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第1章–8 音楽
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「鴫原さん、今日は田口に中を見せてやってもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
特に来館者はいないようだ。
静かな館内を保住について歩いた。
星野一郎は、昭和生まれの作曲家だ。
梅沢出身らしい。
代表曲を見ると、確かにテレビなどでも聞いたことのあるものばかりだ。
「ああ、この曲もですか」
高校時代、スポーツに打ち込んだ田口にとったら、懐かしい行進曲なども名を連ねていた。
「知らなかったな。こんなすごい作曲家が梅沢出身だったなんて」
「意外に知られていないからな。おれたちは、彼を世に出すために日々企画をするのだ」
パネルを眺めながら、保住は呟く。
そして、ぱっと田口を振り返った。
「な、なんでしょう」
「さっきさ」
「はい」
「おれのことバカだなって見ていただろう」
「え?え?」
いつの話?
田口は、目を瞬かせる。
「鴫原さんが褒めた時だよ。じっと見て。こいつバカだなって。あ~あ。年下にバカにされるとは一生の不覚だ」
「え!?違いますよ。おれはそんなつもりじゃ」
「嘘だ、嘘だ~。さっき、絶対に呆れていた」
いつもは自分の気持ちを読むくせに。
今回は外れ。
だけどそれでもいいのかも知れない。
だって。
保住の笑顔に見惚れていたなんて、恥ずかしくて言えない。
自分で自覚すると顔が赤くなる。
ぼんっと爆発したみたいだ。
「な、なんで赤くなるんだ?困っているのはおれだろうが」
「い、いや。その。すみません。別に意味は……」
顔に手を当てるが、隠しきれない。
保住は、首を傾げる。
「お前の考えていることはさっぱり分からん。本当に29歳なのだろうか」
「すみません……。それより、これはなんでしょうか」
田口は、傍のヘッドホンを指さす。
「話を逸らすなよ」
「そういう訳では」
保住は、「仕方ない」という顔をして説明する。
「星野一郎の名曲が試聴できるのだ。聞いてみろ」
「はい」
田口は、ヘッドホンを耳に当て、見知った曲の番号を押す。
耳に届く音源は、軽くレコードのようなじりじりとした音に乗って昭和の匂いがする。
ああ、そうか。
いい時代だ。
どうしてだろう。
この時代を経験したはずがないのに。
どこか懐かしくて嬉しい気持ち。
音楽は、よく分からないが、なんだか心地がいい。
田口が聞き入っている様子を見て、保住は苦笑いだ。
田口という男は、面白い男だと思っている。
見た目は落ち着いていて、とても29歳には見えない。
見た目だけで言ったら、断然自分のほうが年下だろう。
だが、こうして時折見せる仕草は年相応。
いや、幼い。
少し照れ屋の男子高校生がそのまま大人になった感じというのだろうか。
新卒でもあるまいし。
純粋培養なのかと思い、少し調べてみたが、前職では「市役所内上司にしたくない男ベスト5」に入る男の下にいたようだ。
よくもまあ、捻くれることなくここまで来たものだ。
興味を持った。
それが正直な感想だ。
この一か月、興味を持って見ていた。
そう。
だから、彼の感情も読み取れたのかもしれない。
興味がなければ、素通りしてしまう些細なことも。
仕事が出来るかどうかの品定めのつもりもあったが、何せ年下の部下は初めて。
話しやすい、気持ちが楽ということもあるのかもしれない。
そう思う。
じっと見られていることに気が付いたのか。
田口は、顔を上げて、ヘッドホンを少し外してから、保住に声をかけてくる。
「係長、すみません、おればっかり楽しんで」
何もしていない上司に気が付いて、恐縮しているというところだろう。
気配りもできる男だということも、この一か月で理解している。
「構わない。むしろ、これも仕事だ。よく聞いて星野一郎を理解してもらわないとな」
保住の言葉の意図を理解しているのかどうかは分からないが、田口は頷く。
「そうですか……分かりました。では、もう少しいいですか?」
結構、本気で気に入ったというところなのだろうか。
普段の田口だったら、「すみません」と言って席を立ちそうなものだ。
よほど、星野一郎に興味があるらしい。
保住は苦笑して、側の椅子に腰をかける。
音楽とは無縁そうな男だが。
傍にあった星野一郎の資料を手に取って中を眺める。
それからしばらく。
二人は、静かなホールで過ごすことになった。
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