?でも雨が降って来たぜ。残念だが。」
やっとルーカスがマウンテンバイクで追いついて来た。
「パパ!ブライアン!無事だった?」
座り込んで動けない私とロジャーを助けようと犬たちは服を咥えて引っ張っている。
「”TAKA”!”HAYABUSA"!”STOP!OK!goodjob」
ルーカスの命令を聞いて二頭のシェパードはためらいつつ、、名残惜しげに主人から離れて待ての姿勢をした。
「goodjob"HAYABUSA""TAKA"いい子だ。」
深夜の池の水は突き刺すほどに冷たい。急いで立ち上がると手を貸してロジャーを立ち上がらせる。しかしよく見ると彼はアノラックを着込んでいる上に防水ズボンに長靴まで着用していた。比べて私は部屋着に上着を羽織っただけの軽装でずぶ濡れになっていた。
「ダーリンそんな格好で出てきたのか?風邪を引くぞ。」
誰のおかげでこんなことになったと思ってる!文句のひとつも言いたいが吹付ける風にぬれた服で、切りつけられる様に寒い。
「早く帰ろう。」
ルーカスは毛布を持って来ていた。
もちろんロジャーのためだったのだろうが彼は私に毛布を巻きつけた。ぶつぶつ文句を言いながらも二頭のシェパードをまとめて引き上げにかかる。
「君の乗って来たカートは明日誰かに取りに来させるさ。」
ロジャーの乗ってきた方のカートに乗り込んでいよいよ雨が降り出した森の中を屋敷に戻る。
ジェイムズに電話して主人の無事と風呂を沸かしておいてくれと頼んだ。
「携帯を忘れて来てたんだな。気がつかなかった。」
どこまで本気なのか分からない。
「スタジオに落ちていた。」
歯の根を負わせるのが難しいほどの寒さだ。
「君は大丈夫か?寒くないか?」
「俺はしっかり装備して来たからOKだぜ。君の方が大変だ。」
本当に、、しかしロジャーが無事でよかった。本当に純粋に池の鯉を見に来たのか?こんな夜中に誰にも言わずに、、、。彼の真意は分からない。
心配顔のジェイムズに迎えられてやっと屋敷に到着した。
夜勤の医師と看護士もやれやれと安堵していたが、相変わらず突飛な行動を取る看護対象者にいかにも迷惑顔をしていた。きっと後で痛い注射をされるぞ。とロジャーを脅すのを忘れない。
「君が先に温まるんだ。肺炎になるぞ。」
しかしロジャーの体も冷えている。
ジェイムズに手伝わせてさっさと服を脱いだロジャーに先に湯に入ることを薦めるが。
私は濡れた服が張り付いて脱ぎづらい、凍えてかじかむ指、、、
「面倒だ、、。」
バスローブを纏ったロジャーを抱きかかえると服を着たままバスタブに入った。
「あははははははは、、。」
男二人が十分入れる大きさのバスタブだがさすがに大量の湯が流れ出る。
「君のそう言うイカれたところが大好きだよ。ダーリン。」
私はやっと温まって来た体で大きくため息をついた。
「私は君の予測不能な行動のおかげで寿命が3年縮まったよ。」
「君の寿命っていくつ?」
シビアな事を聞いてきた。
私の父と祖父は二人とも心臓発作で亡くなった。
「たしか、、77~8歳だったかな?似たような年齢だった。」
「大変だ!ダーリン。あと5年しかないのに3年も縮まったら、、。」
「後2年か。」
あと2年、、、確かにうかうかしていられない。
自分も人のことは言ってられないのだ。
「そうだ2年だ。ロジャー後2年でいい。がんばって生きてくれ。
そうしたら本当に私も一緒に死のう。」
「一緒に池で魚の餌になる?」
「それも悪くないな。この体を地球に還元できる。」
ロジャーは湯の中で私の服を脱がせた。
「君の心臓の音。力強く鼓動を打っている。あと10年は大丈夫だろう。」
私の唇に軽く触れるキスをすると体を離した。
「見るか、、、。」
ロジャーは入浴用のバスローブの合わせ目を開いた。
輝くばかりに美しかった彼の体。
ハリのある白い肌に筋肉が盛り上がりその頂点にピンク色の盛り上がりのある艶めいた乳首。何度それに舌を這わせ唇で啄み愛撫を重ねただろう。
しかし今は無残に変色し引き攣れている。筋肉はすっかり削げ落ちあばら骨が浮き出て蝋の様な真っ白な肌は血管まで浮き出している。右胸には肺を摘出した手術の痕が黒く残り、左胸には炎症を起こした痕の様な荒れた肌をしていた。
「どうだ、、、まるでホラー映画のゾンビだろう。」
皮肉な笑みを浮かべながら自虐的に自分を語る。
「こんな体を抱きたいのか?こんな体に欲情できるか、、!?
こんな体をさらして生きて行けと言うのか?」
「ロジャー!」
彼の体を抱きしめる。
「お笑いだ、こんな小さな手術の傷跡、、!
私の十二指腸潰瘍の手術の痕に比べたら蚊に刺されたようなもんだ。」
私の下腹にある40年前の手術の痕を見せた。当時は切り口も大きく縫い痕も雑だった。 いまだに引きつった痕がありありと残っている。
「ずいぶんスリムになったじゃないか?ふくよかな時も悪くなかったが、初めて会った時の君もガリガリだったよな。」
「、、、、、ブライアン、、、、。」
ロジャーの瞳に涙が盛り上がって来る、、、。
アポロンの様に美しかった彼には辛いことだったのだろう。
「ロジャー、、!私の愛は変わらない。君にどんなに足蹴にされても、、!」
「膝蹴りしたのは、、、一度だけだよな、、、」
彼の涙を眦で吸い取りながら
「君が私の目の前で女を抱いていても、、、目線で私を気にしている君を意識できただけで、、それで、、それでよかった。君が本当に愛しているのは私だとちゃんと何度も示してくれた。君自身は気づかなかったかもしれないけれど、、、。!」
「、、ブライアン、、。」
「もう一度呼んでくれ、、。
君に名前を呼ばれると自分がすごく特別な存在になった気持ちがする。」
「俺には、、最高の特別だぜ、、、、。」
「呼んでくれ、、、ロジャー、、。私の愛するロジャー。」
「ブライアン、、!」
抱きしめる、強く強く。もう不安になんかさせない。
未だに止まらない涙を唇で吸い取りながら次第に頭を下げて行く。
首筋から鎖骨へ唇を落とし、やがてあばらの浮いた薄い胸に、、。
「愛しているよロジャー。
覚悟するといい君を愛した男はマッド・アストロノーマーだ。
そんじょそこらの男とは違う。一度愛したら地獄の底まで離さないよ。」
「ブライアン、、、ほんとに君って最高にイカれてるよ。」
「そろそろ出ようか?さすがに逆上せそうだ。」
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
11 / 20