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45.Overture8
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ミハエルの家に帰ると、見知らぬ男の来客者がいた。
『ただいま~』
中に入ると居間に呼ばれた。
客?
『こっちこっち』
『何です?』
慣れないことばかりで大変だ。
桜たちと話し込んでいたのは中年のおやじだった。
彼のすこし媚びた感じの笑顔は好かない。
関口は訝しげに男を見つめた。
そんな関口の様子なんてお構いなしに男は立ち上がり挨拶をしてきた。
『はじめまして。私は今回の音楽祭の広報を担当させていただきますセルゲイ・セコネフと申します』
『はじめまして。日本から来た関口圭です』
セコネフはまじまじと関口を見る。
広報担当がなんなのだろうか?
相変わらず不審げに見返してやると、彼は笑い出した。
『いやいや。怪しいものではありません』
桜が説明を付け加えてくれる。
「ここの音楽祭では前評判って言うのも大事なんだよ。当日の朝に出演者全員の経歴やなんかを書いた一覧が市民に出回る。もちろん、それは審査委員たちも手にするものだ。それの取材に来たそうだ」
「え!?取材!??」
目を真ん丸くして男を見る。
『そんなに緊張しないでください。みなさんのところに回っているんですから』
『そ、そうなんですか』
『経歴と簡単なコメント、そして写真を撮らせてもらえれば後はこちらでやりますから。大丈夫、迷惑はかけませんから』
『はあ』
別に取材されるのはいいのだ。
関口にとってなにが嫌って。
経歴があまりないこと。
コンクールから逃げていたツケがこんなところで回ってくるなんて。
不安だ。
経歴なしって言ったらどうなるんだろうか?
こいつは駄目だなんて言われて最初から先入観からきちんと評価してもらえないかもしれない。
そう思う。
桜はそんな関口の様子を見て笑う。
「大丈夫だ。関口。経歴なんてむしろないほうがいいんだ。ここは新人音楽祭だ。変な経歴ばっかついている奴の方が怪しいってもんだ」
こっちにきてから常に飲んでいる気がする。
この女。
彼女はワインを片手にくつろいでいた。
もしかしたら、人の心配とか、誰かの演奏を聞きたいとか、そういうんじゃなくて、自分が休暇をとりたかっただけなんじゃないかと疑問を持つ。
『こいつは経歴がほとんどないんだ。日本の音大を出て上で2年勉強して。ついこの前、地元の小さなコンクールで優勝をしただけだ。それ以外は何もない』
桜は勝手に関口の経歴を語る。
『そうですか』
セコネフは熱心にメモを取る。
『ですが。どうしてこんなに豪華な顔ぶれを引き連れて参戦なんですか?』
『豪華?』
関口は桜とミハエルを見る。
『だって、チャイコフスキーコンクールの優勝者とその相棒じゃないですか!』
『へ?』
関口は目が点だ。
そして、桜を見る。
彼女は『おしゃべり』とセコネフを睨んだ。
『それは言わない約束だろう!』
『だって……』
『仕方ないよ。桜。いずれ彼も知るときが来るんだ。それが早まっただけさ』
ミハエルも首をすくめて見せる。
「なななな!桜さん!どうして、そんなこと隠しておくんですか!しかもそんな、そんな人がなんであんな飲み屋なんか!」
「あんな言うな。馬鹿」
桜は苦笑している。
「桜さん」
「あたしはもう引退したんだって!終わったの。終わり、終わり」
『引退のニュースは今でも衝撃ですよ。世界中のクラシックファンが泣いたものです。どうして引退されたんです?当時は失恋説も出ましたけど』
失恋??
更にびっくりして桜を見る。
彼女は平然と笑っていた。
『さてね。あんたに今ここで話す筋合いはないよ。今日は関口のインタビューに来たんでしょう?』
『そ、そうですけど』
『じゃあ、さっさとやって帰りな』
『すみません!』
セコネフはおどおどして関口の写真を2枚ほど撮影し帰って行った。
「桜さん……」
関口は桜を見る。
「あんたは何も気にしなくていいんだって。明日からのことを考えな」
「だけど」
気になってしまう。
「人のこと気にしてる場合か」
「でも」
「だけどとか、でもとか。そういうこと言うんじゃないよ。男のクセに」
「……」
桜は肩をすくめて見せる。
「分かったって。じゃあ、あんたが優勝したらあたしの秘密の過去を教えてやるよ」
「本当ですか?」
「女に二言はなし」
知ったからと言ってなにがあるわけではないけど。
気になるのだから仕方がない。
世界的に有名なコンクールで優勝までして。
確かに、過去の記憶にそんなニュースがあったことを思い出す。
あの時は大騒ぎだったっけ。
日本人女性としては快挙だったから。
普通にニュースとかでも取り上げられていたような気がする。
関口は、まだちまちまヴァイオリンを行っている頃だったから興味もなかったけど。
彼女の演奏は世界的に評価が高かったそうだ。
あれが彼女だったのか。
ぼんやり考え事をしているとミハエルに肩を叩かれた。
『気を取り直して最後の合わせをしようか』
『ええ!』
人のことを気にしている余裕なんてないはずだ。
自分に言いきかせる。
今日、出逢った男。
ピゼッティ。
負けられない。
関口は大きく頷いて2階に上がった。
一次予選は明日に迫っていた。
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