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36 四重奏4
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「おれね、猫になった」
蒼の言葉に関口は苦笑する。
「え!?蒼猫??」
「蒼猫じゃなくって、猫!」
蒼は、目の前の日本酒を見つめて笑う。
最近。
関口が桜の店にいて話す時間がないなら、自分も来てしまえ!とばかりに、蒼はこの店に通っていた。
関口のパートナーであることは知られてしまっている訳だし。
まったく大丈夫な様子だ。
関口曰く。
音楽やっている人間に、タブーはないそうだ。
蒼が顔を出すと、桜も笑顔で迎えてくれた。
こんなに皆優しいなら、最初からこうすればよかったと思う。
関口と話せなくて悩んでいた自分が嘘みたいだ。
「なになに?猫って」
桜も嬉しそうに話に混ざる。
カウンターの端っこの席。
ここのところ、蒼の定位置になっている場所だ。
「今度、星音堂が主催の文化祭があるんです。そこで、スタッフが毎年イベントを企画しているんですけど、今年はブレーメンの音楽隊のミュージカルで」
「へ~。そんなことしているの。あたしここに何年も住んでいるけど、知らなかったな」
「課長が大張り切りでして」
桜は苦笑する。
「水野谷の奴、頑張ってるんだ」
「へ?知っているんですか?課長」
「まあね」
それだけ言って、桜はタバコに火を付ける。
「蒼、大丈夫なの?歌とか」
関口は心配だ。
自分だってステージに立つのは大変なことだもの。
素人の蒼に出来るだろうかと心配しているのだ。
しかし、桜は豪快に笑う。
「蒼なら大丈夫だって!」
「桜さん?」
「あんた、パートナーを信じてないの?」
「んなことはないですけど」
二人が揉めていると、蒼が間に入った。
「大丈夫ですって。関口も、本当に大丈夫。おれ、一生懸命にやるから。関口の足引っ張らないように頑張る」
「蒼、おれが言いたいのはそういうことじゃなくて。おれのことはどうでもいいんだって」
「ありがとう」
えへへと笑う蒼。
「過保護で嫌になるね」
桜は苦笑して、別な客のところにいった。
「桜さんはいい人だよね」
「え?」
「柴田先生のお師匠さんなんでしょう?見えないね。若いもん」
「本当に凄い人なのかどうか。おれには解らないよ。全然レッスンしてもらっているわけじゃないし。おれ、こんな調子でいいのか。かなり心配だ」
関口もビールを飲む。
「そっか」
でも。
関口。
変わったと思うよ。
演奏の幅が広がっている気がする。
今までの哀しみに沈んだ曲はもちろんのこと。
彼には、音楽に対する楽しさを感じさせる雰囲気を作ることも出来るのだ。
作り出せる世界が広がって関口の音楽は大きくなった気がした。
最近は、音楽だけじゃなくて人間的にも大きくなった関口。
蒼だって、彼に頼り切りにならないように頑張っているけど。
ふと気がつくと、彼に包まれている安心感を覚える。
だから頑張れるのかもしれない。
今回だって、本当だったら逃げ出したいくらいの話だけど。
関口とステージで競演できるなんて最初で最後の話かもしれないのだもの。
自分のできることを頑張ろう。
そう思った。
「おいおい、いつまで見せ付けてんだよ~、たまには演奏してくれよ!」
不意に、乃木が千鳥足でやってくる。
「乃木さん」
「関口!お前はここに演奏に来てるんだぞ~!」
えらい酔っ払っている。
確かに。
蒼が通うようになってから、弾きっぱなしじゃなくても大丈夫ってことにはなったけど。
彼はここで演奏をするために来ているのだ。
蒼は苦笑する。
「おれも関口の聞きたいな」
「蒼」
名残惜しいけど。
関口はヴァイオリンを手にとってピアノのところに行く。
彼の演奏を楽しみに来ている客も多いのだろう。
彼の姿を見て店内はざわめいた。
クラシックって、とっつきにくい感じがするけど。
ここの関口を見る限り、そうは思えない。
むしろ音楽って、かしこまったりしないで、こうしてみんなで楽しむものなのではないかということは蒼にだって分る。
「本当によかったよね。関口」
ここのお店に来て。
せっつかれるように演奏をしている関口を眺めて蒼は瞳を細める。
「おたくの旦那、いい男だね」
蒼の隣に座っていた女性が蒼に声を掛ける。
「へ?」
「ふふん」
笑っている女性は若い。
ボブで白い首筋にはシルバーの上品なネックレスが光っている。
「旦那ってか」
「違うの?」
「へ、いえ。やや、はい。そうです」
ここまではっきり聞かれるとそう応えるしかない。
蒼は頷く。
女性は黙って蒼を見つめた。
「いいことだわ」
「はあ」
彼女はそれだけ言い残すと、店を出て行ってしまった。
なんだろう?
ここに通うようになって初めてみた女性だ。
彼女の言葉。
幸せそうに見えるってことかな?
それはそれで、いいことなのかもしれない。
蒼は、なんだか嬉しくなって、再び関口に視線を戻した。
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