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28 新星現る13
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「わくわく……。演奏に慣れているお父さんでも、そういう気持ちになるんですね」
「もちろん」
彼は瞳を輝かせる。
「録音のよさって言うのもあるけどね。おれはこのライブ演奏が大好きなんだ。なにが起こるかわからない。その時の自分の調子、楽器の調子、お客さんの雰囲気ですら演奏に影響してくるんだから。わくわくしないではいられない」
ホールの雰囲気。
そんなことまで微妙に関係して、音楽は成り立っているのか。
そう考えると、素敵な演奏を成しえる過程は大変なことのように思われた。
「さて。行こう。席を用意してあるからね」
圭一郎に手を引かれて、蒼はロビーに出る。
また、関口のことを考えていた。
「素敵な演奏を」なんて気軽に口にしていたけど、大変なことなのだ。
素人の自分が言える立場ではない。
なんだか無知な自分が恥ずかしく思えた。
赤い絨毯が視界に入り、顔を上げると、目の前にたくさんの人がいてビックリした。
なに?
ぱしゃっ、ぱしゃっと音がして眩しい光に襲われた。
「へ?」
「迂闊だったな」
圭一郎が舌打ちをしたかと思うと、握られていた手に力が入る。
ビックリして瞬きをしている間に、圭一郎の後ろに追いやられた。
彼の影に入ってほっとした。
なに?
なにが起こっているのかわからないが、男の声に納得した。
『マエストロ!ガブリエルは来日しないんですか?』
『今日の出来はどうですか!』
『聴き所は?』
「関口先生!」
これはマスコミなのだ。
英語もあれば日本語もある。
ものすごい人の数だった。
みな、圭一郎のことを待っていたのだろう。
彼は咳払いをして一同を見渡す。
蒼なんて、どきどきしてしまうような状況だけど、さすがだ。
慣れているのだろう。
彼は冷静に笑みを浮かべる。
『みなさん。彼は新星だ!今晩この日本の空を駆け抜けることでしょう。みなさんは、その舞台を目撃できる幸運なかたたちです。どうぞ期待をしてもらって結構です』
両手を広げ堂々と取材を受けている圭一郎。
ぽかんと、その後姿を眺める。
細かい質問なんて無視。
自分の言いたいことだけを言って彼は、蒼の手を握る。
「行こう。蒼」
「……は、はい」
おろおろして彼の手にしがみついた。
関口に見られたら怒られそうだけど、それどころではない。
早くこの場から逃げたかった。
そんな様子を見ていた一人の女性記者が声を上げた。
「先生!後ろの着物の方は!?」
太いフレームのめがねを掛けた女性はすかさず蒼の存在に注目してくる。
その女性の一言で、海外のスタッフたちも一斉に蒼を注視した。
どきどきしてしまう。
すると、圭一郎は蒼をかばう様に間に割り込んでにっこり笑顔を見せる。
「彼はショルの大切なお客様です。申し訳ないが開演するのでここで失礼しますよ」
「先生っ!」
マスコミから、見えないようにかばってくれながら歩く圭一郎は頼りになる。
動悸がした。
恐いと思ったのだ。
こんな経験、皆無だから。
マスコミを振り切り、関係者以外立ち入り禁止区域に入った圭一郎は、立ち止まって蒼を見下ろした。
「平気?」
「え、ええ」
全然平気ではなさそうだ。
顔が青ざめている。
「もう少しの辛抱だよ」
「はい」
彼はゆっくり歩き、そして側にあった扉を開いた。
中は今までのような騒がしさは嘘のような静けさだった。
大きくとってある空間に椅子やテーブルが並んでおり、テーブルの上にはワインが乗っていた。
そして、ここからステージが一望できるようになっているのだ。
オペラハウスのような造り。
特別室のようだった。
中に入ると、圭一郎は蒼を椅子に座らせた。
「すみません……。びくりしてしまって……」
大きく深呼吸をしてみる。
「おれは慣れているから平気だが、蒼はビックリしたよね。いつものことだから大して気にもしていなかった。ごめんね。もっと細心の注意を払うべきだったね」
「いいえ」
「君の素性は絶対に明かさないからね」
「それはいいんですけど……」
何度か深呼吸をしている内に気持ちは落ち着いてくる。
そして、その内に弦楽器や管楽器の調整音とチューニングの音が聞こえてきた。
そうするとほっとした。
この音。
気分がいい。
「始まるね」
圭一郎の声に視線を上げる。
ホール内の照明は落ち、静寂と共にショルティがステージに登場した。
彼もまた音楽家。
関口や圭一郎と同じだ。
普通の顔とは別の顔。
燕尾服に身を包み、ぴんと姿勢を正している。
「男前だねえ」
圭一郎は苦笑する。
彼はどんな思いでこの男を見ているのだろうか?
自分の息子とショルティと。
どっちが可愛いのだろう?
ふとそんなふうに考えてしまう。
蒼はワインに手を伸ばしている圭一郎を見詰めた。
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