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第2章–5 相違
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しかし、保住は責めるような言葉も出さずに田口を見下ろした。
「いや。お前のせいではない。つい他の職員と同じくお前を扱ったおれのミスだ」
「え……」
「おれの指示の出し方がまずかったな。音楽をやっていた素地もないお前には、少しハードルが高すぎたようだ」
「すみません……」
「出来ない奴だなんて思っていない。おれの目測ミスだ」
「違います。出来なさすぎです」
保住は椅子を引っ張って来ると、田口の隣に座った。
「しかし、少しは何かを考えたのだろう」
「え、ええ。まったく形にはなっていませんが。何もしていなかった訳では……」
「では聞かせろ」
「え?」
「一緒に考えてやる」
「係長」
「早く」
「はい……」
田口は、おろおろしたまま自分のノートを引っ張り出し、今日一日考えていたことを伝えた。
星野一郎の人生を振り返ったこと。
彼の人となりをイメージしたこと。
「田口は、星野一郎を初めて知ったのだったな」
「はい。知りませんでした。だけど、曲を聞いてみると、知っている曲が多い。自分の青春時代を思い出しました」
「なぜだ」
「スポーツの曲が好きだからです」
「しかし、少々10月はスポーツの季節ではないな」
「そうですね。秋はしっとりした感じがします」
「星野一郎の曲にもしっとり系は結構あるな」
「そうですね。しかし、そういった企画は、もうすでに組まれていますね」
田口はそう言うと、パソコンで手あたりしだいに取り寄せていた資料を眺めた。
「係長」
「ん?」
「彼の幼少期の作品だけを特集した会ってありましたか?」
「それは見かけた記憶がないが」
「星野一郎が梅沢で生活していた時代、まだ駆け出しの作曲家でしたが、様々な曲が生まれています。有名ではないかも知れないけれど、リストにしてみたところ、いい曲が多いのです。星野一郎の作品を演奏する場合、テーマにそって組まれることが多いようですが、時代時代で区切ってみるのもいいのかも知れないと思ったので」
保住は、じっと聞き入っていたが頷いた。
「いい着眼点だ。それを起こして企画書にしてみるといい」
「本当ですか?」
田口は、ぱっと目を輝かせる。
悩みに悩んだ結果、ボツになったらかなり落ち込む。
保住のOKが出たおかげでほっとした気持ちになった。
「一日かかったな」
「かかりました」
「しかし、いいアイデアだと思う」
彼はそう言うと、椅子から立ち上がった。
「企画書は明後日朝まででいい」
「え、でも初稿は明日までと」
「おれが初稿で見るのはコンセプトだけだ。今日、ここで聞いたので初稿はOKとする」
「係長……」
彼はパソコンの電源を落とす。
「田口も終わりだ。ノー残業デーだ。係長のおれが帰るのだから、これ以上の残業は認めない」
「はい」
田口は、慌てて帰り支度だ。
「一日、思い悩んで大変だったな」
「いえ。仕事です」
黙々と片付けをする田口を見て、保住は苦笑した。
見込んだだけのことはある。
根性がある。
時間がないからと言って、適当な仕事はしない男だ。
育てれば伸びる。
そう感じた。
片付けを済ませてから、二人は外に出た。
外はきれいな月が出ていた。
「歩いてきているのだな」
「はい」
「送っていこうか」
「いえ。すぐそばです」
「すぐ?」
「歩いて20分程度の」
「すぐではないではないか」
保住は呆れる。
「それでも運動量は激減です。もう少し遠いところに自宅を構えればよかったと後悔しているところです」
「お前ってさ。本当に運動バカだよな」
「そうではありません。身体がなまって気分が悪いだけです」
田口は、きっぱりと頷いた。
「そうか。止めはしない。今日はもう遅い。明日に差しさわりがない程度にしないとな」
「平気です。前職では23時帰宅はざらでしたから」
彼の言葉には棘がない。
棘がないからこそ。
保住は、心配になった。
「田口」
「はい」
「お前さ。それが普通だと思うなよ」
「え?」
小柄な保住を見下ろして、田口は瞬きをした。
「ここもまた忙しい。期日に追われる仕事だ。だが、残業が当たり前ではないからな。残業はやむを得ないものとしろ」
「でも」
『残業しないでどうする?!』
前職の係長の口癖。
あの人と顔を合わせなくなって一か月が経つが、まだ鮮明に思い出される。
田口は、困惑していた。
しかし、彼はそこのところには深く触れなかった。
「ともかく。今日はお疲れ」
彼はそう言うと、手をひらひらと振ってから踵を返した。
そんな彼の後ろ姿に一礼をしてから、田口も歩き出した。
保住という男は、捉えどころがない。
苦手なのは確か。
自分も然りだが、彼もまた、何を考えているのかよく分からない男だ。
優しいのか、厳しいのかも分からない。
仕事も熱心なのか、熱心じゃないかも分からない。
一か月が経つというのに、まったくもって、捉え所がない男。
それが、正直な感想だった。
「やっぱり苦手」
ぽつりと呟いて田口は、帰路に着いた。
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