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金色の瞳のチェシャ猫のお話2
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『なあ、なあ。またアンタきたの?』
真夜中23時30分それが、起床の時間となる。24時30分には、支度を済ませて行に入らなければならない。その日は、24時30分に目覚めた。遅刻だ!完全に寝過ごした。飛び起きるにも、泥のように重たい体と割れそうな頭痛、連日の続く下痢に肛門が悲鳴を上げていた。体の節々も痛い。1時間の遅刻を何とか取り戻そうと、寺を出て山頂を目指した。途中、何度も便意を催し、血尿を垂れ流し、遅れを取り戻そうと必死になって、山道を歩いた。昨日もそうだが、幻聴が聞こえる。
『もう、楽になりなよ』
まるで、夢の中のもう一人の自分がささやいていた。今日は、幸いなことに満月の快晴の月夜だった。それでも、山道を歩くには、灯りが必要だが、提灯をもつ握力がない。
『なんで、そんな死にそうなの?』
昨日の醜態が頭に浮かぶ。
『昨日も死にそうだったけど、今日も死にそうだね』
これは、孤独な心が他人の温もりを求めていると幻覚を見せているのだ。その言葉に耳を傾ければ、忽ち闇に引きずり込まれる…そんな気がして、言葉には一切耳を傾けなかった。
『ねぇー…僕が傷つかないと思ってる?』
焦れて同情を煽ろうなんて、そうはいかない。
あと1日。この行さえ乗り越えれば、今年の修行は終わるのだ あと1日…いや、今日さえ乗り越えられれば良い。それだけを心の支えに、挑んでいた。
白澤 美雪(しろさわ みゆき)は、荒業に挑む僧侶である。5月から9月の山開きされている間欠かさずに山道を歩く。 白澤は、この行に挑む気持ちは、生半可なものではなかった。1日でも行って帰ってくるのが非常に困難な事を1000日間続けるという修行は正気の沙汰じゃない。
師匠からは、死で紐と短刀を渡された。それを受け取るということがいかなる事かは、想像に難くない。それほどの決意と志を持って挑んでいるのだ。
死で紐や短刀は、困難な修行中、もう無理だと思った時には自害をするためのものだ。それほど、生半可な覚悟で挑んではいけないという戒めのもの。それは、師匠との繋がりのように感じていた。ただの冷たい刃物ではない。
それなのに、踏みにじるように銃を渡され『楽になりなよ』嘯かれ、一瞬でもグラリと揺らいだ自分を恥じた。こめかみを撃ち抜いて、簡単に落とせるほど命なのか…
師匠との約束。自分へのケジメ。それらを一瞬にして吹き飛ばし踏みにじるような事は絶対にしてはいけない。もし、死ぬなら腹を切って死ぬ。それほど、苦しまなければ、自分の事を支えてくれている全ての方々への冒涜だ。
今日も月夜に現れた亡霊は、耳元でごちゃごちゃと拐かそうとする。
「うるさい」
誰とも口を聞いてはならないと言う掟は、自分の心の声ならば良いはずだ。
「私は、お前の言うことには決して耳を貸さない」
すると、彼…いや、自分は後ろをついてくる。
『ふーん…一応、聞こえてんだ』
今まで、一言も口をきかなかった白澤が始めて声をかけたことに、心なしか嬉しそうだった。
『こんな山道をこんな暗い時間から毎日さぁー…何の意味があるの?』
自分が、自分への問いかける。
『あ、分かった!何かの願掛けでしょ!好きだよねー人間ってさ。意味なんてないのに、縋り付いて、馬鹿みたいに信じてさぁーこんな苦労したんだから、見返りに思いもしないような事が叶うって思い込んで』
彼は、妖か何かだろうか。それか、精霊とか…?
霊山と呼ばれるが故に、ありえない話ではない。現に、白澤はかなりの極限状態で、山を歩いている。
「誰に言われた訳でも、願をかけている訳ではない…」
白澤がそう言った。
『じゃーなんで、こんな事してんの?』
その声は無邪気だ。
「感謝するため」
すると、その声は止まった。意味が分からなかったのだろう。
『…この行は、悟りを開くためじゃない。近づくためにやらせてもらっているんだ』
だから、全てに感謝しなければならない。
産んでくれた母。こんな危険な修行の許可をくれた師匠。酷使しつづけてしまっている自身の身体。
「ここでくじけてしまうという事は、全ての人に感謝ができないということなんだ」
どんな事があってもくじけてはいけない。前へ進み続けなければならない。
明けない夜は無いと、信じて…
『…馬鹿』
その声は、力なくそう言った。
『僕が、お前の事愛しているよ』
「…?」
『僕が、お前の事愛している…もっと、自分の事大事にしてよ』
「ありがとう。私も愛してるよ…」
自らを自らで愛せる勇気。万物に感謝する慈愛。
この行は、愛への追求。そう告げる頃、不思議なことに一時間寝坊していたのを取り戻していた。
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